芸術は、どこの国にも時代にもあるものです。人々の暮らしの中で、それはきっと力を持ちます。芸術にも様々な顔があるでしょう。音楽、教育、絵画、彫刻、演劇、剣戟、生活の中にも、会話される言葉の中にも。 ハルロス=テオルドにとって、それは言語でした。彼はさまざまな国の言葉を知りました。彼の能力は役に立ちました。彼は有能な官僚になれる逸材でしたが、父親の背中を追って、強い兵士になりました。その頃、戦士たちは海賊貴族どもを追い払って、港町を我が物にしておりました。 ある時、ハルロスは父親からこんなことを聞きました。この街はいつか滅びるかもしれない。私の力では、どうにも抑えがたいのだ。他の土地へ移住した方がまだましかもしれぬから、お前はそれができる場所の候補を挙げておいてくれないか。…新しい都の候補地を挙げる間もなく、国はがらがらと落ちましたが、ハルロスだけは、戦士たちの中で生き残りました。 海賊どもが追われてから、戦士たちは、彼らの思うがまま、他国侵略を繰り返していました。彼らの手には圧倒的な財力があり、それを武器に、連戦連勝の戦闘を繰り広げました。 一方で彼らの都には不穏な空気が漂い始めていました。それは、市民たちが圧制を逃れたことをいいことに、秩序だった生活も無視して奔放に振舞い出したことが原因でした。奴隷たちの中にも主人の支配を逃れたり、海外への脱出を試みたりする者が現れました。 その頃市民たちは飢える心配はありませんでした。元々海賊どもに連れてこられた者たちは、戦える者以外は、建築士や大工、道化、音楽家やコックといった人々で、農作業に従事する人間は一人もいませんでしたが、食料は他国から買い入れていたのです。ところが支配者が変わって、彼らは自分たちの身の処し方に迷い混乱しました。彼らは海賊たちのためにここに来ていたからです。さて、そんな時人々はどのような行為に出るものなのでしょうか。この暗い都市で行われたことは、横暴な欲求の発散でした。地上に出ればその後三百年も町人たちを養った肥沃な土地があるのですが、その価値をわからない人々は食欲以外の欲求を貪ろうと、純粋にそれに従ったのです。例えば、自分より良い楽器を、自分より良い道具を求め、今いるところよりも良い住居、良い活動のできる場所を欲しがり、良い相手、良い恋人、良い妻、良い友人を選び出しました。 連れてこられ、主人のためだけに奉仕を要求され続けてきた彼らは、隣人関係も主人を通じて結んでいました。強力な支配者がいなくなって、彼らの一人一人が、互いの関係を構築していくことはできませんでした。まとめる者はいませんでした。戦士たちは皆内政に弱く、彼ら自身他国征服を夢見る者ばかりでしたので、そんなことは二の次だったのです。ただし、国の代表者ともなる者はそうはいきませんでした。戦士たちの代表には目に見えて国が荒れていく様子が内憂として映っていたのでした。 彼こそハルロスの父、ムジクンド=テオルドという、各国の歴史書にも載るほどの勇者でした。彼は息子にも話した憂患を抱いていました。彼自身の手ではとても解決の糸口が見えず、ただ大きな流れに流されている有様でした。大きな流れというのは、市民だけならず、兵士たちまでも、秩序を逃れた個々の欲望に忠実になり出したのです。海賊たちからこの都を奪った当初こそ、兵士たちは近隣国家の征服に一致団結して乗り出していましたが、手元に依然莫大な財宝が遺されたままであることがその目をだんだんと眩ませていったのです。大なる野心よりも小なる野心が疼き、その疼きに従った心弱き戦士たちは、幹部の中にもいました。ムジクンド=テオルドにとって粛清は彼の強権を増大させるにすぎない手段で、彼の理想とはほど遠いやり方でした。彼は何より海賊のやり方を嫌っていましたので、小富をいただきに作為する者たちの行動は放っておきました。その時からもうすでに、彼の手に負えるような時勢の移ろいではなくなっていました。市民にも戦士にも、唆す者が、煽る者がいました。 彼らはまるで行動にこそ意味をもたらしている様子でした。奪うこと、騙すこと、罵ること、海賊どもが彼らに嫌というほど見せつけた行いを、彼らはそのまま真似しました。海賊時代にはともかくも国として一致していた人々の意思は、どこへやら、その意思は完全に一人びとりの個人へと還ってしまいました。まるで赤ん坊のように貪り、人々は悪を望み出しました。親などはどこにもいないのです。 こうしたさなか、一人の人間が、物議を醸す騒動を起こしました。彼は幾許も主権のない奴隷でした。海外から連れてこられ、そのまま見世物になった男でした。体躯はびっくりするほど大柄で、あちこちぼこぼこと膨らんだ顔面は、恐ろしさより滑稽さをもたらしていました。しかし筋肉は隆々として触れれば岩のように固く、人々に、様々な妄想を抱かせる危険な香りを漂わせていました。彼らはこの男を檻の中に閉じ込め、外側から眺めることで、満足しました。慰められる思いもしました。 この男…セバレルと申す異国の人間は、故郷でもその姿のために虐められており、人買いから、海賊が手に入れたのでした。しかし彼は、戦士たちの下克上に遭って檻から放たれました。戦う人間にとってその体は素晴らしく、何よりも優れた戦力になることを認めたからでした。セバレルは戦場で大活躍をしました…このことが物議の要因となったのです。 活躍を認められた兵士たちには各々褒章が与えられました。セバレルはその中でも目覚しい働きを遂げたので、彼にも栄誉を授けられることになりました。その時、反対する兵士がいました。まだ若者の戦士で、自信過剰なところがあり、なにより愛国心が溢れていました。