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 雨が降っていた。  私は惨めに濡れて飛べなくなった羽を引きずりながら歩いていた。  いや、片羽の蝶はもう飛べない。契約歯車<エンゲージ・ギア>を埋め込まれて疑似石妖となったらしい今、こうして契約者なしでも動けることだけは救いだが。  体は冷えて、熱が奪われていく。契約者がもし私にもいたならばまだ戦えたのだろうか。  そんな時に、 「……怪我をしているのか?」 桜色の髪の少女と出会った。 「……人間には関係のないことよ……」 「……掴まれ」  少女は有無を言わさずにふらついた私を家へ連れていこうとする。 「……駄目よ。貴方まで巻き込んでしまうわ。あのカマキリのマヨイゴは執念深いから……」 疑似石妖となった今でも、私には意思があり、また関係ない一般人を巻き込むなというのは組織の鉄の掟だった。  しかし少女は凛とした声で、 「マヨイゴが絡んでいるなら倒さねばならないな。しかし、私にはまだ石妖というものがいないので困っていた」 そう言って、真剣な瞳で私に告げた。 「気高く優しい蝶の石妖よ。これも何かの縁だ。……私と契約してくれ」 「……よかろう」  茶色みがかったラブラドライトの原石が埋められた契約歯車を彼女に渡す。 「わらわはラブラドライトじゃ。汝、名は何という?」 「……忍野桜耶だ」  なるほど、桜色の髪と凛とした雰囲気。美しき桜の女神の名はこの少女によく似合う。 「では、サクヤ」 「んっ……!」  少女を引き寄せ、契約のキスをした。どちらかというと今回は弱っているので少女のマナが欲しかったのが大きい。  マナというのは旧世界の呼び名で今は変わっているのかもしれないが、まあ世界に満ちる自然素という性質自体が変わったわけでもない。  石妖は、実体化するために多くの石素(これも旧世界の呼び方だが)を必要とする。そのために基本的には短時間の実体化しかできない。  ただ疑似石妖は違う。疑似石妖は本体がもはや現世に来てしまっているわけであり、生きるために、存在するために契約者と契約歯車<エンゲージ・ギア>は必須となる。契約者からのマナ供給と契約歯車のマナ吸収能力でようやく存在が許されるのだ。 「……これで契約は成った。そして少しマナもいただいたぞ。これで傷も癒え始めるだろう」 「……」 少女は顔を赤くして、ぼうっとしている。 「……おや、もしやサクヤ、キス自体が初めて、だったか?」 「……」  少女の無言を肯定と私は受け取った。 「ふふ。心配せずとも石妖だからノーカウントじゃ」  そしてそのままふわりと彼女を抱きしめた。戸惑ったような表情もたまらなく愛おしい。 「よろしく頼むぞサクヤ。心配はいらぬ。サクヤの剣と私の術が合わされば、大抵のマヨイゴなど還してしまえるだろうよ」 「あ、ああ。少し驚いたが、今のが契約の方法なのだな。そしてマナを得る方法というなら契約者として受け入れよう。 よろしく頼むぞ、ラブラドライト」 ―― 「通り魔事件?」 「ああ、被害者は髪の長い女性や男性に集中している。被害状況は髪を切られ、全身にも複数の切り傷。ただ、命にかかわるような怪我ではないのがまだ救いだけどね」  今日の営業を終えたピエトラで紅茶とケーキを食べながら隼陽、ヒメ、鳥束、友希の4人は打ち合わせをしていた。 「ゆー兄。そいつを倒せっていうのが次の依頼か?」 「うん、話が早くて助かるよ。現場はここからすぐの公園。今はリア・クロスが警察に掛け合って封鎖してあるから、暴れても大丈夫」 「わかった、準備する。鳥束、行くぞ」 「はいはーい」  賑やかにふたりが去ったあと、友希はヒメを残して、その長い髪を梳いた。そして手際よくポニーテールを作る。束ねたゴムにはペンギンの飾りがついている。 「これでいいかな。ヒメの髪は綺麗だから、切られちゃうのはよくないと思ってね」 「ヒメはよくわからない。髪は大事な、ものなの?」  不思議そうに訊くヒメに、 「確かに放っておいても伸びるものではあるけど、綺麗に保つ手入れも大変だしね。ヒメほどの長さに伸ばすのは時間もかかる」 「よくわからないけど、そういうものなのね」 「そう、そういうもの。あ、隼陽たちの準備もできたみたいだな」  何か小さく呪文のようなものを呟いて、友希は3人を送り出す。 ――  立ち入り禁止の柵を乗り越えて、3人は公園に入る。  空間がゆらりと揺れ、そしてすぐに元に戻った。要するに、結界が張られているのだ。  等間隔に並んだ街灯に照らされた遊歩道を髪を下ろした隼陽が歩く。  要するに、囮だ。  今回の敵は髪が長ければ性別関係なく襲い掛かって来るらしいから、髪の長い隼陽には好都合だった。 「……何か感じるか、赤珊瑚」 <今のところは何も。ただし、油断されぬよう。例えば遠隔攻撃をしてくる相手なら――> 「!」  