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 無法者喫茶にとらわれたゲジ河童のその後をお話ししておこう。  奴は四人のヒャッハーなマッチョたちに縛り上げられてさんざんに罵られた後、あの喫茶店の皿洗いに任じられた。もちろん普通のバイトではない。更生しない限りは二度と外の世界に出られない、悪魔の就職だ。住処は地下牢。誘拐とか監禁とか強制労働とか、完全に犯罪なんだけど、この組織のやることはなぜか罪に問われることがない。少なくとも組織の誰かが逮捕されたなんて話は聞かないし、私たちのところにお巡りさんがやってくることもない。  とにかく、ゲジ河童は毎日怒鳴られどつかれながら皿洗いに励んでいるらしい。ちなみに、無法者喫茶『無頼亭』は、ちゃんとお店として営業もしている。もちろんお客にはちゃんとしたコーヒーを出している。四人の世紀末男たちは見た目は悪漢だが、中身はみんな気立てのいい紳士だ。ただし、ゲジ河童のような横暴な人間には容赦しない。  ゲジ河童の件の後も、私はキウラさんと組んで髑髏十字の仕事にまい進した。  煽り運転常習者の車のタイヤに穴をあけてまわったり、パワハラマナー講師に無法者喫茶でマナー講習させたり、とあるブラック企業を壊滅させたり。非常に充実した日々だ。特にブラック企業壊滅作戦は大規模なもので、幹部と呼ばれる人の指揮のもとに大勢のメンバーと力を合わせて任務を遂行した。  どんな犯罪行為もお咎めなしの組織のくせにやることがせこい、などと言うなかれ。仕組み上、殺しさえも可能とのことだが、それをやった者はいまだかつて一人もいない。理由を尋ねると、キウラさんは世にもいやらしい笑みを浮かべて言った。 「だって、それじゃあ、ちっとも面白くないじゃないですか」  私は調子にのった幸せ者が突き落とされてむせび泣く姿が見たいんです。……などと弁護しようのないゲス発言をしてから、しかしついでのように付け足した。まあ、任務の後、標的が消息不明になることはたまにあります、と。  任務が成功すると、不思議なことに必ずてんとう虫がどこからともなく飛んできて、私たちの差し出す指にとまった。そのたびにキウラさんはそれを捕まえて、大切に虫かごに収める。訊くとそれは幹部をとおして髑髏十字の本部へと送られるらしい。送られてどうするのかは教えてもらえなかった。本部でてんとう虫を収集してるとかだろうか。意味が分からん。意味は分からぬがそれは組織員の大事な義務のようで、どんなに差し迫った状況でもキウラさんがその作業を怠ることはなかった。  任務後てんとう虫を送る以外の義務はないが、報酬はもらえる。一体どこから出ている金かはわからぬが、ありがたい。ブラック企業壊滅作戦のあとは、プレゼントももらった。それはお香だった。花の形に練られた、ピンク色のお洒落なアロマ香。とてもいい香りがする。不思議な香だった。その香りをかいでいると、とても幸せな気持ちになる。嫌なことはすべて忘れて、これからいいことばかりがあるような、前向きですがすがしい気持ちになれる。今この時間を心から落ち着いて楽しめるような気持ちに。なんてすばらしいお香だと思う。これを手に入れるためなら、きっと私はどんなことでもするだろう。  組織からご褒美をもらった翌日、私はキウラさんと連れだって劇場に来ていた。観劇にではない。もちろん任務だ。  この日のターゲットは今日女優としてデビューするある人物。その初舞台を台無しにすることが今回の目標だった。 「葉山詩織。二十八歳。資産家葉山家の一人娘。幼いころより眉目秀麗にして才気闊達。東大の医学部に受かり、卒業後は弁護士の資格も取得。ミス日本でグランプリを受賞。二年前に衆院選に出馬し当選。先月議員を辞職し、女優に転向することを発表」  標的のプロフィールを読み上げてから、キウラさんは盛大に舌打ちをした。 