賢は測量会社に勤めている。 建設会社にするか、通信建設会社にするか、随分迷った。 父は官僚で、単身赴任、父より祖父の影響を強く受けて育った。 祖父は大手ゼネコンの建設会社に勤めていた建築家。 若い時分に転勤で札幌に3年間住み、退職後は札幌に住みたいと妻と共に決め、札幌に土地を購入し、何年か後に家も建て、その家で賢は育った。 庭も広く、ゆったり大きな家で、賢はおおらかに育った。 祖父は子供は女の子1人、つまり賢の母であるが、孫に男の子が生まれた時は歓喜したそうで。 母は父と離れて暮らす事にいくらかも躊躇しなかったらしく、転勤の多い事がはっきりしている父を東京に残し、1才に満たない賢を連れ、札幌に住み始めたとか。 本郷は祖父の姓になる。 父は、佐藤啓吾だったが、結婚して、妻の姓である本郷に変えた、、婿に入ったのではなく、一人娘の母の姓が本郷と、佐藤に比して、少ない姓だったのでという理由で、妻側の姓に変えたとか。 父は、神経質そうに見えて、その実は、全体的におおらか、無頓着な性質。 祖父は、いわゆる、明治、大正時代に象徴されるような日本男児で。 時代錯誤かと思われるほどに、自己管理に厳しい人。 男はこうあるべきが明瞭で、孫の賢に対しても、甘やかして接する事はなかった。 父が不在で、父に代わってという心持ちだったのだろうけれど。 建設会社、通信建設会社、測量会社、受けた会社は全て内定をもらったが、最終的には測量会社に決めた、、賢は、どの会社に入っても、最終的にしたいと望んでいたのは、測量の仕事だった、最終的に決める際に、祖父は、測量がしたいのならば、専門の会社にしろと言い。 賢は、測量会社に入社し。 正解だったと思っている。 祖父は大手の建設会社に勤めていたからこそ、内情を知り尽くしていたのだろう、大手になれば、基礎である測量は外部の専門機関に依頼する。 だとすると、賢の望みは外れ、違う仕事をする事になった、、それは、実際に測量会社に入って、祖父の話は事実だったと知った。 祖父は、一般的なネームバリューに左右されるなと。 流行りものも忌み嫌う祖父の事、本質を見ろ、本質を見抜く力を持つようにと、うるさかったが。 幼稚園の時、祖父が退職して札幌に一緒に住むようになったが。 母と2人だけの生活で、父は月に1度だけ札幌にやってきて、友達の家は、両親が揃っていて、羨ましくもあったが。 祖父母が同居するようになり、家の中が賑やかになり嬉しかった。 その頃、母は大きなお腹をしていて、弟か妹が生まれる、、賢は、お兄ちゃんになるのよ、、折り在れば、口癖のように聞かされていたが、賢は、ピンときていなかった。 母親のお腹から、妹か弟が出てくる?? すると、母のお腹の中で、食べたり、飲んだりしてる? 眠っている? いろいろ想像してみても、ピンと来なかった。 とても寒い日だったと思う。 朝起きて、居間に行くと祖父がぼんやり座っていた。 母も祖母もいない。 祖父は、母が病院に行った、祖母は付き添って行った、、祖父が朝食を作ってくれたらしく、キッチンの隣の食堂で、2人だけで食べた。 祖父が作ったハムエッグの目玉焼きにケチャップがチョコンとたらしてあったことを、なぜかはっきり覚えていて。 その日は、幼稚園に連絡を入れたらしく、幼稚園は休むことにしたはず。 母は生まれたばかりの弟か妹を、賢にすぐ見せたかったようだ。 あなたの弟よ、あなたの妹よ、あなたはお兄ちゃんになったのよ、、実感させたかったのだろうか。 ヒジキの煮物を残してしまい、祖父は、いつもだったら、残すなと言うはずが、何も言わなかった。 祖父も今ひとつ食欲がないのか、、味噌汁には手を付けずに、お茶を飲みながら、ご飯を食べていた様子をよく覚えている。 3月初旬、札幌の街は、雪景色。 庭は雪で埋まっていたことも覚えている。 広い庭で雪山を作り、友達とソリ遊びをしていた。 冬の楽しみの一つだった。 その雪山も多少崩れていた。 3月は暖気と寒気が交互にくる。 真冬の寒さは薄れる。雪山も小さくなる。 祖父は、食器をさっさ、さっさと手際よく洗い。 コートを着て、祖父の車に乗って、病院へ行った。 病院に着いて、、母は既に分娩室に入っていて。 祖母は、2人目だから早いわ、、赤ちゃんも小さいみたい、、、。 祖母の言葉も覚えている。 心配しなくともよい、2人目だから、、小さいから、、そんなに時間はかからない、そんなニュアンスだった。 🥀
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