破滅の町 第一部
第三章 死者の骸 1.調査

作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

 子供たちは一斉に外に飛び出しました。長屋風の教室から、明るい広場に駆けていき、そこで思い思いに絵を描き始めました。炭を柔らかい葉でくるんだ簡素なチョークで、石板の上に模様を書くのです。  模様は、町の人々の服装に大事なアクセントを加えていました。それは、袖回り、首回りにつけられた折り返しにあしらわれていました。彼らの衣服は簡素なのですが、持ち物や袋にはさまざまな意匠が施され、おしゃれの一環になっていました。今流行なのは半円を組み合わせたもので、藍地に赤い花の色を合わせて柄を楽しみました。彼らがいたって簡潔な衣装を好むのはわけがあり、それは万が一海の外から見られてもなるべく目立たないように工夫するためでした。彼らは町や海辺の近くにこれ以上入ってはならないという印をつけていました。高い壁であり、尖った柵であり、看板でありました。子供たちの中で海を見たことのある者は稀でした。彼らは海にほとんど興味を示さず、見たことがあってもなくてもどうでもいい世界でした。大人たちの言論のコントロールもあったのでしょうが、極端な欲望の統制が子供たちにも影響して、彼らから外の世界を思う心を奪ったのは事実です。粗末な物語をたくさん聞かせるとおなかいっぱいになって、憧れを遠ざけられる…そうした働きがありました。海の物語はこの町に溢れかえり、そのための小説家もいるくらいで、毎晩語られるそれらの話は、子供たちにおもしろくなさを提供しえたのです。  これは、はたして確かに大人たちの目論見であったのですが、何もかも計算ずくの行為には、必ず抜け穴があるものです。稀に外の世界に憧れを持つ者がおりました。彼らは自分の運命をいかにもよく理解しているのですが、感情や激情の方が嵩じて、夢を見る意志に突かれて出ていった者がいます。無論、彼らは厳しい刑に処せられ、そのほとんどが命を落としました。  などという暗い掟はさておき、子供たちは楽しんで模様を描いていました。中でも十五人の子供たちの絵が、皆の注意を引きました。別に彼らは互いに申し合わせたわけではないのですが、あの地下の印象を、そのまま絵にしたのです。  その絵はなんとも神秘的で、個性溢れる図柄でした。イアリオの描いたものは、三角に四角を合わせた洞窟を思わせるもので、かなりの喝采を浴びました。新種の図柄だと先生は言い、将来洋裁の仕事をしてみないかと誘われました。ハリトなどは絵が上手でしたので、図柄というより本格的な風景画を描いていて、それがあまりに出来がよかったので、他の子どもたちはどきどきしました。けれど、それが地下都市を描いたものだとは大人も思いませんでした。彼の描いた絵は、明るく秩序立っていて、無限の街並みが続くかのようだったからです。  ところが、この十五人の絵に共通点を見出す子供がいました。彼はしつこく授業中でもどこへ行ったのか、何をしたのかと、テラ・ト・ガルのメンバーに訊いてきました。しかし、誰も口を割りませんでした。  三度目の探検の日がやってきました。イアリオは他のメンバーから遅れて集合場所にやってきました。息も絶え絶えになって、必死に誰かの追跡を振り切ったかのようです。「どうしたの?」テオラが訊きました。彼女は手を振ってなんでもないと答えましたが、実は家を出る時から、彼らの絵に疑いを持った少年に追いかけられていたのでした。 「大丈夫、撒いたわ。少しだけ気をつけた方がいいかも。しばらくはそいつ、私たちのこと見張ろうとするわ」 「さて、皆、それぞれもう一度あの穴の奥に突っ込む勇気は持っているかい?」  ラベルが全員に訊きました。無論そのつもりだと誰もが言い返しました。 「よし。それでこそ『皆』だ。いいかい、慎重に、だぞ?でも、時に大胆にだ。この前のヨルンドの行動は誉めるに価する。その結果、僕たちは得難い恐怖と驚異とを目の前にした。けれども、今、ここにこうしてまた集まっているんだ。皆の勇気に、祝福がきっとある!」  彼は一本指を示し、高々と空に向かって掲げました。この大仰な仕草にも子供たちは胸を熱くして見入りました。自分たちの意思が、一つにまとまって、いざ地下に臨もうとするとき、普段より以上の力が身に射しているように感じたのです。 「行こうか!」  その国はもう名づけられていました。十五人の王国は、人の住まない死に絶えた領土でしたが、遊びの空間としては申し分ありませんでした。