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 二人を乗せたタクシーはやがて事務所のはいったビルに到着した。時刻は九時をすこしすぎたところ。 「悠人から返事がないのよね。さっきからラインしてるのに。まだアトリエにいるのかしら」 「ああ、集中していると気づかないからな」  エレベーターを降りるが、アトリエの電気は消えていた。 「あれ? 帰ったかな」  事務所にはスタッフがふたり残っていたけれど 「え? 悠人さんアトリエにいると思ってました」  ふたりしてそういった。玲奈と涼太郎は顔を見あわせる。だまって帰ったのか。いつも必ず一声かけてから帰るのに。  玲奈は電話をかけてみる。が、コール音がむなしく鳴るだけだ。やはり、いつもどおりだったのは表面だけだったのだ。 「ちょっと夕べおかしかったから。わたし、帰るね」 「まて。鎌田くん、悪いけど送ってってくれ」  涼太郎はスタッフの一人に声をかけた。徒歩五分ほどだがなにか起こらないとも限らない。鎌田に付き添われて足早にマンションにむかう。礼をいってエレベーターが降りてくるのももどかしく、せわしなくボタンを押してしまう。  ようやく部屋のドアの前に立ってふうっと息を吐いた。ガチャリとドアを開けたけれど、灯りがついていない。 「悠人」  呼んでも返事もない。靴を脱いでリビングへと急ぐ。カーテンもしまっていない部屋の中は、外灯でぼんやり明るい。ソファの上に白いものが丸まっていた。悠人のシャツだった。  玲奈はほっと息をついた。 「もう……」  とりあえず涼太郎に電話をする。 「いたわよ。なんかどよんとしてるけど。だいじょうぶ。ありがとう」  二言三言で電話を切ると、胎児のように丸まった悠人の横にしゃがみこんでその肩に手を置いた。 「どうしたの?」  悠人はそのままの体勢でくぐもった声で答えた。 「なにも浮かばない。なにもまとまらない。なにもできない」 「ゆう、」  呼びかけた途中で腕をつかまれてぐいっと引っ張られた。 「ちょっ」  あっというまにソファの上に引きあげられ、組みしかれてしまった。 「ちょっと! 悠人!」  強引なキスをされる。がつっと音がしそうだった。いや、痛いし。  なぜわたしはきょうスカートをはいたのだろう。しかも、シフォンのひらひらのやつ。しかも素足。いとも簡単にまくり上げられ、下着も取られてむかれてしまった。  悠人のモノがぐりぐりと押しつけられる。いつのまにパンツを脱いだのだ。 「ちょっと! 悠人! やめてよ!」  叫んだところでちっとも聞きやしない。得体のしれないなにかに怯えて、逃れるように玲奈を求める。薄明りに浮かんだ悠人の目はもう正気じゃない。  やばい! 目がイッてる。これはあれだ。暴走した金木研だ。  きょうはなんだろう。ひどい一日だ。振り回されっぱなしだ。わたしだって、きょうは相当我慢した。ほんとうは怒りにまかせて怒鳴り散らしたかったのに。ずっと悠人の心配をしていたのに。おなかもすいた。さっきから何回もグーグー鳴っている。なのにこの仕打ち。  悠人が持ち上げた自分の足、つま先が目に入った。きのう施したばかりのフットネイルは鮮やかなスカーレット。好きな色なのに、そんなこと気づきもしないのだろうな、このバカヤローは。  怒りがふつふつと湧いてきた。  くっそ!  手のひらを悠人のあごに当ててぐいっと押し上げる。んぐっと悠人がうめく。ふたりの体にすき間が生じた。  どすっ!  げふっ!  玲奈のこぶしが悠人のみぞおちにクリティカルヒットした。悠人は力を失って玲奈の上に落ちてきた。しばらくの間、ううーとうなっていたけれど、やがておとなしくなった。 「悠人」  声が厳しい。 「……うん」 「正気に返ったか」 「……うん」 「ばかたれ」 「ごめん」  今度は悠人の背中をやさしくさすってやる。 「どうしたの」  口調を緩める。 「……なんか、わけわからなくなった。きょう一日なにもできなかったし」  悠人は玲奈の上にのしかかったまま、顔をあげない。 「あと、玲奈と涼太郎がふたりででかけた」  見てたのか。それでヤキモチか。玲奈はくすっと笑った。 「幽霊退治に行ってきたのよ」 「幽霊退治?」  悠人はぼんやりとオウム返しをする。いまいち頭が働かないようだ。 「そう。過去の亡霊よ。やっつけてきたわ」  しばらく間があって 「ああ、そうだったんだ」  と悠人は答えて、やっと顔をあげた。泣いているのかと思ったが、そうでもなかった。 「もう二度と出ないから安心して」 「うん、ありがとう」  そういうと、玲奈をぎゅうと抱きしめた。

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