このクソみたいな世に祝福を
8 クソクレーマーに天誅を

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 金曜夕方の商店街はにぎやかだ。商店や街灯の光の投げかけられた街路には、今日も大勢の人が行きかっていた。  明日の休日を控えて軽い足取りで帰路につくサラリーマン。エコバッグに今日の夕食の食材を満載した主婦。テニスラケットを担いだ、部活帰りと思しきジャージ姿の学生の集団……。  そんな道行く人たちが、裏路地の入り口にぽつねんと立つ私とキウラさんに、時々好奇の目を向ける。それはたぶん私たちの風体が気になるからだろう。無理もない。陰気な顔をした眼鏡女と不吉な笑みを張り付けたドラキュラ女が、ミニスカートのメイド服なんぞ着ているのだから。格好だけはメイド喫茶の店員さん。だけど、電柱に寄りかかって煙草をふかしながら往来をにらみつける態度はおそらく、おやじ狩りの獲物を狙うチンピラみたいに見えたろう。変態と思われてもしょうがない。実際、好奇の視線を向けるものの話しかけてくる人はいない。なんならわざわざ避けるように距離を開いて通り過ぎていく。こちらが見つめ返せばみんな悪いことでも見つかったように目をそらす。そんなに公衆の面前に出しちゃいけないほど破廉恥な存在ですかね私は、と、少し自分が惨めになる。 「ええ。あなたは破廉恥ですよ真子さん。弁護のしようのないほどに破廉恥です。だから堂々と構えていなさい」  プカプカと白い煙を吐きながら、歌うようにキウラさんが言った。悪口なのか励ましなのかわからないが、とりあえず励ましということにしておこう。  こんな恥ずかしい晒し者になってまで商店街の一角に居座っているのには、もちろん理由がある。 「ねえキウラさん。本当に今日この時間、あのゲジ河童がここを通りかかるのね」 「もちろん。わが髑髏十字の情報網を信じなさい」  ゲジ河童をターゲットに決めた日から数日。どういう手段を用いたのか、わが組織はゲジ河童について詳細な情報を手に入れていた。  通称ゲジ河童。本名は下沼毛須男(仮)。六十六歳。独身。某省の元職員。頑固かつ細かい性格で後輩からも同期からも上司からも煙たがられていた。経歴と年齢を盾にあちこちで威張り散らしているので、関わった人ことごとくから嫌われている。真面目な顔をしているが実はスケベでセクハラ常習犯。世田谷区のこの街に住んでいて、金曜の夕方この時間にこの商店街を通る。酒は飲まないがコーヒーを飲む。この時間に喫茶店に寄るのが日課。好きなものはミニスカート。メイド服。  だからこんな格好でここにいるのだ。奴の気をひく格好をしてたらしこみ、ある場所に誘い込む。それが今回の作戦。しかし思いのほかこの格好は恥ずかしい。ゲジ河童憎さに動かされてここまで来たが、待ち時間が長くなるにつれ、なんだか私の方が罰を受けているような気持ちになってきた。そう感じるにつけ、奴への怒りがますます募る。 「こんな羞恥プレイをさせおって。ゲジ河童め。念入りにやっつけてやる」  くわえていたタバコを路地に投げ捨て、あたかもそれがゲジ河童本人であるように踏みつけた。 「しっ。来ましたよ」  キウラさんが声をひそめて私のスカートを引っ張る。彼女の視線を追うと、確かに見えた。雑踏を行きかう人々の頭の向こうに見え隠れする、あの汚らしいゲジゲジ河童が。 「さあ、作戦開始」  そしてキウラさんはタバコを放り、満面に営業スマイルを張り付けた。私もそれに続く。某ハンバーガー店のそれのようになっていたかはわからない。だが、この笑みはプライスレスじゃないよ。高い代償を払わせてやる。 「こんにちわ。本日開店した喫茶『無頼亭』です」  私とキウラさんはできるだけにこやかな声で挨拶しながら、ゲジ河童の前に立ちはだかった。怪しまれないようなるべく自然に、ティッシュでも配っているかのようなさりげなさで。いや、この格好で十分怪しげなんだけど。でも私もキウラさんも滲み出そうとする殺気と妖気をかなり抑えていたといえよう。もし我々がその変態が匂いたつに任せていたら、きっと瞬時にしてこの界隈から人の姿が消し飛んだことだろう。 「なんだね、君たちは。邪魔だ。どきなさい」  鼻の下をのばすかと思われたゲジ河童の奴は、意外にも真面目くさった顔で眉間にしわを寄せた。神経質そうな目で交互に私たちを見る。けっ。この期に及んで威張り腐りやがって。誰がどくかよ。邪魔なのはてめえなんだ。