何かを感じて素早く隼陽は横に飛ぶ。背後の樹に鎌のような刃が突き刺さっていた。 「……かかったか……赤珊瑚!」 <……ヴェール魔術展開。授炎!>  隼陽は走って無数の刃を避けながら自らの二振りの刀に炎を纏わせる。 「……本体を引きずり出す!あぶってやれ赤珊瑚!」 <御意。……オオオオオオオオッ!>  紅蓮の炎が鎌を飛ばしてくる敵に噴射され、その姿が露わになる。 「うわあ、でかっ!なんだあの巨大カマキリ」 「小さいのもまとわりついてる。気持ち悪い。ヒメはとても、だから」  鳥束は隼陽へ合流すべく駆け出していく。ヒメは月長石を呼び出し、銃を構える。 「あなたには消えてもらう!」  撃ちだされたのは氷の呪文弾。狙いは寸分狂いもなくカマキリ型のマヨイゴの左眼を撃ち抜く。そしてこの呪文弾の真価は撃ちこまれた後。 <うんうん。こういう感じで体中に氷が張っていくのだよね。また、マヨイゴの性質はとった生物の形状に酷似する。 カマキリは変温動物だからねぇ>  左目から広がる氷は体中に広がって、相手は動きを止めつつある。 「でも、氷が、冷気が足りない。隼陽の能力は炎だから氷を溶かしてしまう。鳥束は雷だから……」 「……取り巻きの子カマキリは焼いてしまえたと思うが……どう見る、鳥束」 「んー。正直決定打にかける。さらに悪いことに今の時期は暑くなっていく時期だから――」  シュウシュウと音を立てて氷が解けていく。同時に少しずつ相手の動きが戻って来る。  更には―― 「っ!」  対峙している相手の更に奥から鎌状の刃が飛んできて、隼陽の頬をかすめる。 「……親カマキリ傷つけられたから怒ったってことだよなーこれ。どうする?」 「どうするって、やるしか――」 ―― 「やっと追い詰められたか。感謝しよう」  蝶だった。美しい青色の羽を持つ蝶がそこにいた。 「……では、永久に眠れ」  時が、凍り付く。夏を控えた都会の夜が一瞬で真冬へと変わる。気づくとカマキリ型のマヨイゴすべてが氷像へと変わっていた。 「……サクヤ。あのカマキリの核石は背中じゃ!」 「わかった」 (……女の子……?)  蒼白い氷の世界にふわりと鮮やかな桜が踊り、ぱきり、とカマキリ型のマヨイゴの核石が砕ける。どろり、と実体が溶けて、マヨイゴは塵になった。 「任務完了」  桜色の髪の少女はそう凛と告げ、世界は再び動き始めた。 ―― 「私は忍野桜耶という。そうか、君たちはリア・クロスの――」  戦いを終えた4人は桜耶の家の居間でオレンジジュースを飲んでいた。 「リア・クロスを知ってるのか?」  驚いたような隼陽に、 「……ふむ。その様子だと知らないか。リア・クロスにはいくつか直属の集団があるのだが墨染を率いているのが忍野家――私の両親だ。……といっても私はあくまで養子なので血は繋がってはいないのだが、誇りに思っているよ」 「桜耶ちゃん、そんなこと話しちゃっていいの?オレらが嘘つきかもよ?」  からかうような鳥束を、 「いや、そんなことはしないだろう。これでも人を見る目はあるつもりだ。ところで君たちの長は誰だ?」 彼女はきっぱりと否定して、訊いた。 「……多分俺だ。日野隼陽」 「では、隼陽。私を君たちの仲間に加えてほしい」 「俺としては賛成だ。だがこれはゆー兄に聞いてみないことには。今から少し時間はあるか?」 「ああ、構わない」 ――  ピエトラで事情を話すと、友希はあっさりと許可を出した。 「問題ないよ。戦力が増えるならありがたい。尋も星羅も問題ないってさ。というわけでよろしくね桜耶さん。早速だけどケーキは好き?」 「ゆー兄、そんなあっさりOKだしていいのか?」  あまりに上手くいきすぎて不安になった隼陽はケーキを食べながら訊き返す。 「うん。戦闘能力は申し分ないし、何より隼陽が賛成なら俺に異論はないよ。あ、でも住み込みになるから少し喫茶店の仕事を覚えてもらうことにはなるけど」 「私でいいなら、いくらでも努力しよう。リア・クロスの長、虹石殿。感謝する」  桜耶はそう言うとケーキを食べる手を止めて深く礼をした。 「い、いやいやそんなにかしこまらなくてもいいよ!?なんだか俺が照れてくるから!あ、基本的には長岡さんか友希さんって呼んでね」 「わかりました」 ――  翌日、段ボール数箱が届き桜耶がピエトラに住むことになった。 「賑やかだな」 「ああ、五月蠅いのは本来あまり好きではないけど」  隼陽はそう呟いた後で、楽しそうに笑う桜耶を見る。  彼女は隼陽だけにこう告げていた。 「――あの家は立派すぎてひとりで暮らすには広すぎたから」  凛々しく強い彼女がぼそりと呟いたから、余計に印象に残っていた。 「……独りは、多分寂しいもんな」 「ん、なんか言った?」 「何も。さ、開店準備だ」  隼陽は鳥束の問いには答えずにフロアへと降りていった。

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