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 翌日、玲奈と涼太郎はそれぞれの出先から、いったん事務所にもどった。それから呼んだタクシーに連れだって乗った。約束のレストランに到着すると、スタッフが、お連れさまがお待ちですと告げた。  玲奈は、ふうっとひとつ息を吐く。 「だいじょうぶか」 「うん、平気。うけてたつわよ」 「俺が話すから、気負うなよ」 「ありがとう」  そうは答えたものの、玲奈の威圧感は半端ない。臨戦態勢は万全である。あのとき以来だな、と涼太郎はふっと笑った。  案内された個室に涼太郎、つづいて玲奈が入った。佳乃は悠人が来るものと思っていたのか、顔色を失って目が宙をさまよう。 「悠人は来ないよ」  涼太郎は冷たくいった。ろくに目も合わせないままメニューを開く。勝手にオーダーを決めていく。赤のグラスワインを三つ。タコのカルパッチョ、カプレーゼ、プロシュートの盛り合わせ。長居をしない気が満々である。 「来させるわけがないだろう。だいたい、いまさらなんの話があるんだ。迷惑でしかない」 「ごめんなさい」 「話なら俺たちが聞く。手早くすませて」  そんなにつっけんどんにいったら、話しにくいだろうにと、玲奈は思う。 「えっと、昔のことをあやまろうと思って」  心配無用だったな。まあ、無神経そうな女ではある。 「あやまってどうすんだ。終わったことだろう」 「なんで逃げたか、説明もしたかったし」 「逃げた?」 「うん」 「男つくって、悠人を捨てたんじゃないのか」 「ちがう。そんなんじゃない。悠人を裏切ったわけじゃないの」  また呼び捨てにされて、玲奈のこめかみがぴくっとする。勝手に出ていった時点で裏切ってるじゃないの、と思う。  悠人は入学したときからずば抜けた才能を発揮した。デザインを作りだすセンス、形にする能力、技術。  ぼんやりとデザイナーになりたいと思っていた佳乃は、圧倒的な力の差にあっけなく夢を打ち砕かれた。自分がデザイナーになりたいなど、おこがましかったのだ。  それでもふだんの悠人はおごることなく、気の合う友人だった。悠人はそのビジュアルと才能から学校中、いや学校の外でも注目の的だった。電車に乗っても、外を歩いても人目をひいた。友人でいるのは自慢だった。  その悠人から、つきあってほしいといわれたときには、舞い上がった。数多あまたの女の中から悠人は自分を選んだのだと、有頂天になった。  佳乃は当時を思い出すようにうっとりと話しているが。涼太郎は、となりの玲奈をちらりと見た。昔の女からこんな話をされたら、さぞかしおもしろくなかろうに。やはりこの女やばいな、と思った。その玲奈は冷めた目で見ている。怒りと比例して、威圧感があがっていく。  はじめはとなりで悠人のことを見ているだけで満足だった。卒業して悠人は確実にデザイナーの夢に向かっていく。対して自分は早々に夢をあきらめてしまった。それでも好きなブランドのショップ店員になって、ファッションにかかわれるだけでいいと思いこもうとした。  ただやはり、悠人を見ているとうらやましかった。自分が手にできなかったものを持っている。まぶしかった。自分とは違う世界だ。  どうせわたしは。  そんなふうに思ってしまった。  いったん思ってしまうと、ねたそねみはどんどんふくらんでいく。悠人といっしょにいるのもつらくなってくる。そんなふうに思っている自分にも嫌気がさす。  いっそ別れようかと思ったが、なんの疑いもなく自分に笑顔を見せる悠人を見ると、それもいいだせなかった。 「ダイビングやってみようよ」  同じショップ店員から誘われた。伊豆で体験ができるから行ってみようと。それまでダイビングなど考えたこともなかったけれど、気晴らしになるなら行ってみるかと軽い気持ちで出かけた。  海の中は別世界だった。境い目がない。海はどこまでも広がっていく。解放されたと思った。海中をただよう浮遊感は自分のどす黒い感情なんか忘れさせてくれた。魚の群れは惨めな気持ちをなぐさめてくれた。 「沖縄や小笠原に行くと、サンゴ礁や熱帯魚が見れますよ」  インストラクターがいった。どうしても行ってみたくなった。  誘ってくれた仕事仲間もすっかりハマってしまい、ふたりでライセンスを取り、スーツ一式を買った。たぶんひとりだったらここまでのめりこむことはなかったと思う。  ふたりでダイビングツアーを申し込み、沖縄に行った。伊豆で見たのとはまったくちがう鮮やかなサンゴ礁が広がっていた。夢中になった。  ツアーの三日間はあっという間にすぎ、後ろ髪を引かれるように東京に帰った。東京にいるとまたどす黒い自分にもどってしまう。  逃げるようにまた次のツアーを申し込む。三日か四日、解放されて東京にもどる。行先は手ごろな値段の伊豆諸島。ときどき沖縄。小笠原にも行ってみたかったけれど、日程的に無理だった。そのうちに、帰りたくない、そう思った。  マリンスポーツ特有の日に焼けた肌と赤茶けた髪になって、ショップ店員は似合わなくなった。そこでスポーツショップの店員に転職した。  環境がさらに追い打ちをかける。悠人から逃げるようにダイビングにのめり込んだ。

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