破滅の町 第一部
第四章 盗賊と少年 2.それぞれの反応

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 イアリオとしては、無理矢理に放っておけない立場に立たされたことになります。運命とはまことに奇妙なもので、そ知らぬ顔をしていても、それは向こうから運ばれてきます。巻き込まれてしまったか、それともそれは選択したのか、わからないままに流されていくのです。  実は、テオルドは事件のあった日以来自宅に何度か帰っていました。彼は食事作りも洗濯も掃除もしていました。たまたま父親とかち合わない時間に戻ってきただけで、勿論教室へは行きませんでしたが、なにより地下の大事な探検のために、自分のために準備が必要だったからです。テオルドは一人でそのように行動していましたが、別にそれで不足なく動けました。今まで彼の行動の仕方がそうだったのですから、誰か仲間を募ることなど、思いつきませんでした。いいえ、もしかしたら…テオルドにも、恐怖の衝撃があったことは事実なのです。しかし、ひとたび想像を越えた衝動に出会った際に取られる行為は別々です。  ルイーズ=イアリオは、テオルドとともに、小さい頃彼の母親の聴かす物語を聞いたことがありました。そこには物珍しいことが好きなピロットも来ていました。テオルドの母親は他所では聞いたことのないお話をたくさん語ってくれる人物でした。三人は、他の子よりもそのお話を熱心に聞いた子供でした。 「兎が一匹、小瓶に一匹の魚を入れて、町を歩いてきました。おうえ、おうえ、どこか変な掛け声を使いながら。兎はその魚を町の人に売りたがっていました。しかし、魚はとうの昔に死んでいて、半分腐っていたものですから、売れるはずがありません。ところが、もう町外れまで来てしまったときに、『ちょうだい!』と叫ぶ男の子がいました。彼は角を生やした小鬼の子で、丁度町の境界の向こう側から呼んだのでした。  兎は嬉しくて跳び上がりました。男の子に近寄って、いざお代をいただこうとしたら、小鬼の子は何もない手を広げていました。『お魚おくれ!』男の子が言います。『これはあげられないよ。だって、お金持ってないだろ?』兎が言い返しました。『え、でも、その魚売れやしないよ!だって半分腐ってるんだもの』 『そんなことないさ。だってこれは魚だよ?腐っても、骨だけになっても魚さ』 『そうかなあ?骨だけになったら、それはもう骨だよ。ちょうだい!まだそれは食べられるんだから』 『だったら代金をいただかなくちゃ』  そのように言い合っているうちに、二人は喧嘩を始めました。小鬼の子は兎の口に土を詰め、兎は小鬼の口に魚入りの小瓶を詰め、とうとう二人は窒息してしまいました。そこへ、びくにいっぱい魚を入れて帰ってきた釣り人が来ました。釣り人は二人の口から詰まった物を取り出して、こう言いました。 『喧嘩なら外でやりな!ここは人間の町だぞ。そら、そこは町の境界だ。そっちへ行けば、自由にやりあってよし!』  釣り人はそう言って自分の家へと帰りました。二人は釣り人に感謝して、仲良く境目の外へ出て、また喧嘩を始め、二人とも倒れてしまいました。冷たい風が吹く中、兎と小鬼はすまなかったと相手に謝りました。人間の国を追われた彼らは、お互いの肩を抱き合って、冬の野原へと出ていきました…。」  ピロットはこの「人間の国を追われて――」というくだりが好きでした。イアリオは、このお話にどこか遠い殺風景な砂の街並みが見えてくるようで、とても印象深いなと思いました。二人ともその話が三百年前の地下の街を揶揄していたなどとはつゆとも知りません。テオルドの母親は、人形のように綺麗で、目もぱっちりと開いて可愛らしい人物でしたが、表情に乏しいところがあり、何を考えているのかわかりませんでした。それに何だか怖いところがあり、あまり子供たちは近づこうとしませんでした。 「夢の中に、魔物が出てくることがあります。どんな魔物かというと、それは強くてたくましくて、人間であれば恋人になりたいと誰もが思うような素敵な男性でした。波打つ銀色の髪は剣で落とそうとしても歯が立たず、筋肉はあらゆるものを跳ね返しました。