作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

 思えば初めから僕には記憶がなかった。  両親だと紹介された人たちはちっとも僕に似てはいなかった。  だから、人間だったのかも僕にはもう、わからない。  そして、今僕の身体の中には神さまがいる。もう、僕は人間じゃなくなったんだと改めて思った。 「お前は悲しいのか?」 「悲しいというより、寂しいかな。蘇芳っていう友達がいたんだけどきっと神さまは人間と一緒にはいられない」 「どうしてそう思うのだ?確かにかつて【管理者】だった頃は人間など道具だと思う者も多かった。だが、少なくとも俺は、今の俺はそうではない」 「あなたは、やさしい神様だね。だけど、あなたも聞いたでしょ?」 「……【災厄の器】か」 「うん、そう。事実、僕の体はあなたを宿した時から眠り続けている。こうやって会話ができるのも僕が眠っているから」 「お前は受け入れてもいいのか。消えることを。それも他者の勝手な都合で」  声を押し殺す。 「……どのみち僕は他者の勝手な都合で生まれた。どのみち自由なんてない。もちろん、生きられるならあの子のそばにいたい、けど……」  ああ、ひどく眠い。意識が闇へ沈んでいく――もう少しだけ、眠らせて。神様の手を取るかを考えさせて。 ** 「これは……」  黒フードの青年と堕天使は少年の状況を見て言葉を失った。 「物理と呪文でガチガチに固めてありますね。どうあってもこの子を【災厄の器】にする気です。解呪とかできますか?」  少年は巨大な柱に縛り付けられており、つけられた枷には強力な術が仕込まれていた。 「無理だ。そもそもすでに【禁忌歌】が発動されている。……サクリファイスか。残念だが、この子が【災厄の器】になる運命は変えられない」  そして祭壇の床は禍々しい魔法陣から溢れ出す光で赤く染まっている。  サクリファイスは【禁忌歌】のひとつで、術者の魂と引き換えに、中断不能の術式を発動する精霊歌だ。  黒フードの男はかつてみたサクリファイスの淡く輝く美しい魔法陣を思い出す。  今目の前にあるものとは似ても似つかない、希望に満ちた優しい光だった。  だが、その先の未来を変えることはできる。それに、【災厄の神】にはもうひとつの側面がある。もっとも、これから宿る神の名前が【オオマガツヒ】であるならばの話だが。 「そんな、じゃあこの子は助からないんですか?」 「……五月蝿いぞ」 「って、ええ?」  堕天使の青年の悲痛な声に反応して、全身を拘束された少年はゆっくりと目を開く。 「お前は、【管理者】だな」  黒フードの青年は落ち着いた様子で会話を試みた。 「そうだ。お前たちは何をしにきた?特にそこのロストエデンの戦闘員」  鋭い瞳で睨まれた堕天使は肩をすくめる。 「せ、戦闘員?僕は別に非情なことはしてないですよ⁉︎エリカお嬢様の薬という理由があるから仕方なく協力しているだけですし。今だって、この子を助けたいからここにいます」 「同じ理由だ。そしてお前も同じだろう。【管理者】ヒノハヤヒ」  続く黒フードの青年の言葉に、彼は少し考えて、頷いた。 「なぜ俺の名を知っているかはこの際不問とする。どうやら皆、この少年を助けたいということで意見が一致しているようだ。ならば時間がない。今から俺の考えた策を脳内に送る。決行は明朝だ。こちらでもう一度少年を説得する必要がある。あの子は諦めてしまっているが、なんとかしよう」 「理解した。堕天使、管理者。明朝またここで」  黒フードの青年は堕天使を伴って夜に消えた。 **  数時間後。 「なるほど。海底施設か。マレモノ用の防衛要塞なら守りとしては最高だろうな」 「身体は大丈夫か、苗」 「問題ないさ。木賊こそ、力を使った直後だろう」  首都から数百キロ離れた海上に【洋上廃都】と呼ばれる海上都市の跡がある。  そこは、世界防衛機構シルーディアの財力により、現世におけるマレモノ侵攻の海上防衛拠点都市として生まれ変わっていた。娯楽施設やショッピングモールなどがコンパクトに収まっており、普通に生活する分には問題がない。 機密事項も、対マレモノ用の兵器も全ては海中に沈められていて、普通の人の目には届かない。一般的には【洋上都市ワタツミ】の方が有名だろう。  黒い服のふたりの青年は、特殊な鍵を使ってのみ動くエレベーターで海底へ向かっていた。窓はなく、狭い。 「それより、よくこんな場所を提供してもらえたな」 「シルーディアの長、ハルアキのおかげだ。