キャンプ

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 夏休みに入ってから二、三日したある日、溝井が翔のうちにやって来た。話しを聞いてみると父親にテントを買ってもらったのでキャンプに行かないかという誘いだった。翔は小学生の頃は五年、六年と町内の少年団で、中学校一年と二年の時は科学部でキャンプに出掛けていたが、今年の夏はキャンプに行く予定がなかった。溝井が帰った後で母親にキャンプの話しをしたらキャンプに行ってる間中の勉強時間を後できちんと補うことを条件に許してくれた。  七月下旬の晴れた日の午後、翔と溝井の二人は伊勢市の市街地から自転車で宮川に沿って二時間近く度会町まで走ってキャンプに適した川原を捜した。それぞれの自転車の荷台にはキャンプに必要な物が積まれていた。棚橋の近くの宮川の左岸に適した場所を見つけた。堤防の上を走る道よりは一段降りた平らな草むらで所々草の生えてない所があった。砂利でいっぱいの宮川の川原よりは一段高くなっているので夜中に急な増水があってもすぐに水に浸かる可能性は小さいし、避難もしやすいと思われた。  まだ暑かったが、二人はテントを張ることにした。 「このテント、初めて張るんやで」溝井が嬉しそうに言うと袋からテント本体、ポール、張り綱、ペグを取り出した。 「ペグハンマーがあらへんなあ」翔が言った。「ペグハンマーって?」 「ペグを地面に打ち込むハンマーさ」 「ああ、そういやハンマーがなきゃ手で打ち込むことはできへんな。俺、川原で適当な石捜してくるわ」  翔は何回かテントを張ったことがあるので手順は大体分かっていた。気になったのはこのテントにはフライシートがなかったことだった。かなり安いテントなので省略されているのだろうと思った。フライシートがないと夏は日光でテントの中の温度が上昇して中にいることができなくなる。  溝井が拳より少し大きいくらいの石を拾ってきた。二人はポールを継ぎ足してテントを立てた。自立式ではない三角屋根の形のテントだった。一人が支えている間にもう一人がペグを打ち込んで張り綱を張った。ペグはアルミ製で柔らかく頼りない代物だった。案の定一本が折れてしまった。翔は川原へ降りると少し大きめの石を両手で持って上がって来た。 「この石に張り綱を巻きつけたらええと思うんや。ペグを打つよりもしっかりしとるような感じがする」と言うと翔は石に貼り綱を括り付けてテントを支える位置に置いた。 「何やら、ほかのペグも頼りないで、全部石を持って来て張り直そうか」  地面に打ち込む時に石で叩いたら曲がってしまったのを見て翔が言った。 「やっぱり安物のテントはあかんなあ。もっとええやつがあったんやけど、ちょっと値段が高おうてよう買わんだんや」 「いや、これでええやんか。フライシートがないけど」 「フライシートって何や?」 「それはテントの上にもう一枚被せるシートのことや。雨が降った時にテントが直接濡れるのを防いだり、日光がきつい時にテントの中の温度が上がらんようにするためのものなんさ」 「やっぱり安物や」 「そんなこと言わんと、せっかく買うたんやで大事に使わな。あっ、そんなことより今から薪を集めなあかんで。川原へ降りてなるべく乾いとる流木を捜すんや」 「よっしゃ、分かった。飯が炊けやな困るもんな。了解!」  二人は川原に降りると薪になりそうな木を別れて捜した。乾いた流木はたくさん見つかった。手ごろな大きさの木を選ぶと川原から何回か往復してテントまで運んだ。薪をテントの傍に並べると翔は運んで来た木々の中から穴を掘るのに使えそうな木を選んで地面に浅い穴を掘った。手ごろな石を並べたり積んだりして火を炊く場所を作った。 「俺、川へ行って米を研いでくるわ」溝井はそう言うと飯盒に持ってきた米を入れて川原へ降りた。翔は薪を積んで下に持ってきた新聞紙を丸めて入れた。夏の太陽はいつの間にか山の間に姿を隠して西の空は朱色に輝いていた。暗くなるにはまだ早かったが、二人は夕食を作って食べた。後片付けをすませると蚊の襲来に備えて蚊取り線香に火をつけるとテントの中に置いた。しばらくするとテントの中は煙だらけになったが、目的は果たされた。日が落ちると川原は真っ暗になった。二人の顔が焚火の明かりに照らされている。いつの間にか喋らなくなっていた。後は寝るだけかなと翔は思った。 「今、何時ごろやろ?」溝井が言った。 「ちょっと待ってな。翔は家から持ってきた小さな目覚まし時計を焚火の明かりで照らして見た。 「午後十時を過ぎたくらいかなあ。まだちょっと寝るには早いかな」 「うん、ちょうどいいくらいかも知れない。