男の夢に彼が出てくれば、その人は力持ちになりますし、女の夢に出てくれば、その人はたいそう魅力的になります。夢の魔物は人間に力をくれるのです。  銀髪は実はその一本一本が毒を持った蛇でした。彼が夢に現れて不思議な力を授かった人間は、同時に彼の毒にもやられます。とても命が短くなるのです。彼はどんな人間の夢の中にも出てきます。そうして人間を誘惑します。もっと力が欲しいか、もっと魅力が欲しいか、ならば祈れ、私に向かって祈りを捧げろ。人間は彼の誘惑に勝てません。魔物が欲しいと言ったものを、人間は何でも用意してしまうのです。それが人でも、恋人でも、金でも家でも農場でも。やがてすべてを捧げた人間は、身の回りに何も残っていないことに気づいて自ら命を絶ちます。そうして自分も彼と同じ魔物になってしまうのです。人間の夢の中にしか現れない、人間を誘惑する魅惑的な怪物に…。」  子供たちがこのお話の毒に気づくことはありません。お話は、人間の運命を語っているようで、実は悲しい最期をばかりしゃべっているのです。しかし、子供たちでさえ身に差し迫ったリアルさを感ずる滅亡の物語でした。  テオルドの母は、あるいはその母、女系の先祖は、長年この物語をずっと変化させずに伝え続けてきていました。その源は、三百年前殺されたハルロス=テオルドの妻イラでした。  イアリオは、テオルドの父親との約束を果たすべく、地下の入り口へとやって来ました。彼女はそこで、前方によぎる影を見つけました。それはどうやらピロットの後ろ姿でした。彼のところへはまだテオルドの父親は来ていませんでしたが、父親が他のテラ・ト・ガルの仲間に息子について尋ねているのを、立ち聞きしたのでした。ピロットが人助けなどしたことがありません。弟分には情の優しさを見せることがありますが、それは彼がいい気になれるからでした。どんな風の吹き回しか、居場所不明のテオルドを探そうと彼はなぜか考えました。それは、テオルドを助けて、町中の人間に自分が救いのヒーローのように羨望の目で見られるのも悪くないと考えたからかもしれません。彼にとって悪さの矛先が向きを変え、善や正義の頂点を指しても良かったのかもしれません。十二歳になって、彼は悪いこともほとほと飽き出していたのです。  いいえ、彼は、まだあの時の体験を未熟な身体に収めきれずにいました。まして、彼の中では繰り返し、彼と名渡しの儀式をしようと言った、イアリオの名前が鈴のように鳴っていたのです。  トクシュリル=ラベル、彼は両親を教師に持ち、家ではしっかりとしつけられていました。彼の家は彼を含めて人望の厚い良家でした。そのことが彼を苦しめたことは一度もありませんが、たった一粒の黒い粒子がしみのようにその白い紙に落とされ広がりました。実は、トクシュリル=ラベルは、十五人の子供たちがそろって暗黒の都市へ入るよりかなり前に、一度彼だけその中をったことがあるのです。誤ってその天井に空いた穴に落ちたのですが、すぐ大人たちに保護されました。彼は、あの都市がどうしてそこにあるのか知りたがりました。しかし、大人たちは皆口を閉ざし、決して彼の質問に答えませんでした。  彼は、あの場所が夢のようだとは思いませんでした。ずっと気がかりなまま成長し、やがてきっかけを掴みました。十五人の仲間たちと見ることができた、日の差さない地下都市は、まるで日のあるところの建物よりも彼には色鮮やかに見えました。彼は慎重に、この街を調べ尽くそうと考えました。  それとは別に、彼は小さい頃友達の裏切りにあっていました。友達は向こう見ずな子で、ラベルの注意にかかわらず危険に首を突っ込みがちでした。それが、多数の仲間たちをも巻き込み、なかなか大きな事件に至ったことがあるのですが、その時彼は、友人から名指しで罪をなすりつけられたのでした。  このことは、彼にとって非常なダメージとなって、人付き合いの根底に根深く影響を与えました。彼は誰にも心を許さなくなりました。それでいて人が彼を頼るのは、彼自身の健全な、物事の価値判断が優れているからでした。彼はそのとおりに動くことができましたし、そのために誰かを助けることもままあったのです。しかし、彼の心はいつも独りで、孤独で、誰かを欲していました。