生徒指導

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 九月下旬のある日、授業中に突然教室の戸が大きな音をたてて開いた。皆の目が音の下方を見ると担任の中井先生が立っていた。 「すみません、授業中」中井先生はちょっと頭を下げてから授業をしている河野先生に言った。河野先生は何も言わずに黒板に向かっていた身体の向きを変えると力を抜いた姿勢になって授業を中断した。  教室にいた生徒たちには何事だろうという緊張の波が生じた。ほとんど全員の視線が中井先生に注がれたままだった。 「土坂、ちょっと職員室へ来なさい」中井先生は小さな声で言うと翔に手招きをした。  突然名前を呼ばれた翔は何故自分が呼ばれたのか全く思い当たる節がなかった。今まで何事もなく授業を受けていたが、名前を呼ばれたことで全身が硬直するほど驚いてしまった。先生に呼ばれるようなことはしていないはずだ。生徒が授業中に先生に呼び出される時は生徒が何か問題行動を起こした場合が多いことを生徒たちは経験から感じていた。何故呼ばれたのか、全く分からない。何かの間違いではないのか。しかし、中井先生は翔の顔をじっと見ている。その目つきは強い確信に満ちている。今は翔の動きにほぼ全員の生徒が注目している。これは夢ではない。呼び出されているのは現実だ。先生は怖い顔をして入口で待っている 「土坂早く来なさい」少し怒りを含んだ口調になって声も大きく鳴った。  翔は教科書を閉じると席を立って入口の方へ歩いた。先生の指示に従うしかなかった。生徒たちは意外だという顔つきで翔を見た。恥ずかしさと呼び出された理由の心当たりがないことで下を向いた顔が赤くなっていた。緊張で心臓の鼓動が速くなった。廊下に出ると先生は河野先生に一言言ってから戸を閉めた。 「職員室へ行くぞ。聞きたいことがあるんや」 先生は先に立って歩いた。翔は俯き加減で後についた。自分が何か悪いことをしたんだろうか、悪いことなんかしていないはずだと何度も自分に問いかけた。多分何かの間違いだ。そう思って歩くと先生の履いている靴下とスリッパが目に入った。 「土坂も結構悪いことしとるんやな」先生は立ち止まって振り向くとそんな翔の気持ちを否定するような言葉を告げた。それに対して翔の気持ちは大きく揺らいだ。何と答えればいいのか分からなかった。自分の今の気持ちは大きく否定されてしまった。すぐに先生の言葉に対して言い返したい気持ちはあったが、先生の迫力に押されて何も言い返せなかった。ここで何か言わないと悪いことをしたことにされてしまうと思ったが、へたなことを言うとさらにきつく怒られそうな気がして先生の視線を避けて足下を見るしかなかった。  他の教室の前を通る時はなるべく教室から離れた窓際を歩いた。授業中に廊下を歩くのは初めてのことだった。階段を降りる時はスリッパの音をたてないようにした。自分達の他には誰もいない。簡単に想像がつくことだったが、体験してみると冷たい洞窟を歩いているような気がした。  翔は先生に続いて職員室に入った。授業中の職員室には先生の姿が少ない。先生たちは机に向かって仕事をしているみたいで話し声は聞こえなかった。翔はなるべく見られないように小さくなって中井先生の後に続いた。先生は翔を職員室の隅の空いている机に連れていって席に着かせると、ちょっとその場を離れてすぐに白い紙を一枚と鉛筆を一本持って戻って来た。 「この紙に自分がした悪いことを全部正直に書きなさい」声は小さかったが、先生の言葉には逃れられない強制力があった。特に語尾に力が入った言い方だった。翔は目の前の白い紙を見た。書くことはなかった。まず悪いことをした自覚は翔にはなかった。悪いことと言われたが、自分としては普通に過ごしてきたつもりだった。何も悪いことをした覚えはなかった。時間がたっても翔には書き出す様子が見られなかった。 「溝井と一緒に遊んどったやろ、あいつと一緒に何かせえへんだか?」  先生には翔が悪いことをしたという確信があった。 「俺がいない間に書いとけ。ええな」と言うと先生は慌てて職員室から出て言った。この時間に担当の授業があって先生はそのクラスを自習にして出て来たのかも知れないと翔は思った。  悪いことと言われれば、溝井が悪いことをするのを翔は傍で見ていた。共犯者ということになるのかも知れない。この場を逃れるためには先生が満足することを書かねばならない。溝井のやったことを書くことにした。