ただの遊びにすぎなければいいのですが、そこは否応なく引き込まれ、からだとこころをぶつぶつと刺激する危うい魅力に大変満ちていました。子供たちは、そこでまず地図作りに精を出すことにしました。建物の中に入ることは今のところしません。機会をみて、またいつか入るでしょうが、トクシュリル=ラベルがそう提案したのです。この街で何かの死体に会うなら、建物の中よりもどこかの街路の方がまだ心理的対策は立てられるだろうと彼は思いました。道があれば逃げることができます。壁があると、逃れられなく思うものです。  石版はこの町で一番ポピュラーなノートでした。そこに、絵を描くときもそうですがチョークで線を書きます。彼らは鞄に真新しい石版を所持し、地下の入り口へつどっていました。この前の調査で見たのはほとんど出口から離れていないわずかな区画でしたが、それでも街路がどのように通じているか雰囲気がわかるところまで来ていました。ラベルたちは各自がどの道を調べていくのか話し合いました。候補に挙がったのは三本の太い道で、まずその周囲から調査することにしましたが、あまり深く入り込まないように、皆で注意し合いました。ラベルの忠告は、皆に浸透し始めていました。慎重に、慎重に…それは、彼らの口癖にもはやなっていたのです。  太い三本の道は後に合流して一つになり、そこから先はやや小ぶりの住宅が立ち並ぶ区画となっていたので、子供たちはとりあえずその手前までの細い道筋を調べて地図に書き込みました。その日の調査でこの辺りの一角はすべて埋まりました。あとは、建物の形や構図などを囲みの中に書き込むくらいでしたが、これはあまり子供たちの興味をそそりませんでした。探索に一区切りがつき、誰からともなくまたどこかの家に入りたいと言われ出しました。死体に出くわした恐怖は克服したとはいえませんが、それを超えてあまりある情熱が、彼らには宿っていました。子供たちは、これぞ調査に値するという建物をピックアップしました。どれもがこの界隈の大きな邸宅で、中でも関心を持たれていたのは左右に住居の分かれた広い敷地の豪奢な家でした。  彼らはこの家に決めました。これほどに大きいのですから、大邸宅は勿論統治者の家でしょうし、お宝も、ひょっとしたらと期待できました。子供たちはこの屋敷を仰ぎながら、どんなものが中に見られるだろうと興奮しました。彼らは、この街がかつて海賊たちに建てられたものだと知っていません。ですから、寝る前などに聴いた色々な御国物語を思い描きながら、自由な想像を許されていました。しかし、前日の死骸にまた出会ってしまうかもしれない恐さとも闘っていました。ここで、ラベルがテオルドの言ったこととして「黄金がここにある」と言ったことについて、少しだけ説明する必要があります。テオルドは司書の息子で、よく父親の手伝いを任されていました。当然、古い書物にも目を通す機会があり、そこで黄金に関する記述のある文献にあたったのですが、この町の設立に触れた誰もが見ていいものではない文献は、彼の館になく評議会あずかりの書庫に保管されていました。なぜ、テオルドが「黄金がここにある」などと言ったかというと、クロウルダという神官が遺した本にそう書いてあったからでした。クロウルダは、盗賊二人組が調べたとおり、この町の設立以前、およそ五百年前にこの地へ来て、港を造っていました。彼らはオグという魔物を追ってこの地に来ていました。オグは、その本においてその名称以外にもさまざまに呼び慣わされましたが、なかでもテオルドの目を引いたのは「黄金を食し守る魔物」という言い方でした。彼は地下世界にそんなものがいるかもしれないことを伝えようと思って、失敗しました。小心が嵩じて舌足らずになり、「黄金を…守る都…」と聞こえるように言ってしまったのです。ラベルはこれを皆に伝えたのでした。けれど彼は訂正しませんでした。彼はこの地下都市に強い関心を持っていました。ですから、自分の口が誤ったなど探検が始まればどうでもいいことです。それに、もし記述が正しければ間違いなく黄金はこの街にあるでしょうし、いくら魔物がいたと書かれても、何百年の間にその魔物もきっと死んでしまったはずだ、もしかしたら誰かが退治したにちがいない、と思いました。彼は、海賊たちがクロウルダの街を奪ったことも知っていましたが、なぜ滅びたかは知りません。この都の有様を見て、とんでもないことが起きたのだろうことは想像にかたくありませんでしたが、海賊たちが逃げおおせて黄金を外へ運びすぎたとしても、まだ残っている可能性もあります。  