(すでに個々の欲望が隆起し始めている環境でしたが、彼はまだその毒息にあてられていませんでした。)若者はセバレルに一騎打ちを望みました。周りの人間が囃し立てました。セバレルはそれを受けて立ちました。結果は、無残にも若者の惨敗でした。しかも、その死に様は激しく、大男の攻撃は、彼の骨も砕き顔面など跡形もなく破壊してしまいました。 途端、辺りに戦慄が走りました。この男を自分たちの仲間にしておいてもいいのだろうかという疑念が生まれたのです。大男の唇はきつと結ばれ、その眼窩の奥の瞳がたたえる色は揺らがず、まるで考えの読めない相貌は、急に不安をかきたてるものとなりました。戦士たちが色めき立ちました。この野性的な獣そのものとも思われる人間を放っておいてはならないと言い出したのです。セバレルはじっと人々を睨み、彼の武器である槍を置いて、一喝し、声高に物言いました。 「それが我々の望みなら、私は受けよう。何びともかかるがいい」 それを合図にして一斉に、血気盛んな人間たちが、彼に打って踊りかかりました。予期せぬ戦場は…激しく切り結ばれ、遂に、セバレルはその場にいた人間を全滅させました。その場に駆けつけた幹部たちは、あまりの惨状に恐れをなしましたが、一人、戦士長ムジクンド=テオルドは真っ向からこの事実を受け止め、この有様をどのように処理するか、幹部らと静かに言葉を交わしました。彼らは全員、セバレルの力を褒め称えました。そして、今後も国家の貴重な戦力として活躍し続けるよう、彼に特別の栄誉を与えました。 しかし小心者たちは何とかしてセバレルの力を我が物にできないかと考えました。戦士長以下縦割りの仕組みを確立してきたはずの国の軍隊は、それほど厳格な規律を敷いて、統率を堅固なものにはしていませんでした。セバレルの圧倒的な力と技を見て、幹部たちは彼こそ仲間にしてしまえば恐れなくて済む、と考えたのです。ですがその恐れがどこからやって来るのか、彼らは気がつきませんでした。いつのまにか、取り憑かれた不安は、その正体こそ国家をばらばらに解いていく個々の暴力的な欲動だったのです。セバレルの力はある幹部に預けられ、他の幹部は、それに対抗できるだけの戦力を欲しました。 そのために、ますます手元に自分だけの財産が必要なように感じました。黄金は、国預かりのものです。みだりに使うことはできませんが、国庫を管理するのは人です。人々はそれの奪い合いを始めました。結果として、このことは彼らの外征の進撃を押し進め、ますます彼らを強国にしていく要因になったのですが、まるで市民たち同様海賊のやり方を真似るようなことをしていることに、戦士たちは気づきませんでした。 ところで、戦士長ムジクンドは、セバレルと若い戦士たちの一件のあと、セバレルにこう尋ねたことがあります。ムジクンドは異常な力の強大な戦士の前で、剣を引き抜き、ぎらりと刃を閃かせました。 「此度は一体、なぜこのような場にいらっしゃるか。あなたほどの武人、おそらくは我が国などには恐れ多いほどの富をもたらすことになるでしょう。しかし、私の見るところ、両刃の剣のように、その力、手に余るほどのものです。返す刀が我が膝元を打つかのようです。私は立ち上がれないほどの傷を自分にもうけかねない。あなたの力は神のごときものだ。そうでなければ鬼神、いや、悪魔にも等しい。あなたは何者ですか。どうか私に教えてください」 世界征服の夢を見ていればこそ、武人たちは実力を発揮し、連戦連勝を手にできる。ムジクンドはこのように考えていました。しかし、夢を見る力は強くも、それを維持するためには様々な努力が必要です。夢のためには、足元を力強くすることが大切なのですが。彼らは輝かしい未来ばかりを所望していたのです。けれど、その足元の地面は実は大変脆いのではないか?戦士長は思いました。今の故郷はどこにある?我々の心の中にはない。我々はもはや故郷を持っていない。我々はただ、この街に連れてこられた奴隷なのだ。我々の街は、我々に何を提供してくれる? 彼一人がその街を客観的に見下ろせたのかもしれません。そしてムジクンドには目の前の大男が破壊の神のように感じられました。 「我々はどうなるのですか?」ムジクンドはまた彼に尋ねました。「沈黙を守るというのならば、やはりあなたは神だ。我らの元に、なんらかの目的で遣わされたのでしょう」 その言い方は彼が信仰の厚い民族の出身だったからかもしれません。 「あなた方が、それを選んだからだ」 セバレルはゆっくりと答えました。 「それはあなた方の望みと等しい。私にはそのように思われる。そして、私は何者か、あなたと同様、私も知らない。もし私が神というならば、あなたも同じく神なのだ」 「えっ」戦士長が訊き返しました。 「我らは皆我らの神だ。そうではないか?」 セバレルによれば、各人の神は各人に潜むといった思考だったのでしょう。汎神論的なものの考えを彼はしていたのです。一人ずつに神は棲み、その神がその人間の行く末を見守っていると。戦士長はこの言葉を聞いてすぐには意味を呑み込めませんでした。ですが、その言葉はムジクンドの心臓をどくどくと脈打たせ、彼の何かを打ち砕きました。彼と彼らが望んだ途方もない夢が、大波となって、彼らそのものを呑み込んでいくような心地を味わったのです。 「あなたがそう望んだのだ。私がここにいることの理由は、それだ。そして、それは私も望んだことだったのだ」 セバレルはこのように言いました。
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