書くことはそれくらいしかなかった。 ・五十鈴川に泳ぎに行って駐輪してあった他校の生徒の自転車のランプのガラスを割った。・夜中に畑のトウモロコシと桃を食べた。 ・夜中に看護婦さんの寮から下着を盗んだ。  授業終了のチャイムが鳴った。授業から戻って来た中井先生は翔の書いた紙を取り上げてみた。 「本当にこれだけやろな」ときつく念を押した。 「はい」力のない返事しかできなかった。 「嘘やろ。おまえ、自転車は盗ってないか・ テントを万引きしてないか?」 「ええっ、そんなことはしてません」この質問には翔は半分涙声だったが、力強く訴えた。「そうか」翔の言葉の力強さに驚いたのか先生はそれ以上追及することを止めた。 「放課後また職員室に来なさい。どのように指導するか伝えるから」先生の言い方は優しそうだったが、放課後も追及されることが続くのかと思うと一瞬死にたい気分にもなった。 翔は職員室を出た。休み時間に賑やかにしている生徒たちは翔のように容疑者のような扱いを受けた苦しみは味わっていない。自分だけが味わった嫌な思いを引きずって他の生徒から孤立した感覚で教室まで歩いた。他の生徒と視線を合わせるのを避けるように下を見ながらいつもの歩調になるようにして歩いた。  教室に戻った時、翔はどんなふうに皆から見られるのかが気になってなかなか足を踏み入れることができなかった。どんな接し方をしてくるのか分からない。教室に入った時入口近くに居合わせた数人の生徒と視線が合った。授業中に先生に呼び出された生徒を見下げるような目つきではなかったが、これまでと同じように言葉を交わせない幅が狭くても深い谷底があるような隔たりが感じられた。理由は想像がつく。真面目だと思われていた翔が、先生に呼び出されたからだ。何故なのかは分からないが、呼び出された。皆に呼び出された理由を知られることはないが、消せない汚点ができたのは確かだ。席に着くとできるだけ何事もなかったように振る舞おうとしたが、ここから逃げ出したい気持ちが落ち着きをなくさせ、貧乏ゆすりが始まった。それは止めようとしてもなかなか止まらなかった。翔は自己否定をする自分を知った。自分の価値を否定する自分がいる。苦しくて頭を殴りたい衝動が起こった。身体を傷つけたい気持ちになった。自損の感情は収まることがなく何度も頭を持ち上げてきた。皆が楽しそうに言葉を交わしている教室の中で翔だけが心を痛めつけられていた。今は誰も話しかけてほしくなかった。大きな声のする方に目をやると林佳代が他の女の子たちと楽しそうに喋っている。翔が戻って来たことに気が付いているのかどうかは分からなかった。  この日はクラスの誰とも話しをすることなく一日が終わった。連絡を伝えるショートホームルームでは担任の中井先生がいつもと変わらない口調で機械的に連絡を伝えた。翔を見る目つきは他の生徒を見るのと同じでこれまでと変わらず、呼び出したことなど忘れているような感じだった。翔はそのことでさらに不安になった。職員室でさらに追及してきそうな怖そうな顔とのギャップが大きく感じられた。  放課後の職員室では他にも悪いことをしたのではないかとまた言われたが、翔が涙を見せながら否定をするとそれ以上の追及はなかった。先生は優しそうないつもの表情に戻ると、帰宅したら家の人に今日職員室で紙に書いたことを言い、学校の指定する日に家の人に学校へ来てもらうよう念を押した。 「はい」小さな声だったが、それでも返事をしておかなければならなかった。悪いことはしていないという気持ちがある翔にとっては自分の非を認めてしまうような返事になっても了解の返事をするしかなかった。返事をしてから職員室を出ると重い圧迫からは逃れることはできた。学校を出て下校する道を一人で歩いていると、家に帰ったら家族にどう言えばいいのか分からなくなって歩みが遅くなった。父には怖くてとても言えそうになかった。すると母に言うことになるのだが、母にも言いたくなかった。父ほど怖くはないだろうが、母も叱って来るだろう。それを父が聞いたりしたら殴られることは間違いない。両親にはこれまできつく叱られた覚えがなかった。  翔は自分の部屋に入るとメモをしたためて台所で夕食の準備をしている母に何も言わずに手渡した。母は面倒くさそうにメモを取り上げると目を細めて見ている。翔は素早くその場を離れると自分の部屋に入って内側から鍵をかけた。母からメモの内容について質問されることからも逃げたい気持ちがあった。この後の展開がどうなるかは予想ができなかった。  