子供たちは、もし金銀財宝があるならば、どこか蔵の中なり豪華な部屋なりにしこたま溜め込まれているにちがいないと考えました。この地下世界を歩いていると、昔話が眼前に現れて、自分たちは大きな過去を今その足で踏み歩いているのだという心地がしました。彼らは、自分たちに期待をしました。今に大きな発見をするぞ、僕たちは!  地図を書く作業はそれはそれでおもしろいものでしたが、相性悪くすぐに飽きてしまった人間もいました。サンパリヌ=ヒトロス=オヅカ、ソブレイユ=アツタオロ、セリム=ピオテラの三人です。ラベルは、彼らの様子をよく見ていて、もし建物の中を覗こうとするなら、まず三人にその役を負わせてみようと考えていました。意外にも三人は乗り気でした。飽きっぽい性格は気持ちの切り替えの速さをもっていることがありました。それは、どんなことも楽しむ勇気をもって臨む、前向きな姿勢にもつながっているものです。オヅカは若干の頭の足らなさがありますが、非常に真面目なところがあり、ラベルの忠告に一心に耳を傾けました。ピオテラとアツタオロは不真面目な性格ですが、二人そろえば矢でも鉄砲でも脅せない女のバリアを張ることができます。オヅカは彼女たちと相性がよく、違和感なく三人で調査を始められました。  四面の外壁が素焼きレンガで固められています。内庭の中ほどに、噴水の跡のような空間がありました。その向こう、正面には立派な建物が両翼を伸ばしていました。彼らはこの邸宅に入っていきました。門は太い柱が倣岸に居座り、まわりに細やかな装飾があります。うねる波をモチーフにした線が、華麗に絡まっていました。扉は半分開けられた恰好で、彼らを見下ろしていました。三人はその隙間から入り、中の様子を覗くと、まっすぐに大廊下が伸び、左右に宴会場か会議室らしき広間が据え付けてあります。正面に大階段があり、左右に伸びた廊下の奥の階段は螺旋状に上の階につながっています。  またどこかで死骸に会うかもしれないと、三人は固まったまま移動しました。恐怖と興味とが膠着した状態の、なんともいえない興奮にありました。オヅカは背も大きく、二人より頭一つ抜き出たところから、天井のある部分に黄金色の装飾を見つけましたが、大したことはないと思い、二人に黙っていました。三人はまず左側の部屋を見てみることにして、石壁の隙間から内部を覗きました。がらんとして気配はなく、たいしたものもある様子ではありませんでした。木枠の扉をそっと押し開け、入り口を突いてみますと、柱つきのカーテンが壁にかかり、不気味な沈黙を投げ寄越しました。その影に何かいるのか――子供たちはそうした目を壁際に投げかけましたが、何もいませんでした。  すると、うっかり取っ手を放してしまったアツタオロの手が、びくりと飛び上がりました。ぼそぼそっと音がして、取っ手は腐り落ちてしまったのです。そして、扉ががたんっと軋みました。三人はえもいわれぬ恐怖に身を弾ませました。けれど、それで何も起こることはありませんでした。彼らは恐る恐る、その部屋をあとにしますと、反対側の、宴会場と思しき広間に向かい合いました。そちらに扉はなく、左の壁に四角い穴がぽっかりと三ヶ所空いています。歩み寄り、手を伸ばしますと、冷たい空気が穴から零れてきました。三人は立ち止まり、一斉に左側に視線を向けた途端、肩を強張らせ、身をぎゅっと寄せ合いました。二つの骸骨が、入り口から死角になっている壁にかけられて立っているのが目に入ったのでした。  しかし、これはもう彼らの予想の範疇です。三人は恐る恐る骸骨に近づき、どんな様子なのか、詳しく見ました。一つの死体は首に鉤をつけられ、なんとも無残な死に様でしたが、もう一方の方は、滅びたあとに誰かが遊んだのでしょうか、罰当たりにもおもしろいポーズをさせて釘を打ち込まれていました。オヅカがそっとそちらに近づき、骸骨の脚を持って、からからと振り回して見せました。  建物の中から笑い声がしたので、外で待つ他の十二人はほっとして笑い合いました。今度は僕が行く、私が行くと、順番をラベルにねだりました。 「そうだね、そうしようか。正面の大邸宅は…四人で、右側の、使用人宅かな?そっちには三人派遣することにしよう」  許可されたのは、正面の方がピロット、イアリオ、テオルド、そしてハリト。使用人宅にはテオラ、カムサロス、ヤーガットの弟ハムザスです。正面の建物と比べてこじんまりとした家屋にも入っていこうとしたのは、そちらの様子も見てはじめて屋敷の主の正体がわかるだろうと考えたからです。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません