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 窮地に突然現れた美女に手を引かれ、ランドリールームの奥の床下にあった抜け道から、私は首尾よくホテルの外へと脱出した。なんでそんなところに抜け道があるのか、その抜け道をどうしてこの女の人が知っているのかは謎である。 「私の名前は堂欄キウラドラキウラ。よろしくね」  新宿の雑踏を歩きながら彼女は名乗ってほほ笑んだ。季節は新緑眩しい五月。街路には爽やかな風が吹き、木漏れ日が明るく揺れる昼下がりなのだが、それにそぐわぬ不吉な笑みだった。肌の色は白いを通り越して青白く、いかにも不健康そうだ。目つきは鋭く冷ややかで、その赤っぽい瞳の色はどこか血液のそれを思わせた。おまけにコウモリの羽を継ぎ合わせたような黒いドレスを身にまとっている。女の吸血鬼がいるならこんな感じだろう。晴れ上がった空にも、気持ちよさそうに揺れる街路樹にも目もくれず、楽しそうに笑いさざめくカップルやら若者の集団とすれちがうたび、彼女は忌々しげに眉をよせた。 「あ……あの。助けてくれてありがとう。じゃあ、私、こっちなんで……」  その不吉な雰囲気に危うさを感じ、一刻も早く離れたくてそう声をかけたが、キウラさんは私の腕をつかんで離さない。 「まあまあ。そう、つれないことをおっしゃいますな。ここで会ったのも何かの縁。ちょっとお付き合いいただきましょう」 「でも……」  これが見目麗しい紳士であるならば誘われるのもやぶさかではないが、なにせ相手の垂れ流している雰囲気が尋常じゃなく怪しい。このまま唯々諾々と連れ行かれたが最後、本性をあらわにした女ドラキュラによってこの身が干からびるまで血液を吸いつくされるんじゃないか。……などと想像をたくましくし躊躇する間にも、つかまれた腕をぐいぐい引っ張られる。 「あの、困ります。私、この後予定が……」  なおも抵抗を試みると、キウラさんの青白い顔がにゅうっと私の目の前に寄せられた。大きな目をさらに見開いて直近から見つめられる。顔は笑っているけど目は笑っていない。怖い。 「危ないところを助けてあげたでしょう? ちょーっと私のお願いも聞いてくださいよお」  甘い声だが、有無を言わせぬ迫力があった。  おのれ女吸血鬼め。露骨に恩を振りかざしおって。これじゃあ抵抗のしようがないじゃないか。  ここに及んで私はこれは逃れられぬ運命であることを悟り、逃亡をあきらめた。それに、たしかに彼女のおかげで私は鬼畜同窓生どもからの引き回し及び磔獄門を免れたのだ。そうだ。この人は私をたすけてくれた人なんだ。そう悪いようにはしないだろう。そう、自分に言い聞かせて、私は彼女の要望に渋々うなづいた。  コウモリの飾りのついた馬車で連れ去られるのではと戦々恐々としたが、それは杞憂に終わった。普通に駅まで歩き私鉄に乗り込んだ私達は、二十分ほど電車に揺られた後郊外の街に降り立った。  新宿のにぎやかさとは打って変わった落ち着いた雰囲気の商店街を抜け、さらに閑静な住宅街の迷路のような道を二十分ほども歩いたところで、キウラさんは足を止めた。 「ここです」  そこは広い屋敷だった。高い生け垣に囲まれ、その向こうには杉の木立が並んでいる。まるで豪農のお屋敷といった風情だ。正面入口と思しき重々しい鉄格子の門扉の向こうに屋敷地の内部が見える。石畳の私道の奥にたたずんでいるのは、瓦葺きの館……ではなく、白い洋館だった。蔦の絡まったその館の屋根は鋭角にトンガッていて、その上にはさらに尖塔が乗っていて、その姿はまるで……。 「教会みたいね」  思わずそうこぼしつつ、私は少し身構える。ひょっとして宗教の勧誘かな。私、そういうのに入る心構えとかないんだけど。誘われたらどうやって断ろう……。 「ねえ。キウラさんって、キリスト教徒とかなの」  さりげなく探りを入れようとした私を振り返って、キウラさんは鼻で笑った。 「そんな、立派なもんじゃないです」  そして門を開き屋敷内へと足を踏み入れる。 「まあ、詳しいことは中で話しますんで。遠慮なくどうぞ」  遠慮ではなく本当に入りたくないんですが……とは思っても言えない。未練がましく門前でもじもじしていた私はキウラさんの赤い瞳に促され、最後の抵抗をあきらめた。  館の内部も、まあ、私のイメージにある教会のそれだった。がらんどうの広い空間に横長の椅子が並んでいる。椅子と椅子に挟まれた広間中央の通路の奥にステージ。そこにちょこんと置かれた演台に、背後の大きな窓から差し込んだ光が注いでいる。なんか、よくある教会もどきの結婚式場みたいだ。ただ、教会ならば必ず置いてあるはずの十字架もキリスト像も見当たらなかった。 「世の中は、不公平に満ちている」  ステージに立ったキウラさんは、演台に手をついて、いきなり演説を始めた。