「いけすかねえ女だ。せめて地獄に落ちろ」 「しっ。周りの人に聞こえますよ」  朝から興奮気味のキウラさんをなだめながら、私は左右に視線を走らせる。ここは都心の由緒正しい大劇場だ。私たちが今いるロビーは大勢の観劇者でごった返していた。大入り満員。この舞台の注目度と標的の人気の高さがうかがえる。通勤時の駅のホームみたいに込み合い騒がしいので、特定の誰かの声が聞きとがめられるということもなさそうだ。私たちに目を向けている人は誰もいない。大丈夫そうだ。ホッと私は息をつく。 「なんでそんなに冷静でいられるんですか、真子さんは。悔しくはないんですか。奴が手に入れてきたもののうちのどれか一つを手に入れるために、人はどれだけ苦労をし、挫折をすることか。その全部をこともなげに手に入れるなんて、許しがたい人間です」 「そりゃあ、悔しいし腹立つけど……」  幾分小声になったキウラさんに、私も小声で返す。悔しいに決まっている。同じ年齢の女なのに、なんでこんなに違うんだろう。お金持ちの家に生まれ、頭がよくて、望んだものは何でも手に入れて、目指したことは何でもかなう。世の中の不公平を具現化したような女。私はこんなにも惨めでみすぼらしくて自信がなくて、日々生きるのが精一杯なのに。同じ人間なのに。私だけじゃない。キウラさんの言うとおり、頑張って頑張って、努力して努力して、それでもそのどれ一つとして手に入れられない人が大勢いるというのに。そんなのってありか、と思う。あまりに私と違う。違いすぎて、腹が立つのを通り越してしまった。世の不公平も、ここまでくるといっそすがすがしい。  喉の奥に笑いがこみ上げて、クククっと私は声を漏らした。キウラさんが不審げに眉をひそめる。 「どうしたんです。突然気持ち悪い笑い方して」  あんたに言われたくないよ……というセリフは飲み込んで答える。 「もう、本当にこんなクソ世の中、無茶苦茶になってしまえって、思ったものだから」  暗い衝動が私の胸をわしつかむ。まどろっこしいマネなんかしないで、いっそ何もかもぶっ壊してしまいたい。みんなみんな、消し飛ばされてしまえばいい。葉山も。そいつをちやほやする奴も祝福する奴もみんな。 「あれ? 阿久津さんじゃない」  破壊的な妄想にのめり込みそうになったその時、背後から名前を呼ばれて、私は思わず飛び上がった。悪だくみの現場をお巡りさんに見つかったみたいな気まずさに、思わず冷や汗が噴き出る。反射的にごめんなさいと謝りそうになって、あわててそれを思いとどまる。焦るな私。まだ何もしてないじゃないか。それにしてもいったい誰だよ。驚かせやがって。  勝手に腹を立てながら振り返った私は、そこで再び飛び上がる。そこに立っていたのが、南条君だったから。  覚えておいでだろうか。南条君とは、初回に登場した、私の幼馴染にして想い人である。あの時は言葉を交わすこともかなわず私は退場したのだった。去り際悔し紛れに私が作った激マズシャンパンの餌食に、彼がなったのかどうかはわからない。  私のテロ行為によって台無しになった同窓会のことなど匂わせもせずに、南条君は爽やかにほほ笑みながらきいてきた。 「久しぶりだね。しかし珍しいところで会うもんだ。舞台に興味あったの?」 「ええ。友達に誘われて。今日はおひとり?」 「うん。ちょっと、仕事でね」 「ほんと、久しぶりだよね。ちょっと見ない間に、また背のびた?」  テンションがあがって声がちょっと高くなっているのが自分でもわかる。いかんな。私としたことが、いい年こいて恋する少女みたいにうきうきしているよ。相手は婚約者がいて、たぶん私のことなんか歯牙にもかけていないのに。  キウラさんが冷やかすようにニヤニヤしながら私を見ている。どうせ卑猥なことでも考えているんだろう。