【災厄の器】の話なんて信じてもらえないと思ったんだがな……上波深潮、何者なんだあいつは」  堕天使と別れた後、苗と合流するため江ノ島に転移した木賊は、上波深潮に再会した。 「あの少年を救うなら、直接的に協力できますよ」  その後、唐突にスマートフォンを渡され、シルーディアの長であるハルアキと話すことになり、計画に必要なすべてを用意してもらうことで話がついた。 「……人魚は誠実だよ。彼らの思いはとても純粋で相手が裏切らない限り裏切ることはない。ハルアキからも悪意は感じなかった。だが、むしろ、あの感情は、」  ガタン、と音がしてエレベーターのドアが開く。 「着いた。ここが通称ノーチラス……対マレモノ用の海底防衛要塞か。思ったより広い」 「広いというか、スペルで異層に繋げてあるようだな。お、キッチンも広い」 「……やはり料理関連の設備が最初に気になるんだなお前」  黒フードの男は微苦笑する。 「気になるさ。オレはここにいた方が安全だろうから、助けてきた少年の衣食住担当になるわけで。自分も相手も美味しいものが食べたいし食べてもらいたいんだ」  苗と呼ばれた青年はそう言って微笑んだ。 「話を元に戻そう。部屋にある鉱石人形……が【管理者】の器用ってことでいいんだよな」 「回復は任せろ。よし、二体あるな」 「何故二体なんだ?【管理者】はひとりだろう?」  苗はまつ毛を伏せる。 「簡単さ。親友が生贄になるのを黙って見ていられると思うか?それも、10代の子どもで、【神降ろし】された被験者が」  木賊は言葉を失う。 「堕天使はふたりめについては、何も」 「そいつが騙したわけじゃない。知らなかっただけだ。オレの【瞳】は情報通だから。可愛い見た目に透明化能力持ち。知りたいことも知りたくないことも定期報告してくれる。それによればそもそもロストエデンの目的は【輪竜実験】の方だ。もっとも、【彼らがいる】時点で無駄足なんだけどさ。それでもまがいものは作れたらしい。だから調子に乗ったマッドサイエンティストが数人で【神降ろし】を試したんだってさ」 「狂ってる……」 「本当狂ってると思うけど、置いといて。で、何人かは成功したみたいなんだ。問題は、そのことによって厄介すぎるやつが目覚めたことの方」 「……それは、お前はここにいるべきだな」  木賊は何かを察したように苗を見つめる。 「……気をつけて。今度こそ……彼を、」 「任せろ。また後でな」  木賊が消えた室内を苗はしばらく見つめ、 「さて、掃除からかな」 とりあえず掃除を始めた。 ** 明朝。 「うまくいきましたね」 「ああ」  木賊と堕天使は計画を成功させて洋上都市ワタツミのホテルで朝食を摂っていた。ベッドにはふたりの少年が仲良く眠っている。もっとも少年であるのは中身だけで、鉱石人形であることは間違い無いのだが。 「しかし鉱石人形、ですか。見た目は完全に人間ですよね。シルーディアの技術、素晴らしいです。作者は……白青アスカさんですか……」  首の裏と腕にコードのような形で作者名が刻印されているようだが、木賊にはただの模様にしか見えない。 「お前は、元々シルーディアの人間だったんじゃないのか?俺にはただの模様にしか見えないぞ、これ」 「あまりに自然に読めたのでつい。シルーディア……ですか」  堕天使は少し考え込む。 「落ち着いたら喪った記憶と向き合う時が来るでしょう。その時のために覚えておきます。それでは、ふたりをよろしくおねがいします」 「ああ」  堕天使は白い翼をはためかせて、青い空へ消えていった。 ** 「うまくいったな。さて、目が覚めたらやはりここはおかゆだろうか」  数分後、木賊はふたりの少年と共に海底にいた。  心なしかピカピカに磨かれた壁と窓と床。ベッドも整えられており、もちろんふかふかだ。 「お前、全力で掃除しただろ」 「まあ、じっとしてても黒化侵食が収まるわけでもないからな。それに、このふたりにとってはいい環境こそが大事だ。太陽光に近いライトもあるから、水耕栽培とかしてみようかと」  苗が生き生きしているのを見るのは久しぶりだと木賊は思う。 「ああ。必要なもんは念話で飛ばせ。俺は戻る。首都の方を見張っときたい」 「気をつけて。こっちは任せろ」    この後木賊はリア・クロスに連絡を入れ、結果として長岡友希と海野圭が【日野隼陽】を救い出すこととなる。  そして数年後、絡まった因縁は時が満ちて動き出す。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません