クールジャパン上等
クールジャパン上等(2)

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 高校デビューを飾りたかったわけじゃない。だけど、小学校に入学したら字を書けるようになったのと同じように、中学生になったら制服を身に着けるようになったのと同じように、高校生になっても何かが変わる事をどこかで期待していたのかもしれない。  入学式の翌日、学園アニメでも恒例のクラスでの自己紹介タイム。何事も始めが肝心だ。しかし、主人公キャラを引き立てるモブキャラごとく、僕の自己紹介は思い切り躓いてしまった。息の吸い込み方を間違えたのか、名前を言う前にひゅっと喉が鳴り、不格好なほど前かがみになって咳込んでしまった。  笑われたならまだよかった。しかし、クラスメイトは唖然とした表情を浮かべ、その空気を取り繕うように担任は僕の自己紹介を免除した。しばらくの間、僕は幽霊君と陰で呼ばれていた。  それを打破してくれたのがE島君とI田君だった。  不思議な事に、毎朝早めに登校する生徒はいつも決まったメンバーだった。しかし、僕は幽霊らしいので、教室で誰とつるむわけでもなく、その日の予習をしたりスマホでマリンちゃん情報を検索したりしていたある朝、ふと隣の席から声が響いた。 「なぁ、昨日の地理のノート、とってる?」  その声が隣の席に座るE島君のものだと分かっていた。だけどまさか僕に話しかけていると思わず、スマホを眺めていると、たっきー聞いてる? と再び声がかかり、僕はようやく顔をあげた。 「『たっきー』?」 「うん、名前をもじったらそうならない? 今までそう呼ばれなかった?」  人が何気なく呼ぶあだ名は、その人間の地位を示すものだと思っている。小学校中学校とノリが悪くクラスに打ち解けずに来た僕は、あだ名はおろか、本名すらクラスメイトに覚えられていたか怪しいくらいだ。  屈託なく笑うE島君に僕がうなずく事も否定する事もできずにいると、 「たっきー、いいじゃん! 俺もそう呼ぼうっと」  高校指定の鞄を肩にかけてやって来たI田君が、僕におはよう、と言った。  僕とは住む世界の違う人達。伸びた背筋も、制服の着方も、ラフな髪型も、何もかもが違っていて、何もかもが輝いている人達。  地理のノートを渡すと、サンキュ、とE島君が白い歯を見せて笑った。それは、僕の中に沈殿していた正体不明の何かを、少しずつ融解させていくようだった。  子供の頃から、あなたは駄目ね、と言われ続けてきた。勉強も満足にできない、かけっこすればいつもビリで、誰かに自慢できるものなんて何もない。何をやっても駄目ね。そういう言葉が少しずつ鉛のように僕の心に詰まっていった。それを、彼らの「サンキュ」という言葉があっさりと溶かしてくれた。 「たっきー、今日、昼休み暇?」  カーテンと共に開けられた教室の窓からは、夏の強い光が注がれている。  一時間目の授業が終わった後、教科書を無造作に机の中に入れていたE島君が隣の席から顔を寄せてきた。突然話しかけるのが苦手な僕は、たじろぎながらもゆっくりとE島君に顔を向ける。 「暇だけど……」  友人と呼べる友人もいない僕は、昼休みの昼食後にはスマホで漫画を読む事でくらいしか時間を潰せない。 「悪いんだけどさ、大学ノート買ってきてくんね?」  手に持った教科書の重感がぐっと増した。僕をまっすぐに見つめるE島君の表情は、いつもと変わらない。僕にノートを貸してほしいと頼む時と同じ、威圧感のある笑顔だ。僕は視線を逸らし、閉じた教科書の表紙に視線を落とす。クリアPP地の素材は、陽の光を反射させている。 「たっきー、聞いてる?」  先ほどよりもぐっと低くなった声色に、僕は首を何度も縦に振った。 「う、うん、分かった。どこのメーカー……?」 「なんでもいーよ。サンキュな」  そこへ、E島君を呼ぶ他のクラスメイトの声がかかり、E島君の視線はそちらに移ってしまった。他愛のない話で盛り上がり始めたE島君から代金を預かる事もできず、僕はゆっくりと息を吐いて、次の授業で使う教科書を机の中から探す。  ふと視線を感じて顔をあげた。窓際の前方に座っていた男子生徒が、僕をじっと見ているような気がして、僕は慌ててうつむいた。彼は確か、O字おうじ君、という名前だった。いつもイヤホンをして自由気ままに教室で過ごす彼と、僕は言葉を交わした事がない。  少し離れた背後からは、女子達の話し声が聞こえる。男子達の笑い声が響いている。クリアになる聴覚が、僕の心臓をばくばくと脈打ちさせる。  ――細かい事を気にしたらあかんで!  脳内でマリンちゃんの声を再生させ、僕はどうにか呼吸を整えた。  今まであまり利用しなかったので気付かなかったが、教室から購買までの道のりは意外に遠かった。昼食を終えてから財布を持って歩き、混み合っている購買でノートを探して会計を済ませていると、あっという間に午後の始業十分前になってしまった。  気温が高くなっていくこの時間、人の行き来が激しい廊下には湿った空気が充満している。急ぎ足で歩いていると、白いシャツの下に汗が流れた。午後の授業前にはマリンちゃん関連の情報を集めたかったが今日は難しいかもしれない、と胸に冷えた風が入り込むのを防ぐように背を丸めて歩いていると、男子トイレ前で、中から出てきた生徒とぶつかりそうになった。 「す、すみません……」 「俺こそごめん」  見上げると、同じクラスのO字君だった。話した事はなくても声に聞き覚えがあるのは、やはり同じ授業を受けているせいだろうか。 「購買に行ってたの?」  O字君は、僕の手にある一冊のノートに視線を落とした。 「あ、うん」 「それって、E島に頼まれて?」  午後の授業まであと五分ほどだろうか。どこかのクラスが次は体育なのか、数人の男子生徒達がジャージを持って廊下を走っていった。 「……さっきの休憩時間、聞いてたの?」 「聞こえてきたんだよ。あいつら、声大きいじゃん」  廊下の窓から差し込む光を浴びたO字君の髪の毛が、茶色に光った。全体的に色素の薄いO字君は、細身でいながらも芯を持った強い眼差しを持っていて、教室内では誰とつるむわけでもなく、イヤホンで何か聞いていたり漫画を読んだり過ごしている事が多い。だからといって友人がいないわけではなさそうで、整った顔立ちのせいか一部の女子からは王子様と影で呼ばれている。幽霊とは大きな違いだ。 「俺が口出す事じゃないのかもしれないけれど、あんまりあいつらを調子に乗らせないほうがいいんじゃないの」  僕より身長の低いO字君は、強い視線を僕に向けた後、教室のドアを開けて入っていった。

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