クールジャパン上等
クールジャパン上等(4)

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 午後の始業を知らせるチャイムを聴きながら、授業をサボるなんて初めてだ、と思った。他の学校ではどうか知らないが、少なくとも僕のクラスではアニメのように簡単に授業を抜け出す生徒はいない。  屋上のドアの横に座り、鮮明な光を映す青空を見上げた。汗ばんだ手のひらにはスマホがあるにも関わらず、何を見る気にもならない。自分の部屋以外の自由な空間だというのに。  ギギ、と錆びた音とともにドアが開き、僕は身構えた。ドアの影から姿を現したのは、O字君だった。 「やっぱりここにいたんだ」 「……なんで分かったの?」 「マリンちゃんも、何かに躓いたら立入禁止の屋上で佇んでいるよね」  O字君から意外な名詞を聞き、驚愕した僕はコンクリートに座ったままO字君を見上げた。 「O字君のようなイケメンも、あんなアニメ観るんだ?」 「あんなアニメって」  僕のセリフを復唱したO字君は苦笑を零し、僕を見下ろす。 「俺だって深夜アニメくらい観るけど。そうやって物事に線引きをしてアニメを馬鹿にしてんのって、君なんじゃないの」  意表を突かれた。丸めた背中が痛い。  O字君と僕の違い。僕は、O字君のように堂々とできない。好きなものを好きだと言えない。  あのさ、と僕の隣に立ったO字君は言う。 「E島達が君をパシっていたのは良くないと思う。それは、君の態度次第でどうにでも改善できる事だ。でも……」  夏の色を引き出した太陽が、さんさんとコンクリートに熱を与えていく。それらは日陰にまで伝染していくようだ。 「さっきの話だけど、E島とI田は、マリンちゃんやアニメの事を馬鹿にしていたわけじゃないと思う。珍しいから色々言っていたみたいだけど」  ざっと屋上に吹き抜けた風の中で、O字君の声がはっきりと聞こえた。僕は先ほどの事を反芻するけれど、上手く思い出せない。あの時抱いた感情は、怒りだった。他人をイライラさせてばかりの僕の中に、そんな感情があるなんて知らなかった。 「謝らなきゃ……」  僕はゆっくりと立ち上がる。 「僕は、ありもしない事に対して、怒った……」 「それは違うんじゃない」  O字君がじっと僕を見上げた。以前見たものと同じ、何にも屈しない視線。 「君の怒りは、さっきの事ばっかりじゃないだろ。一度ちゃんとあいつらと話してみた方がいいと思う」  そう言って、O字君は校舎内へと繋がるドアノブに手をかけた。  それができれば苦労しないよ。反論は喉元で引っかかったまま、僕は飲み込む事もできない。本当に? 本当にできないの?  その後、戻った教室では当然授業が始まっていたが、教師は小言をひとつ投げただけで、僕達は許された。クラスじゅうの視線を感じたが、隣の席のE島君は僕に顔を向ける事もしなかった。  脳内をマリンちゃんの事で満たして過ごした一日が終わりを迎えようとしていた。ようやくやって来た放課後、すぐさま席を立とうとした僕を引き止めたのは、昼休みから今まで僕の存在を無視していたE島君だった。 「たっきー、さっきはごめんな」  神妙な顔を浮かべたE島君の隣に、I田君も立った。 「俺もごめん。でも俺ら、別にアニメを馬鹿にしたわけじゃねーよ」  O字君が言っていた事を再現するように、二人は言い訳するように眉根を寄せた。  周囲からは、僕達のやり取りがどこに向かうのか、好奇心を含んだ視線が投げられてくる。僕は深く息を吸い込み、いつもは隙間風を受ける心臓を守るために丸くしていた背を、ゆっくりと伸ばして二人を見た。ふっと二人の表情が変わったように見えたのは気のせいだろうか。 「その事はいいんだ。僕も誤解をしていた。ごめんね」  僕の中に怒りが芽生えた理由。いくつも生まれた棘は、心臓から身体中へと行き渡ってしまった。何に対して悲鳴をあげているのか、僕すら分からなくなっていた。  だから、一つずつ棘を抜いていかなければならない。 「でもE島君、この前僕が買ったノート代、まだ返してもらってない」  僕が右手を差し出すと、E島君はばつが悪そうな顔を浮かべて、慌ててズボンのポケットから財布を取り出した。 「I田君、提出したプリントの筆跡は先生に気づかれた? どっちにしても、責任を負うのは僕じゃないよね」  I田君は、持っていた体操服入れをぎゅっと握り、視線を彷徨わせた。 「僕が陰キャなオタクだからって、あんまり馬鹿にしないで。次はないから」  そう言い放った僕は、今度こそ教室を出た。  明日からの事を思うと憂鬱でしかないのに、やけに清々しく、廊下を差し込む光すら愛おしく思う。  二人に挨拶をされて嬉しかった。あだ名で呼んでくれて心がくすぐったかった。でもそれは、教室という狭い世界において、ヒエラルキー頂点の彼らにそういう扱いを受けている自分に酔っていただけで、例えE島君やI田君じゃなくても、きっと同じ優越感に浸っていた。僕は、自分に甘かった。自信がない僕が弱かっただけだ。  昇降口に向かって歩いていると、背後から僕を名字で呼ぶ声が聞こえた。 「君は怖いな」  隣に並んだO字君が、言葉とは裏腹に笑う。 「昼間の『クールジャパン上等』も今の『次はないから』も、マリンちゃんがよく言ってる」 「O字君も実は馬鹿にしてる?」 「まさか。でも君、相当面白いから、そのキャラでいったらいいと思う」  嫌だよ。そう笑って、僕は下駄箱からスニーカーを取り出した。  明日には世界が変わっているかもしれない。それは決していい事ではないのかもしれない。でも、腐った世界を変えるのは僕だ。マリンちゃんの言葉を思い出す。  三次元にある高校生活、上等じゃないか。スニーカーを床に落とすと、爽快な音が響いた。  その後、僕のあだ名が幽霊君から革命君に変わったのは、また別の話だ。

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