夕食が終わって父が風呂に入っている時に翔は後片付けをしている母に近づいた。 「翔、あれは何?」翔が言い出す前に母が質問をしてきた。怒られるのではないかと思ったが声はただの質問でしかなかった。優しかった。父だったら先に拳骨をお見舞いされるだろうし、その後の対応は恐ろしくて想像ができないくらいだった。 「溝井と一緒に悪いことをしたのがバレたんや。来週の月曜日の午前十時に、家の人に学校に来てもらえって先生に言われた」翔は小さな声で早口に言うとすぐに自分の部屋に逃げ込んだ。ただ気持ちを分かってくださいと祈るだけだった。さっきの一言を言うだけでもかなりの勇気が必要だった。その夜母は部屋には来なかった。父も来なかった。両親の間でどのような話しになっていくのか分からなかったが、何らかの形で了解してくれたのだろうと都合のいい推測をした。これまで問題行動は起こしたことがなかった。両親からの信頼を損なうことはしないように過ごしてきた。怒らせるとどうなるかが分からないのが怖かった。  その後の家での生活でこの件は全く話題にならなかった。母は翔の気持ちを理解してくれたのだろうと翔は思った。月曜日には学校へ来てくれるに違いない。多分父には話していないだろうと思った。翔は何事もなかったかのように普段通りの生活を続けた。  月曜日の二限目、授業を受けていると担任の中井先生が教室にやって来て、翔に出てくるように言った。授業をしていた先生は一時中断されて迷惑そうな顔をしていた。クラスの生徒は余り関心のなさそうな顔で授業が再開されるのを待った。  翔は先生に連れられて校長室に入った。大きなテーブルがあって、そこには翔の母親と学校長が向かい合って座っていた。学校長の表情は険しく、母親は俯き加減にかしこまっていた。 「さ、お母さんの隣に行きなさい」先生は翔に指示をすると学校長の横の椅子に腰を降ろした。形式ばった手続きが始まる張り詰めた雰囲気があった。 「皆さん、ご起立をお願いします」  四人は静かに起立した。 「それでは今から三年四組の土坂翔君に対する指導を申し渡します」  四人は礼をすると翔以外は着席した。母親は引き締まった顔で先生らを見ていたが、翔は俯いてテーブルに目をやっていた。 「土坂君、顔を上げなさい」 「はい」翔は両手を身体の側面に当てて気を付けの姿勢で立った。 「まず確認だけど、君がした悪いことはこの三つだね。一つ、五十鈴川に泳ぎに行って駐輪してあった他校の生徒の自転車のランプのガラスを割ったこと、二つ、夜中に畑のトウモロコシと桃を盗って食べたこと、三つ、夜中に看護婦さんの寮から下着を盗んだこと。それから紙には書いてないけど自転車を盗ったこととテントを万引きしたという疑いがあることはどうなのかな」  先生は念を押すようにゆっくりと言った。それに対して翔は首を動かして小さく頷いた。否定したかったが、紙に書いてしまったので頷くしかなかった。 「お母さんはご存じでしたか」学校長は母親の方を見ると尋ねた。 「いいえ、ちっとも知りませんでした。でも、三年生になってこの夏休みあたりから少しふらついているような感じはありました。勉強はしてるんですけど、落ち着きがなくなったように思うんです、以前より。こういった不祥事を起こしてしまったのはすべて親の責任です。どうも申し訳ありません」母親は涙ぐんだ声で言いながら頭を下げた。 「物を盗ったりするのはよくやることですな。しかし、女性の下着を盗るとは恥ずかしいですな」 「ちょっと待ってください!」翔は学校長と母親との会話に割り込んだ。これは我慢はできなかった。 「僕は盗ってません」  大きな声に驚いて三人の大人は翔の方を見た。 「嘘をつけ!そんなら誰が盗ったんや」中井先生が激しい口調で言った。 「盗ったのは溝井です。僕は盗ってきたやつを見せてもらっただけです」翔は負けないように言い返した。 「それは本当か?嘘じゃないだろうな」 「嘘じゃないです。それに関しては僕は見せてもらっただけです。誰が言ったんですか、僕が盗ったなんて。僕は見せられてすぐに逃げたんです。いくら何でもあいつとは付き合いきれないと思いました。それから自転車のランプを割ったのも溝井です。僕は一緒に泳ぎには行きましたけど、そんなことはしてません。それから夏休みにキャンプに行った時畑で桃とトウモロコシを盗ったのも溝井です。ただ、僕はそれを一緒に食べました。それから自転車とテントのことは全く知りません。