私はというと最前列の椅子の端に居心地悪く座って、ボケッと彼女の背後の大窓の向こうに広がる景色を見上げていた。よく晴れた空に浮かぶ雲は桃色に染まり、樹木の新緑の枝には橙色の光が散る。時刻はもうすっかり暮れ時にさしかかっているようだった。  早く帰らなければなあ、などと考える私を見据え、背後の景色ののどかさにそぐわぬ熱意で、キウラさんは話を続けた。 「生まれつき可愛らしい容姿だったおかげでちやほやされて、何をやっても肯定され、皆から好かれ評価される人間がいる。その一方で容姿に恵まれなかったばかりに愛されず、やることなすこと批判にさらされる人間がいる。よい血筋に生まれた者は労せず地位を手にいれ、底辺に生まれつけばそこから這い上がるのは至難の技。金持ちはますます肥え太り、貧しい者は貧しいまま。人を虐げて利益をほしいままにする人間が何のむくいも受けぬのに、善良な人間は損ばかりを被る。生まれ落ちた瞬間に万人から祝福される命がある一方で、望まれずに生まれ捨てられる命もある。何をやってもうまくいく人間もいれば、やることなすことうまくいかない人間もいる。努力で夢は叶うなどと言う人間もいるが、何を寝ぼけているんだと言いたい。そんな人もいるにはいるだろうが、それはごく少数だ。世の中の大多数は、そんな、個人の努力でなんとかなるほどのフィールドにも立たせてもらえないのだ。親ガチャ、容姿ガチャ、地域ガチャ……。それでもめげずに努力して努力して、そして報われない人のなんと多いことか」  キウラさんの声が震えを帯びる。その悲憤を表すように空にさす光が陰り、そのかわりに雲を染める紅色が強さを増した。 「私はこんな世の中が許せない。このクソみたいな世の中の、クソみたいな不公平は是正されるべきで、我々はそのために小さくとも力を尽くさねばならないと思うのです」 「でも、どうやって……」  思わず問いを発してしまってから、私はあわてて口をつぐんだ。しまった。適当にやり過ごそうと思っていたのに、ついつい彼女の勢いにのせられてしまった。たしかに、今の世の中が不公平だらけのクソだということには異論がないから。でも、私は変な活動に巻き込まれたくはない。そっとしておいてほしいんだ。  黙して薄暗い部屋の隅へと逃れるように縮こまる私を、キウラさんは我が意を得たりといった表情で見つめた。その視線は蛇のごときねちっこさをもって私をからめとろうとする。なんという眼力。なんという執着。この人に目をつけられたことを今更ながら私は後悔した。このまま彼女の望むまま、きっと私は地獄まで引きずり下ろされてしまうのではないか。これならあのホテルで同窓生の晒し者にされて生き恥をかいていたほうがましだったのでは。 「共感してくれますか。さすが私が見込んだお方だ」  こっちはそのつもりはない、と言いたいが言えない。 「できるのです。私たちなら。もちろん不公平を全くなくすことなどできません。しかし、抵抗することはできる。いい思いをしている奴らに一矢報いる。幸せを謳歌している奴から幸福を少し取り立てる。この世の大きな不公平に微力ながら抵抗する。それが、我が組織、髑髏十字の使命です」  髑髏十字。その組織の名を唱えたキウラさんは胸を張り、その胸に右手をあてて目を閉じた。どうやら演説は終わったようだ。  私は音をたてないように気を付けながら椅子から立ち上がろうとする。この隙に、そっと出口に向かい、ダッシュで逃げよう。どうか我が組織に入って力を貸してほしい、などと言われる前に。 「どうか、我が組織に入って、力を貸していただけませんか」  突然目を開いたキウラさんに、静かにそう言われて、私は思わず飛び上がった。 「で……でで、でもでも、私、そんなに仕事できないし。ドジだし、間抜けだし、不器用だし……」  自分に対する悪口がするすると出てくるのは悲しい。だけど、事実だ。何をさせられるのかわからぬが、不器用ものの私に勤まることとは思えない。私は今の生活でもいっぱいいっぱいなんだ。 「そうですか……」  意外にもキウラさんはそう寂しそうに言って下を向いた。 「我々の仕事は、無邪気な幸福者には勤まりません。人の世の悲しみを知っている者でないと。あのホテルであなたをみて、ああ、この人なら、と思ったのです。あなたには、故なく虐げられる人の気持ちがわかると思ったから。私たちの活動の原動力は、そこにあるのだから」  そしてしばらく沈黙してから顔をあげ、私に微笑みかけた。先程までの邪悪さの欠片もない、優しそうな、ちょっと悲しそうな笑みだった。 「無理にお誘いはいたしません。もし、興味が湧いたら、また来てください。いつでもここは開いていますので」  そう言って、ゆっくりと頭を下げた。

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