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 都心のとあるホテルの喫茶室に、彼は指定通りひとりでやってきた。 「あ。南条君。こっちこっち」  窓際の席で日本庭園の池に浮かぶ白い光の流れを眺めていた私は、立ち上がって手をふる。しかし彼は不機嫌そうな仏頂面を崩すことはない。当然だ。最愛の妹をさらわれたのだから。その下手人の一味に笑顔なんか向けられるわけがない。だけど私は、そんな彼に少しでも心をほぐしてもらいたくて、あらんかぎりの愛想を込めて、媚びるほどにニコニコする。任務のためじゃない。彼のこんな顔は、見たくないから。  しかし私の気持ちは通じないようだ。 「ニヤニヤしやがって。こんなことをしておいて、よくもまあ……」  彼の広い額に青筋が立つ。いかん。逆効果だったか。 「待って待って。誤解だよ。私は敵じゃない。話を聞いて」  すると南条君はジャケットの裏ポケットから、一枚の紙切れを取り出した。それが何か私にはすぐにわかった。私達が彼の妹さんをさらったあと、彼女の部屋に残しておいた手紙だ。 「『妹を返してほしくば、九月某日午後三時に、Xホテルの喫茶室にひとりでこい。おかしな真似をするな。さすれば大事な妹の命はないと思え』。こんなことをするやつのどこが敵じゃないというのだ、髑髏十字。ちゃんと誰にも言わずひとりで来たぞ。いいからとっとと妹を返せ」  こうやって改めてきいてみると、キウラさんの書いた脅迫文は救いようのないほどに卑劣だ。私のなけなしの全良心が疼き、羞恥のあまり窓ガラスにガンガン頭をぶつけたくなった。 「まずは落ち着いて、座って。すみませーん。店員さーん」  私は彼をなだめて座らせてから、コーヒーを注文するふりをしてオロオロと店内を見渡した。橙色の光のポツポツと灯るブラウンを基調としたレトロな空間の隅に、旅行者に扮した黒川黒田ペアの姿を見つける。黒川さんは私と目が合うと、苦虫を噛み潰したように顔をしかめる。お前がまず落ち着けと言っているのだろう。一方黒田さんはといえば、私たちのことはガン無視で、特大フルーツパフェを夢中になって貪り食っている。やる気あんのか、こいつは?  ええーい、どうにでもなれ。  私は悪魔に祈りを唱えてから勢いよく身を乗り出して、向かいの席の南条君に顔を寄せた。周囲に聴こえないよう声量を絞り、火に炙ったポップコーンのごとくポンポンまくしたてる。 「いいから聞いて。私はあなたの味方なの。前々から髑髏十字のやり方には疑問をもっていて、今回の誘拐事件で堪忍袋の緒が切れた。あんな組織、もう嫌だ。私はあなたのために何かしたい。妹さんを救いたい。だからあなたの組織に私を入れて。きっと役に立つから」  我ながらなかなかの熱弁だ。熱くなりすぎて、気がつくと彼の胸ぐらをつかんでいた。そんな私を彼はキョトンとして見つめている。その表情に気がついて、私は少ししまったと思う。どうやら彼を沈静化させるのには成功したようだが、これではまるで喧嘩をうってるみたいではないか。彼がドン引いてこのまま帰ってしまったらどうしよう。 「私を、信用……してくれない?」  私は彼のシャツから手を離し、急にしおらしく振る舞ってみる。上目遣いで遠慮がちに彼を一瞥し、顔を離しながら目を伏せる。その風情たるや、おそらく「ネェ~ン。私のこと嫌い?」などと鼻声でほざきながら男心をくすぶろうとする媚び女の如くであったろう。俗物共めと普段見下していた者たちのように振る舞っていることは不本意極まりないが、致し方ない。そして、彼女らも今の私と同じような必死さで媚びていたのだとしたら、そんな人たちになんだかちょっと親近感を覚える。  それはそうと、南条君である。当初の怒りをとりあえず鞘に納めた彼は、神様に祈らんばかりに手を組む私を、冷静なまなざしでしばらくみつめた。