どこからそんな話しが出てきたんですか」翔はすべてを吐き出すように一気に言葉を続けた。目には涙が滲みかけてきたが、泣くまいと歯を食いしばった。 「じゃあ、何でこんなことを書いたんだ?」  中井先生は翔が書いた紙を差し出した。 「それは先生が、書けって言ったからです。悪いことをしたといってもそれくらいしか無かったんです。傍にいたのに止められなかったことも悪いことだと思って書いたんです」翔は半泣きになりながらも中井先生の方を見て言うべきことを言った。  翔が喋った後は部屋の中は静かになって掛け時計の秒針が進む音だけが響いた。 「今言ったことは本当なんだな」二分近くの時間が過ぎてから中井先生が念を押すように強く言った。 「はい、本当です」翔は涙を振り切って自信をもって返事をした。 「本当に本当なんだな」 「はい。嘘ではありません」翔は大きな声で答えた。  またしばらく沈黙が続いた。中井先生は机上のメモを腕組みをしながら見ていた。すると学校長が両手で口を覆いながら中井先生に小声で話しかけた。それに応えるように中井先生も学校長の方を向いて小声で話しかけた。二人は身体を近づけると顔を寄せ合ってぼそぼそと話し合いを始めた。母親はじっと目の前の机を見てから横に立っている翔の方を見た。翔は力の抜けた姿勢で立っている。 「では、学校長。始めてもよろしいですか」「うん、いいだろう。始めてください」二人は何かを了解しあったようだった。  しばらくしてから中井先生が話し出した。 「すみません。ちょっと混乱してしまいました。あっと、土坂君は腰を降ろしてください。少し状況が変わってきました。今の土坂君の発言を信用するとそれほど厳しい指導は必要ではないように思えるんです。私は勉強もよくできる土坂君のような生徒がこんなことをするのが不思議だったんです。すべてははっきりしました。君はこれから溝井とは付き合わん方がええな。率直に言うと付き合いを止めなさいということになるな。あいつは他にももっと悪いことをしとるから」中井先生は徐々に優しい言葉遣いになっていった。 「学校長、生徒の言葉を信じるなら、これで今日保護者に来ていただいた要件はすみましたね」 「うん、この生徒は悪いことをするような生徒には見えないな。初めて見た時からおかしいとは思とったんや。ただ、ちょっと気持ちがふらついただけのようだな。友達が悪いことをするのを止められたらいいんだが、なかなかそれも難しい面があるからな。まあ、今後はその生徒と付き合わんようにして学校生活を送ってくれるか。その生徒にはこちらからも付き合わんように言うとくから」学校長も険しかった表情を崩しながら言った。 「お母さん、今日はどうもお忙しい所をお呼び立てして申し訳ありませんでした。以上のようなことですので土坂君も残りの学校生活を充実したものにしてくださるようお願いします。本日はどうもありがとうございました」中井先生が言った。 「いいえ、これからもご迷惑をかけることがあるかと思いますのでよろしくご指導のほどをお願いします」母親は頭を下げて言った。  嫌な件が片付いた。立ち込めていた靄が晴れるように心が晴れ晴れとなってすべてが敵から味方になった感じがした。これで校舎の中を後ろめたい気持ちで歩かなくてもすむと思うと誰かれ構わずにありがとうと言いたくなった。翔は校長室を出ると足取りも軽く授業中の教室に戻った。しかし、クラスの皆は一部始終を知らないのでしばらくは翔への何気なく避けるような態度が変ることはないだろう。翔は我慢して過ごすしかなかったが、覚悟はできている。それほど悪いことをしたのではないという気持ちが支えてくれる。  しばらくの間は翔に対してどこかよそよそしく気持ちの通じた言葉の少なかった佳代だったが、登校時に何度か顔を会わすうちに次第に翔と打ち解けた話しをするようになった。 ある日の放課後、翔は一人で机に向かって数学の宿題をやっていた。教科書の例題を少し複雑にしただけの問題が多かったので学校ですましてから帰ろうと思った。それが終わりかけた頃に他の教室に行っていた佳代が戻って来て一人で机に向かっていた翔に話しかけた。 「翔君、一緒に帰らない?」  残り一題になっていたが、翔は快く顔を上げて言った。久し振りに耳にした佳代の明るい言葉だった。 「うん、いいよ」 「あっ、問題を解いてたのね。邪魔しちゃったかな」 「いや、気にしなくていいよ。残りは家でやるから」 「あっ、そう。ところでね、私、早く帰れるようになったの。クラブ、引退したから。今から帰ろうと思って。