……と毒づきそうになるのを抑えて、笑みを満面に浮かべる。 「こちら、今、大変お得になっているクーポンでございます。本日限りになりますので、ぜひともご利用ください」  作り物のクーポン券を差し出しつつ前かがみになる。いったん紙切れに落ちたゲジ河童の視線が、吸い寄せられるように私の胸に移動する。胸元の開いた衣装なので、さぞかしよく見えることだろう。無遠慮にじろじろ見やがって、この代償も高くつくぜ。  十分私の胸の谷間を堪能させたところでキウラさんが奴の腕に絡みついた。 「どきなさい、なんて、そんなつれないことをおっしゃらないで、おじさま。誰にでもお声掛けしているわけじゃないんですよ」 「そうそう。英雄のオーラをまといし、特別なお方のみこうやってお誘いしているのです。どうぞ寄っていらっしゃって。それとも、私たちの見込み違いだったのかしら」  キウラさんにつづいて私も奴のもう片方の腕をとる。それにしても我ながら気持ちの悪い猫なで声を出したもんだ。もっとも、すでに破廉恥なミニスカメイド服姿をさんざん衆目にさらしてきたので、恥ずかしいという気持ちももう起きない。  こんな怪しさ満点の服装の女二人に体を密着されて猫なで声で誘われたら、普通の人間ならちょっと警戒心を持ちそうなところだ。ゲジ河童もまたすこしばかり抵抗の様子を見せたが、その力は申し訳程度の弱さだった。見れば口もとはだらしなくゆるみ、鼻の下も伸びている。奴の防衛本能はエロパワーの前にあっけなく敗北を喫してしまったようだ。まあ、逃げようと思ったところで、私たちも逃す気はない。私とキウラさんふたりで奴の身体を挟み、ガッチリとその両腕を押さえる。そして獲物を捕らえた猛獣のごとく奴を裏路地へと引きずり込んでいった。  その喫茶店は、木造りの落ち着いた外観をしていた。明治時代の文豪が行きつけにしていそうな、本当にお洒落な喫茶店……といった風情だ。こんな卑猥な格好のメイドではなく、ちゃんとしたメイドさんが銀の食器を運んでいる姿が目に浮かぶ。  チリンと鈴の音を鳴らして店内に入る。内装も外観から想像したとおりのお洒落なものだ。落ち着いた色合いのクラシックなテーブルが並び、そこに花びらのような形の照明から、木漏れ日のように橙色の光が落ちている。  キウラさんが奥の席にゲジ河童を通し、注文をとって厨房へと消える。私は入口付近に陣取って、顔に笑みを貼り付けたまま奴を監視していた。この場所に立っているのはもちろん、奴の退路を断つためだ。  私の隣にキウラさんが戻ってきた。 「いざというときの武器です」  手渡されたのはムチだった。茨のように小さなトゲトゲがついている。これを奴の身体に叩き込む場面を空想し、私は口を歪めた。  やがて、厨房からコーヒーカップを載せた銀の盆を捧げて、その人物が姿を現した。  それは白いフリフリのエプロンをつけた清楚なメイドさん……ではなかった。メイドさんどころか、女の人ですらない。チョッキを着たお洒落なマスターなんかでもない。現代人にも見えない。なんていうかその人は、まるで異世界から来た人間のようだった。  体はレスラーのように大きく筋骨隆々。上半身にはトゲトゲのついた物騒なチョッキ一枚だけを羽織り、その盛りあがった胸筋と腹筋を惜しみなく見せつけている。剃り上げた頭のてっぺんで、鶏のトサカのような髪が天を衝く。モヒカンというやつだ。眉はなく、右目の周辺には入れ墨。不敵な笑みを浮かべつつ、残忍そうな細い目をキラリと光らせる。  まるで荒野をバギーで乗り回し、「ひゃっはー!」と叫んでいそうなその風貌に、私は突っ込まずにはおれない。ここは世紀末か、と。店の外観をみてちょっとでも明治の文豪だとか清楚なメイドさんを空想したことを、心の底から後悔する。  しかしそんな見る者の感情などどこ吹く風で、その世紀末男はお洒落で落ち着いた店の雰囲気を台無しにしながら、ノシノシとゲジ河童のテーブルへコーヒーを運んだ。奴がビックリして腰を浮かせたのは言うまでもない。 「なんだ君は。これはいったいどうなっているんだ」  声を震わせるゲジ河童の前に、世紀末男は慇懃にカップを置く。 「ご注文のコーヒーです」 「いらん。俺は帰る」  この期に及んでも自分は店員より偉いと思っているらしい。このいかにも無法者な男にも居丈高に言ってのけるのは、さすがゲジ河童といったところか。しかしここは髑髏十字の直轄する、無法者喫茶だ。人界のルールは通じない。ゲジ河童の態度に世紀末男はむしろ嬉しそうに冷たく目を光らせる。 