彼の中では今きっと、二つの感情がせめぎ合っていることだろう。私を信用し、味方に引き入れるか。それとも私を受け入れるくらいなら大事な妹を危険にさらしていた方がましと、拒否するか。  彼が選択したのは後者だった。 「妹を返してほしい。でも、君を我が組織に入れることは……できない」  祈りのポーズのまま固まっていた私は脱力して、倒れ込むようにテーブルに突っ伏す。私の一世一代の媚び、実らず。こうなってみるとさっきのなりふり構わぬ必死さがかえって恥ずかしい。っていうか、そんなに私を受け入れられないか。妹の命がかかっているんだぞ。  この野郎。だったら望み通りお前の妹はひどい目に遭わせてやるぜグヘヘ……。などと開き直ろうとする衝動をぐっとこらえ、私は無理やり笑みをつくって顔をあげた。 「わかった」  笑みが般若の面のように歪んでいないことを祈る。あまりの必死さに怪しまれたのかもしれない。ここはせめて潔い女を演じて、格好つけてごまかそう。もう手遅れかもしれないが。 「しょうがないよね。私なんかが今さら信じてもらえるわけないよね。ひどすぎるもんね。ごめんね、南条君。私、この紙をおいて消えるね。妹さんの居場所はここに書かれてるから。ただ……」  バッグから一枚の紙を取り出しかけて、しかし私はそれをまた戻す。 「せめて最後に、駅まで、おくってよ。それでお別れ。もう二度とあなたの前に姿を現さないから」  さしもの星乃雑貨店の精鋭も、この恵まれない地味女に一片の哀れみはあったようだ。背を丸めてトボトボと喫茶室をあとにする私に、南条君はしぶしぶながらもついてきてくれた。  ホテル前のイチョウ並木には、九月の明るいがどこか寂しげな陽が散っている。イチョウの葉がサワサワと軽やかにささやくたび、木漏れ日がキラキラとまたたく。南条君と並んで歩きながらそんな光景を眺めていると、はからずも幼い頃のある日々を思い出してしまう。 (あいつらひどいこと言うよな。でも安心しろマコ。俺はちゃんとお前がいい奴だって知ってるからな)  ふと隣から、小学生のころの懐かしい彼の声がきこえた気がした。私は驚き耳を澄ませるものの、振り向くことができずに、ちょっと顔を伏せ、声にならない声で彼に語りかける。  そう。君はそういう人だった。子供のころ、学校で馬鹿にされてしょげている私を、君はいつも慰めてくれた。学校からの帰り、こんなふうに一緒にイチョウ並木を歩いたよね。君は私を少しでも笑わせようと、冗談を言ったり、本やテレビで知った面白い話をきかせてくれたりした。家でも居場所のなかった私には、あの時間が……君と家までのイチョウ並木を歩いたあの時間だけが、心から楽しいと思える時間だった。親に虐げられ、学校でもいじめられていた私の、君は光そのものだったんだ。 「ねえ。ジョー」  私はつい、昔のように彼を呼んで隣をうかがってしまう。私の横にいるのは小学校時代の優しい顔の彼ではなかった。苦痛をこらえるように眉間にしわを寄せて前方をキッとにらみつける、黒スーツの男の人。まるで知らない人のようだった。正義の味方、星乃雑貨店のエージェント。きっと全世界の善良な人々に対しては、昔のような彼らしい優しさと笑みを注ぐのだろう。だが、それは私にとっての彼ではなかった。どんなに世の中が私に背を向けても私に寄り添ってくれた彼は、もうそこにはいない。 「おうおう。ちょっとそこのお二人さんよー」  突然正面におどりでた二人組によって、私のしょっぱい回想シーンは幕を閉じた。 「なんだ、君たちは」  一歩踏み出した南条君を押しのけるようにして、二人は私の前に立ちふさがる。 「男には用はねえ。用があるのは、そこの女よ」  そう言いながら私に詰め寄ってきたのは、変装したブラックシスターズこと黒田黒川ペアだった。二人とも穴の開いたジーンズをはき、ジャラジャラと金属の輪っかをぶら下げた黒い革ジャケットを身にまとっている。