彼は行動力のある人間で、地下の調査に当たった際も優れたリーダーシップを発揮しましたが、彼は暗黒に赴く本当の理由を十五人の仲間たちの誰にも話しませんでした。  ラベルはまさか自分たちがあんな目に遭うとは予想だにしませんでした。テオルドから、そんな話はまったく聞かなかったのです。彼は自分の責任の在りかを見返しました。そこに、彼が友達に裏切られたあの記憶が黒い影を落としました。それだけでなく、彼は他の子供たちと同様に人の死骸に襲われた圧倒的な恐怖にも苛まれていました。彼は二重苦でした。彼は探索を始める前に闇の世界を知っていました。そこへ、彼以外の十四人の子供たちを導いていったのです。彼自身の、個人的な理由から。彼だけが感じている必要から。彼だけが満足するために…。  彼の健全な心は蝕まれました。(僕じゃない…僕じゃない…僕じゃない…)そう彼は布団の中で念じていました。彼は責任逃れの呪文を唱えるべくして唱えました。それまでの彼を、行動を、絆を、自ら裏切り、引きこもろうとして。  彼は気づきませんでした。そうした心理に、かつて彼が友達として信じ、裏切られた相手も、なっていたかもしれないことに。どうして彼が名指されたかということに。  マルセロ=テオラは、授業にきちんと出席していました。彼女もまた他の仲間たちと同じく猛烈なショックをあのときに感じていましたが、その跡はあまり目立ちませんでした。彼女だけ他の子供たちとは違って体の中の血流が冷たい地下の息吹を押し返したのです。彼女だけ、他の仲間の安否を気遣いました。それは、あのときもそうで、暗い穴蔵から無数の人骨がわらわらと落ちてきた際も、彼女はカムサロスが怪我をしまいかと自分より年少の子を心配していました。  ですが、やはり他の子と同じく、彼女も一人だけ独力で地下から這い上がりました。無理もありません。気づいたら人間の頭骨に囲まれて、目の穴を向けられていたのですから。骨は散らばり、奇妙な感触を腕やふとももの上に押し付けていたのですから。彼女は昔滅びた人々の有様を目撃しました…というのは、もぞもぞと蠢くほかの仲間たちの様子が、それにまといつく骨そのものの動きに見えて、骨の死者が復活して動いているように見えたからです。  彼女の背中を校舎でイアリオは見かけています。その時はくすんだ白っぽい背に見えました。イアリオはテオラに声を掛けませんでした。彼女と目を合わせたテオラも同様で、お互いにそのわけを理解していました。テオラは逆上する義憤を感じました。イアリオと顔を合わせた時に、彼女は言い知れぬ怒りを覚えました。それは、明確な一方向を向いており、それを辿ると、行き着いた先にラベルの姿がありました。彼女は彼の家を訪ねてみました。彼は、布団にくるまり出てこれない状態でした…テオラは、勿論その理由を知っています。皆と同じように、死者の絶望に触れて、ありえぬほど怖くなったからだということだけは。  彼女は布団から彼を叩き起こそうとしました。しかし彼の理由はそれだけではありませんでした。彼は怯えた眼差しで彼女を見据え、何か温かいものを探して右往左往しました。彼女は愕然としました。それまで憧れの対象であった、尊敬すべき立派な人間は、こんなにも小さく、みじめで、そわそわした性格に変じてしまっていたのです。その原因は地下にあります。彼らが出会った、途方もない暗闇の棲家に…。彼女をして憤らせたものが増えました。彼女と違い、ただ漠然と怖がるだけのラベルの卑小な姿によって。彼女はハムザスとロムンカ、ヤーガット兄弟の家も訪れました。二人もまたラベルと同じ様子でした。彼女が見た少年たちはことさらみじめで、蛆虫みたく思えました。 「墓、か」  テオラはぽつりと漏らしました。地下の都市は、それそのものが巨大な墓地でした。多くの犠牲者がその中に埋葬もされず捨て置かれていたのです。そして、その思念は、誰にも供養されずいまだにそこにたゆたっています。  それがついに子供たちを捕らえてその闇の中に引きずり込んだのです。  彼女の怒りはその闇へ向けられていました。彼女はまだ年齢が十四歳でしたが、母親にも似た激情をその身に帯びたのです。生命を否定する力に対する、当然の義憤を。

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