できたら翔君と一緒に帰ろうと思って」 「うん、わかった!」  二人は登校時によく駆け足で走った道を並んで自宅の方へ向かって歩いた。  「ちょっと、聞いてもいいかな」 「どんな事?まあ、何でもいいけど」 「実はね、前から気になってたんだけどさ。 この前さ、授業中に先生に呼ばれたでしょ」「ああ、そんなことあったなあ」佳代の幾分深刻そうなものの言い方とは違って翔は軽く笑い飛ばすように言った。 「あれは何で呼ばれたん」  長く疑問に思っていたことを佳代は思い切って言葉にした。 「何か悪いことでもしたん。そやかて授業中に先生に呼び出されるやなんて悪いことをしたから怒られるんやろ」 「まあ、ちょっとだけね」 「ふうん。言いにくいこと?」 「そんなことないけど」 「じゃあ、どんなこと?誰にも言わへんで。約束するから」 「それじゃあ、言うよ。溝井って奴、知ってるか?」 「ああ、知ってる。六組の子でしょ。お調子者でしょうもないことして先生に怒られたりしてる子でしょ」 「ああ、よく知ってるやん」 「溝井君がどうかしたの?」 「一年生の時に遊んだことがあって面白い奴だと思ってたんだけど、今年の夏休みとその前にもちょっと遊んだんだよ」 「何して遊んだの」 「五十鈴川へ泳ぎに行ったり、度会町の宮川の川原でキャンプしたりしたんだ」 「ふうん、面白そうね。それで」 「あいつと一緒にいると碌なことがないって分かったんだよ」 「一緒に悪いことをしたの?」 「夏休みに入る前の短縮授業の期間中に学校が終わってから五十鈴川へ二人で泳ぎに行ったんだよ。ちょうどいい深みを見つけて何度も飛び込んだりして遊んでたんだけど、後からやって来た他校の三人の生徒にその飛び込む場所を占領されてしまったんだよ。こちらは二人、相手は三人、多勢に無勢でその場所は諦めるしかなかったんだよ。そして別の所で飛び込んだりしてたんだけど、そこは余り面白くなかったので帰ることにしたのさ。僕らが自転車を停めたすぐ傍に三人の物と思われる自転車も停めてあって、溝井はその三台の自転車のランプのガラスを石で割って、一台の自転車から携帯用の空気入れを取ると藪に投げ込んだのさ」 「わあ、結構な悪ね。翔、あんたはどうしてたの」 「僕はただ見ていただけさ。見ているしかなかったよ。やめろと言う暇もなかったな。先生にはやめるように言うべきだったと言われたけど、やめさせるのも難しいだろうとも言われたくらいだから」  話しが長くなりそうだと思った佳代は翔を通り道にある公園に導いた。公園には一つだけ日差しを避ける位置にベンチがあった。ベンチに腰掛けると話しは続いた。 「宮川の川原にキャンプに行った時は、夜中に畑に泥棒に行ったよ。トウモロコシと桃を盗って食べた。溝井が盗りに行こうと言い出したので僕は仕方なくついて行ったんだ。僕は盗ってない。でも、盗った物を食べたし、盗るのを止めさせることはできなかった。他には自転車やテントを盗ったことになっててびっくりしたよ」 「それで先生に怒られたの。大したことないじゃん。悪いのは溝井じゃない。翔君は悪くないよ」 「そう言ってくれると嬉しいんだけど。どこからこんな話になったのかは分からないけど、最初は僕がやったんじゃないかと思われてたみたいだよ、先生らには。それで先生らはかなり怒ってたかな。でも、僕は傍にいただけって言ったらちょっと先生らの態度が変わったかな。自転車やテントについては全く知らないことだったし」 「翔君の名前を出したのは溝井に決まってるでしょ、一緒にいたんだから。それにしても嫌なやつね。悪いことをしたのは溝井やで自分で罪を被っといたらええのに、他人に擦り付けようとするなんて。もうあんなやつとは付き合わん方がええよ」 「うん、先生にも付き合うなって言われたよ」「やっぱり。どうせ、あの子、他にも悪いことやってつかまったんでしょ。職員室に呼ばれてたみたい。聞いた話だけど、あの子、万引きした漫画本やお菓子を学校へ持って来てこっそりと売ってたらしいわよ」 「へえ、それは知らなかった」  これまで腹の中に溜まっていたもやもやも佳代に話してしまうと肩の荷をおろしたように心が軽くなった。佳代にはよく聞いてくれたものだと感謝をせずにはおれなかった。涙が出てもいいくらいだった。  翌日から佳代はクラスの皆に翔のことを話していったので皆の態度も以前と変わらないものになっていった。

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