「ああ? じゃあ、てめえはここに何しに来たんだ」  なめまわすようにゲジ河童の奴に顔を寄せ、低い声で凄む。その迫力に、さしものゲジ河童も黙り込み、おとなしく椅子に座りなおした。 「さあ、飲め。俺の淹れた特製コーヒーだぞ」  世紀末男は腕を組んでゲジ河童を見下ろす。そのまま動かない。  マッチョな無法者監視のもと、居心地悪そうにゲジ河童はコーヒーのカップをとった。その手が遠目にもわかるほど震え、黒い液体が少しテーブルにこぼれるのが見えた。  キウラさんがケケケと喉の奥で笑う。 「本当にあれを飲めるんですかねえ」 「私、あれの中身って知らないんですけど、本当は何なんですか」 「裏のドブからすくってきた水」  ドブ水をすすったゲジ河童は、しかめっ面をしてから立ち上がった。 「お勘定!」  あくまで尊大な態度の奴に、世紀末男が一切れの領収書を差し出す。その紙を覗き込んだゲジ河童の目が大きく見開かれ、たちまち顔が赤くなった。 「十万だと? 何だこの金額はっ!」  ついに怒鳴りだした。私の職場の人たちを恐れさせ萎縮させてきた怒鳴り声。引田さんはじめ数多の善良なスタッフたちを泣かせてきた、その汚い叱責の声。しかし、それに動じる者は今この場にはいない。詐欺だ犯罪だとわめき散らし詰め寄る奴の声を、世紀末男の分厚い胸筋がまるで鉄の壁のようにはね返している。さすが無法者。腕組みしたままニヤついて、余裕しゃくしゃくだ。 「こんな金額払えるか。あとで訴えてやるから、覚悟しておけよっ!」  威張った口調でゲジ河童が叫んだ、その時だった。店の厨房から、また人が姿を現した。一……二……三。三人の人。そのどれもがトゲトゲのチョッキを着、マッチョな胸筋と腹筋をさらし、頭をモヒカンできめていた。最初のひとりと違うのは、手に手に棘のついた棍棒を持っていること。新たに三人の武装した無法者だ。これで店内は救いようのないほどに世紀末感で満たされる。哀れお洒落な喫茶店はあっという間に、水しか出さぬ荒涼とした場末のバーになり下がった。 「な、何する気だ。俺は客だぞ」 「やかましいわ、このクソが!」  ゲジ河童の必殺「俺は客だぞ」を、大音声が遮る。それは最初の世紀末男の発した怒声だった。その声の大なること、雷鳴のごとし。天をつんざく天神様の怒りもかくやの声で、ゲジ河童を圧倒した。  怯えた表情になってたまらず逃げ出そうとするゲジ河童。テーブルや椅子にけっつまづきながら、私たちの待つ出口へと向かってくる。 「そこをどけ。女ども!」  どくもんか。私はキウラさんとともに奴の前に立ちはだかる。目を血走らせ額に血管を浮き上がらせた奴を見つめる私の脳裏に、奴に虐げられた人々の面影が浮かぶ。まったく悪くないのに理不尽に奴に怒鳴られ、懸命に謝るスタッフさんたち。休憩室の隅で背中を丸めてむせび泣く引田さん……。激しい怒りが腹の底から湧き上がり、頭が熱くなる。みんな見ていて。これが、あの腐れ外道老人、ゲジ河童の末路よ。  私は手にしたバラ鞭を振りかぶり、思いっきり地面に叩きつける。 「うるっせぇ。威張り散らしてんじゃねえぞ。何様だこの野郎!」  ゲジ河童がヒッと悲鳴をあげて飛びのく。しかし逃しはしない。私はすかさず二撃目を繰り出す。バラの茎のように棘だらけの太い鞭が、今度は奴の身体にクリーンヒットする。ゲジ河童が情けない悲鳴を上げる。 「ざまあみろクソが! みんなの痛みはこんなものじゃなかったんだぞ。もっともっと痛めつけてやる。肉体的にも精神的にも。この死にぞこないのゴミが。でも殺さないよ。死んだほうがいいという思いを味あわせてやる。お前の残りの人生ずっとな」  憎しみを込めて言いながら私は、身をよじらせるゲジ河童に、何度も何度も鞭を振り下ろした。奴の服が裂け血が飛ぶ。冷たい笑いが喉からこみあげる。ざまみろ。苦しめ。まだまだ。もっと泣け。叫べ! 「よし。真子の姐御。ここからは俺たちの番だぜ」  マッチョな世紀末男たちが、床に転げたゲジ河童の頭をつかんで立ち上がらせ、取り囲んだ。  今度は言葉責めだ。四人の無法者が寄ってたかって奴の上に雷をおとす。語彙力はともかくその勢いはすさまじく、ゲジ河童に反撃の隙を与えない。迫力満点のビジュアルと怒声と罵詈雑言の嵐に叩きのめされたゲジ河童は、やがて、地面にうずくまって動かなくなった。

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