下着

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 八月の下旬、夏休みも終わりかけたある日の昼過ぎ、溝井が翔の家に誘いに来た。夏休みの宿題もほぼ終わっていた翔は気分転換に溝井と一緒に出掛けた。二人は自転車で横に並んで喋りながら走っていた。少し曇り気味でそれほど暑さが感じられなかった。自転車で走ると風が汗を持ち去るのが心地よい。かなり走ってから翔は溝井の自転車の色が薄い水色から濃い藍色に変わっているのに気が付いた。溝井には姉しか兄弟はいないから兄か弟の物を借りてきたのではない。するとこの濃い藍色の自転車はどうしたんだろうと疑問に思った。薄い水色の自転車の細かな形などは覚えていなかったが、ハンドルの形は同じだった。五段変速であることも同じだった。 「おまえ、自転車、変えたんか?」翔は思い切って聞いてみた。 「ああ、まあな」前を向いたまま自転車を漕ぎながら溝井は答えた。顔を向けて来ないことは自転車の話題をこれ以上続けることを拒むことだと翔は感じた。  溝井の言葉に翔は驚いた。翔の家だったら自転車は簡単には買い替えてはくれないだろう。もし自転車が盗難に遭ったとしてもすぐには新しい自転車は買ってもらえない。家に経済的な余裕のないことは母親の買い物や両親の会話などで感じている。買い替えてもらえる溝井が羨ましかったが、そのこととは別にまた疑問が浮かんだ。それは溝井の乗っている自転車が買い替えてもらった割には新しさが感じられなかったことだった。しばらく溝井とは顔を会わせてなかったとはいえ、この前会ってから二週間も立っていない。自分の自転車を振り返って見るとその二週間の間に新しい自転車が一年以上乗ったようになるとは思えなかった。だが、深く聞こうとは思わなかった。気分よく自転車を漕いでいる溝井には聞きにくいことだった。中古の自転車でも手に入れたのだろうと思った。 「どこへ行くつもりなんや。おまえの家に行くんか?」進んでいる方向からすると行き先は想像がついたが、翔は聞いてみた。 「ああ、そうや」  二人は溝井の家に着いた。溝井は自転車を停めると翔を納屋に案内した。 「ええもん、見せたるわ」溝井は半分にやけた顔をして言った。その表情には少し気味の悪さも感じた。  納屋に入ると溝井は積み重ねられた荷物の間から白っぽい小さな布を取り出して見せた。何か秘密の物か、滅多に見られないような貴重品を見せびらかそうとするような態度だった。 「これ、分かるか」溝井はゆっくりと広げながら言った。  初めは布切れなんか見せてどういうつもりなのかと白けた感じになったが、縁に付いたフリルや形から翔はそれが女性の下着であることがわかった。 「パンティーやぞ」  溝井は得意げに叫ぶと布を広げて見せた。それは白地に花柄の模様が入った女性の下着だった。 「ええっ!おいっ、こんなもん、どうしたんや?」翔はつい大きな声を出してしまった。  溝井は翔の反応が期待通りだったのか、嬉しそうな顔をして何も言わずにただにやにやしていた。そして下着を広げたり、光にすかしてみていた。 「どこで盗って来たんや」もはや疑いの余地はなかった。翔は少し後ろに下がると興奮して言った。 「ずっと向こうに看護婦さんの寮があるやんか。よっけ干してあるんや」溝井は平然と言ってのけた。 「それ、盗ってくるんか?」 「ああ、夜中にな」  翔は呆れて次の言葉が出なかった。 「どうや、ええやろ。まだあるぜ」しばらくしてから溝井は得意げに水色の下着を取り出しながら言った。  女性の下着に興味があるかと問われれば、ないとは言い切れない。しかし、このように大っぴらに見せられてはどう反応していいのか分からなかった。溝井は喜ぶだろうと思って見せたに違いない。盗品とはいえ見せてくれたのだから気持ちを受け入れて喜んだ方がいいのだろうか。しかし、逆に興味を示さない方がいいようにも思えて翔は迷った。ただ、険悪な雰囲気になりたくなかったので盗んだことを注意する気にはなれなかった。溝井はまた別の下着を取り出した。しかし、翔は溝井に合わせて嬉しそうな顔を装うことはできなかった。溝井が盗んだ行為についてまるで自分が盗んだような罪悪感を感じてしまった。頭の中で盗むということに対する軽蔑の感情が盗まれた物を見てはいけない、嫌悪せよという命令を下した。嬉しそうに見ることは悪いことをしているのと同じだという罪悪感も伴っていた。  溝井は翔が喜ぶだろうと思っていたのにすぐに反応がなくなったのを見ると下着を横に置いて翔をじっと見た。翔は無表情で見返したが、すぐに視線をそらして言った。 「俺、帰る」  翔は納屋から走り出た。自転車に飛び乗ると逃げるようにして自転車を走らせた。力いっぱい勢いよく漕いだ。

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