今から畑へ行ってトウモロコシを取って来ようかと思うんや。どこら辺にあるかはここへ来る時見といたでだいたいわかるわ」 「ええっ、トウモロコシを盗るのか」思わず翔は言ったが、それは溝井の耳には入らなかったようだ。 「それはあかんやろ。泥棒やぜ」と言おうとしたところで次の言葉にかき消されてしまった。 「ええさ、ようけあるうちの二、三本をもらうだけや」  溝井は懐中電灯と手ごろな大きさの袋を持った。 「おまえも行こうぜ」 「・・・」 「行くぜ」  翔は焚火に砂をかけた。溝井の後に続いて暗い道を歩き始めた。  トウモロコシ畑は昼間に自転車で走っている時にいくつかあったのを覚えている。たくさん生えているので二,三本もらったところで構わないかも知れないと思った。  トウモロコシ畑に来ると溝井は素早い動作で四本のトウモロコシをとって袋に入れた。これでテントに引き返すのだろうと思っていたら溝井はさらに畑の中を突き進んだ。その先には暗闇の中にぼんやりと民家があるのが分かった。もう寝てしまったのか、窓は暗い。民家の前は果樹園になっていた。暗い中に木々の枝の所々に紙が被せてあるのが見える。 「桃や」溝井は小さな声で嬉しそうに言うと果樹園の中に入って袋をいくつか触り始めた。「ううん、これがいいかな」 「これはまだ硬そうやな」  ぶつぶつ言いながら袋を被せられた桃を二、三個ばかり袋に入れた。  その時犬の鳴き声が聞こえた。鳴き声は近づいて来るように聞こえた。 「やばい!逃げよう」溝井は叫んだ。  二人は暗闇の中を全力で走った。その時翔は脛に痛みを感じたが気にしている暇はなかった。しばらく走ると犬の声は遠ざかっていった。民家の塀の中を走り回っているのだろうと思った。  二人はテントに戻った。翔がライトで脛を照らしてみると擦り傷があって血が滲んでいた。走っていた時何か鋭いものに引っ掛けたのだろう。傷口を水で洗って救急用の絆創膏を何枚か貼ったが、血が滲み出て来るのはすぐには収まらなかった。走っている時は夢中で分からなかったが、じっとしていると痛みも感じられるようになった。 「おい、大丈夫か?」 「まだ血が滲んでくるんや」 「そうか。けど、大丈夫やろ。大したことあらへん」絆創膏が貼られた脛を見ながら溝井が言った。 「それより桃食べようぜ」溝井は袋から桃を取り出すと包んであった髪を焚火をした所へほった。そして汲んであった水で表面を洗い流すと桃にかじり付いた。 「あかん、まだ固いわ。これはどうやろ」溝井は続けて二つの桃にかじり付いたが、両方ともまだ食べられるほどには熟していなかった。翔も桃を手に取ってみたが、触っただけで固いことが分かって食べられるものではなかった。二人は桃を川原の方に向かって暗闇に投げ捨てた。 「トウモロコシを茹でてみようか」 「もう一回火をおこしてみるで水を汲んできてくれ」  翔は焚火を掘り返して火をおこした。そして鍋に水を汲んで皮をむいたトウモロコシを茹でてみるとトウモロコシの方は十分に食べることができた。食べ終わると二人はトウモロコシの芯も桃と同じように投げ捨てた。腹が満たされると二人は蚊取り線香の臭いが充満したテントに入って寝た。  翌朝は午前五時になる前に日が山の間から昇って川原を照らしたのでテントの中は暑くなってとても寝ていられる状態ではなくなった。周りが明るいので翔は目を覚ました。 「暑いなあ」  上半身を起こして隣を見ると溝井はまだ寝ていた。翔は顔を洗うために川原へ降りた。川原を歩いていると昨夜投げ捨てた桃とトウモロコシの食べかすがあった。翔はそれらを手にすると川の中へ投げた。顔を洗ってテントへ戻ると溝井も目を覚ましていた。 「おまえ、どこへ行っとったんや」 「川原へ顔を洗いに行っとったんや。冷とおて目が覚めるぞ。気になったんは昨夜食べた桃とトウモロコシの残骸が転がっとったことや。俺らが食べて捨てたと思われるとあかんで川へほったけど、全部やなかったわ。数が足らへんだ」 「そんな細かいこと、気にせんでもええやんか。残骸があっても俺らが食べたとは決まらへんやろ。気にしすぎや」 「そやけど」 「まあ、ええやんか。いくつかは川へほったんやろ。見つからへんのは昨夜投げた時に川へ入ったんと違うか」 「いや、適当に投げて川までは届かんと思うけどな」 「もうええやろ、気にせんとこぜ」と言うと溝井は笑いだした。  二人は朝食の餅を焼いて食べた。それからテントを畳むと午前中は川で泳いでから帰宅した。

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