残念でした。私の彼に対する想いは、あなたの考えるような破廉恥なものじゃないんだ。もっと純粋でプラトニックなものなんだよ。私は彼女を無視してなおも南条君に言葉をかける。まだ、離れたくない。久しぶりに会ったのだから。もうちょっと。 「南条君は葉山さんのファンなの? 仕事って、どんなことをしてらっしゃるの?」  そのとき、キウラさんからわき腹をどつかれた。振り向いた私に彼女は目配せをし、顎で劇場の奥をさす。いつまでものろけてないで仕事しろ、という合図だ。 「ごめんね、南条君。私、そろそろ行かなきゃ。友達を待たせているから」 「ああ。会えてよかったよ。君のことは気にしてたんだ。元気そうで良かった。じゃあ、またね」  キウラさんから腕を引っ張られ、私は半ば強制的にその場から引きはがされた。後ろ髪を引かれる思いとはこういうことか。数歩引きずられてからなおも未練がましく振り返ったものの、南条君の姿はロビーの人ごみの中に紛れてもう見つけ出すことはできなかった。 「あなたにも好いた男がいたとはねえ。鏡で見せてあげたかったですよ。さっきのあなたの顔。十代の乙女みたいにほっぺを赤く染めちゃって。なんと破廉恥な。このムッツリ桃色娘」  嬉々として毒を吐くキウラさんの弾んだ声も、この時ばかりは私の耳に入ってこなかった。私の脳にはただ、さっき別れたばかりの幼馴染の発した短い言葉だけが、何度も何度もリピートされるばかりだった。  君のことは気にしていたんだ。元気そうで良かった。  ふと鼻の奥を、組織からのご褒美のあのアロマの香りが吹き抜けていった気がした。  さて、肝心の任務である。  我々は葉山に関するある情報を入手していた。それは彼女が選挙活動中から愛用している品についてだ。それは声枯れ防止の、喉に吹きかけるスプレー。それをこの舞台にも持ち込んで使用するつもりらしい。どちらも声を出す仕事であるから、なるほど道理である。  私たちの作戦は、そのスプレーを別のものにすり替えるというものだった。危ない物ではないので心配するなかれ。毒とか劇薬とかそういうたぐいのものではないから。ただ、吹きかけてからしばらくは素っ頓狂な世にも奇妙な声しか出せなくなってしまうだけだ。何千もの観客から注目される舞台上で、声を発した瞬間、その奇怪さに戸惑い羞恥に悶える主演女優の姿はさぞかし面白かろう。  首尾よく標的のスプレーのすり替えに成功した私とキウラさんは、二階席の最前列に陣取り、その瞬間をワクワクしながら待った。  ブザーが鳴り、騒がしかった大ホールがサッと静まる。照明が落とされ客席が暗くなり、幕が上がった。明るいスポットライトを浴びた舞台。そこに中世ヨーロッパの服を着た数人の男女が現れ、演技をはじめる。やがてそこに、ドレスに身を包んだ主演女優が登場する。マリー・アントワネット……じゃない。葉山だ。  舞台中央に立った葉山は夢見がちな目で場内を見渡し、そして大きく息を吸う。  来た!  私とキウラさんは同時につばを飲み込む。ほれほれ、完璧女よ。衆人環視の中、奇声を発して恥をかくがいい。人生初の挫折をとっくと味わうがいい。  私たちの悪意ある視線に見守られながら、哀れな主演女優はその第一声を発した。  その声は、鈴の音を鳴らすようで、ちょっとハスキーで……全然、変な声ではなかった。私とキウラさんは顔を見合わせる。戸惑ったのは私たちの方だ。葉山は奇声を発することもなく、何事も無いように劇は滞りなく進行していった。どういうことか理解できなかった。確かに、私たちはあいつのスプレーを特製面白変声スプレーとすり替えたはずなのに。しかし、目の前の葉山の演技が無情にも私たちに思い知らせていた。任務は、失敗したのだ。

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