付け髭をつけサングラスをかけて人相がわからぬようにしているが、それがかえって平穏な街角に無用な存在感を強烈に放つ。頭には麦わら帽子。どんなセンスだ。都心の洗練された紳士淑女の行きかう、この初秋の穏やかな午後の風情を、台無しにしていることは言うまでもない。  こいつら頭は大丈夫か、という私の心配をよそに彼女たちは元気いっぱい。その見た目通りのチンピラ感を惜しげもなくまき散らしながら、嬉々として私に突っかかってきた。 「やい、阿久津真子。てめえ、うちの組織抜けようなんて、そんなことできると思っているのか」 「組織の秘密を知った者を、生かして外の世界に出すわけにはいかない」 「そうだそうだ。ただで済むと思うなよ。お前にはこの場で消えてもらう。覚悟しろ」  身構えて後ずさる私の首筋に、一筋の冷や汗が伝う。彼女らの迫力に圧倒されたからではない。あまりの演技の下手くそさに恐れおののいたからだ。棒読みが過ぎるぞブラックシスターズ。声も態度もぎこちなさすぎる。これじゃあ、南条君に怪しまれてしまうじゃないか。  私は彼女たちの失態をカバーするべく、己の女優魂に火をつける。眉をひそませ毅然とブラックシスターを見据える。その瞳には悪の組織を抜け正義に身をささげようとする女性の、強い意志と希望の光が燦然と輝いていることだろう。いいかよく見ろブラックシスターズ。演技とは、こうするものぞ。 「くっ。シツコイゾ髑髏十字メ。私ハモウあんな組織にハ戻ラナイ。邪魔ヲスルナラ返り討ちダ。私ハお前たちナンカこわくないゾ」  しまった。演技、失敗。力が入りすぎて、ブラックシスターズ以上のぎこちなさを演出してしまった。黒川さんの眉が逆立ち、こめかみに青筋が立っている。下手くそ! と今にも怒鳴りだしそうな剣幕だ。 「……覚悟は、できているようだな」  そうとだけ言って、彼女はジャラリと一本の鎖を革ジャケットの内側から取り出した。  これは、もちろん本気の戦いではない。作戦のための演技である。ブラックシスターズが南条君の前で私を襲い、私は彼女と戦う……ふりをする。それを見た南条君は私が髑髏十字と縁をきったと思って信用してくれるだろう……という筋書きだ。  とにかく、南条君に私がもう髑髏十字の人間ではないことを印象付けられればそれでよかった。だから、私は戦闘に関しては本気ではなかった。あくまで戦うふりだ。私はブラックシスターズを傷つけるつもりはないし、彼女たちも手加減してくれると思っていたのだけれど……。 「むんっ!」  気合一声、黒川さんが振り下ろした鉄鎖が空気を割く。その殺気のこもった鋭さに、私は思わず飛びのいた。間一髪避けた私の、それまで立っていた地面に鎖が激突し、あわれタイルが砕け散る。さっきとは違う冷や汗が、だらだらと私の額を流れ落ちる。 「黒川さん? ちょっと待っ……」  制止する間もなく、二撃目が空を斬る。それも何とか避けた私は、地面を転げながら彼女と距離をとった。怖え。殺す気か。あんなの当たったら頭が砕けちゃうよ。  歩道に膝をついて相手の様子をうかがう。黒川さんは鎖をぶらぶら揺らしながらのしのしと近づいてくる。威圧感と殺気が半端ではない。髭をつけたサングラスの変装女子は、どうやら変なモードに入ってしまったようだ。ひょっとして私たちのあまりの演技の下手さにブチ切れて、戦闘パートだけでも迫真のものを見せつけねばと思ってるのか。いずれにせよ、あんなやつ相手にしてこんなところにむざむざ骸をさらすわけにはいかない。 「南条君。行くよ!」  私はブラックシスターズに背を向けると、脱兎のごとく駆け出して、イチョウの下に唖然と立ち尽くす南条君の手を取り逃げ出した。

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