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 お忘れの方は多いと思うが、恵子は初回に名前だけ登場した、私の同窓生。そして南条君の婚約者である。  恵子のことはよく知っている。高校の頃、彼女と私は同じクラスにいたから。私とは違って明るくて活発で華やかで、クラスの人気者だった。吹奏楽部の部長で成績も優秀。女子の信望は厚く、男子からはモテモテ。だけど私はあまり話したことはない。あまりに眩しくて、私には近寄りがたい存在だったから。あんまりそばにいたら、太陽の光を浴びた吸血鬼のように灰になってしまうのではないかと私は彼女を恐れた。私には、彼女を妬み嫉み、ひがむのが精一杯だった。いつも薄暗い教室の隅から彼女を見つめ、どれだけの暗い妄想にひたったことだろう。彼女の太陽のような笑みを歪ませる妄想を。想像の中で彼女が階段から滑り落ちた回数はゆうに百を越える。  しかし私の怨念は全く効を奏さず、恵子は人気者であり続けた。そして南条君と付き合うに至る。春の同窓会の時、彼女が南条君と婚約したということを聞かされたとき、ショックではあったが、納得もした。彼女はそういうキャラだ。常にスポットライトを浴び、常に最良のものを与えられる。私とは正反対の、世の中から愛されたキャラ。  その恵子もまた星乃雑貨店のエージェントである……ということを、私は土手道から雑貨店までの道すがら、南条君と梨々香から教えてもらった。諜報活動に秀で、組織の情報収集を担っているらしい。二階堂さんが言っていた情報係の女とは、彼女のことだったのだ。  その恵子が、南条君の妹、理絵さんの捕らえられている場所を突き止めた。そして、星乃雑貨店に帰還しそれを伝えた後、すぐに一人で救出に向かってしまったという。本来作戦を立て、仲間で協力するべきところだろうに、そんな拙速な行動に出たのには理由があった。 「あんたのせいよ」  雑貨店の居間で卓袱台を叩きながら、梨々香が私を責めた。 「ジョーがあんたを連れ込んで、あんたを巡ってあたしたちが揉めてるって、知っちゃったから。素性の知れない怪しい奴を巻き込んだら不測の事態が起こるかもしれない。幸い、敵の警備は手薄のようだから、自分一人のほうが、身軽でいいって……」  表向き神妙に小娘の言葉を聞きながら、しかし内心私はほくそ笑んでいた。 (こいつはいい)  私の腹の底に巣食う悪魔が、嫌らしく口をほころばせる。うまい具合にさっそくひとり、罠にかかってくれたと。しかもそいつは、一番邪魔なやつだ。  私は高校時代の恵子のいた風景をつまびらかに思い出す。いつもいつも、ちやほやされて笑っていた。手が届かなくてうらやましくて、妬ましい存在。彼女が何かを手に入れるたび、成功をおさめるたび、賞賛されるたび、どんなに私は悔しさに唇をかんだことだろう。妄想の中でだけあいつを跪かせ、暗い喜びにひたり、ハッと我に返っては現実とのギャップに傷つく。そんな不毛な時間をどれだけ過ごしたことだろう。  そいつが今、私の手のひらの中にいる。生かすも殺すも私しだい。もちろん生かしてやるわけないけどね。計画通り、次はこいつを切り離したまま、捕らえて葬り去ってやるんだ。そうやって少しずつ星乃雑貨店の戦力を削いでゆく。まとまって行動すれば無類の強さを発揮するであろう彼らも、こうやって力を削ってゆけば、いずれその戦力は瓦解するに違いない。それこそ我が悪の参謀キウラが立案した、「死神の鎌作戦」。……ネーミングに特に意味はない。  さきほど土手道で抱きかけた神妙な気持ちはどこへやら。血の池地獄の泡のように沸きあがる笑いをこらえ、私はみんなに訴えかけた。眉をひそませ、精一杯恵子の身を案ずるような表情を作って。 「恵子さんの行動は正しいです。今、理絵さんはある空き家の一室に囚われている。ついている髑髏十字のメンバーはたったひとり。派手な行動を起こせば、すぐに察知され、より厳重な警備のもとにおかれてしまう。今のうちに隠密行動で奪い返すのが最良の作戦です。ここは彼女を信じましょう」  鼻をすすり、目には涙さえ浮かべた。我ながら熱演。鏡で自分の顔を見たらきっと噴き出してしまったことだろう。この腹黒女が。下衆い本心を隠してよくもまあ、そんな誠意あふれる乙女の顔をつくったもんだと。  私が口を閉じても、発言する者はいなかった。二階堂さん。梨々香……。私に反発すると思われた二人も黙したまま、電灯の明かりの落ちる卓袱台を見下ろしている。彼等がすぐに反論しないということは、半ば私の意見を受け入れているということか。馬鹿な奴ら。恵子の次はあんたたちだよ、ククク……。そして邪魔者たちをみんな血祭りにあげた後、私はめでたく南条君と結ばれるんだ。  それにしても静かだ。柱時計の時を刻む音だけがカチカチと鳴っている。窓の外はもう暗い。この重苦しい空気からはやく逃れたくて、私はこの集まりのお開きを南条君に促そうとする。 「ねえ、南条君……」  ここは待つということにして、今日はもう帰りましょう……。そう言いかけて、しかしその台詞は喉の奥にすっこんでしまった。  南条君がとても……とても苦しそうな表情をしていたから。はらわたを包丁でえぐられでもしたような、血を吐き出さんばかりのその表情に、私はヒッと小さな悲鳴を上げた。 「どうしたの南条君。大丈夫?」  言ってしまってから後悔する。ああ、なんて馬鹿なことをきいたんだ私は。  大丈夫なわけがないことは一目瞭然だ。そしてそれは私も同じだった。南条君の悲痛な表情に、私の心は打ちひしがれる。それは彼がいかに恵子の身を案じているか、強烈に表していたから。思い知らされてしまう。彼にとって恵子がどれだけ大切かということを。たとえ彼女を葬り去ることができたとしても、きっと南条君の心が私を向くことはないのだろう。 「僕は、いくよ」  南条君は決然とそう言って立ち上がった。 「だが、少数で行動すべきというマコの意見には賛成だ。だから、君たちは残ってくれ」  彼の意見に反対する声はあがらない。私も、黙ってうつむいている。彼を行かせるわけにはいかない。そうしたら恵子を捕らえる難易度があがるし、彼に何かあったら私のこの組織での拠り所がなくなってしまう。だけど……わかってもいた。彼がこういう行動に出るであろうということを。彼がそういう人であることを。苦難に直面している者を、つらい目にあっている者を放っておけずに寄り添おうとする。そういう人だからこそ、幼い私の光となってくれたんだ。そんな彼だから好きだった。だから今、恵子をひとり危険にさらすまいとする彼を、止めることなんかできなかった。  まったく、あんたって人は。  私はうつむいたまま、歯を食いしばって立ち上がる。そして南条君に、彼に劣らぬほどの強さで宣言する。 「私も、いく」

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