石妖契約奇譚首都異聞録
3話 ⅩⅢ研究室の眠り姫

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――こぽ……こぽ……急に、水の音が聴こえた。  朧げだった意識が、覚醒する。  まだ、この眼は開かない。まだ、この身体は動かない。  生温かい水の中にいるようだ、としかわからない。 (……わたしは……だれ……?)  どうしてこんな場所にいるの?  名前は?  湧き上がってくる疑問に答える者はいない。  そこは閉ざされた研究室で、その研究室の主は逃亡中だったからだ。 ​ ​ ―― 「はい、おふたりさまですね。奥の席へどうぞ!」 「……すっかりなじんだな、お前……」  鳥束がカフェ「ピエトラ」でバイトを始めてから2週間が経った。  彼はすっかり接客にも慣れ、得意のスマイルで客の人気者になっていた。  ……特に若いお姉さま方に人気である。元々、接客方面に素質があったようだ。 「隼陽や長岡さんが丁寧に教えてくれたからだよ。オレ、【失敗作】って言われてたし、何より、こうして外に出てバイトなんてやったことなかったからさ」  鳥束はそう言ってへらりと笑った。 「……鳥束、ひとつだけ言ってもいいか」  休憩室に戻った隼陽は、鳥束を真っ直ぐに見て一言だけ告げた。 「……自分のことを【失敗作】と言うのはやめろ。言ったら怒るからな」 「……え、でも、事実だしさ?」  きょとんとする鳥束に、隼陽はつかつかと歩み寄る。 「……そんなもん、ロクでもない連中の勝手な認識だろ。別に俺にとってはお前は「ただの鳥束」でそれ以下でも以上でもねえよ。実際、接客に関してはお前のが俺より上だ」 「……」 「とにかく、しなくてもいい自己卑下はするんじゃねえ。わかったか」 「わかったよ!そして隼陽、顔近い!」  その言葉に隼陽はぷい、とそっぽを向いて去っていった。 <なんというか、熱い方ですねえ。ちょっと危ういですけど> 「……黄鉄鉱、オレあんなこと初めて言われたから……ちょっと泣きそう。これが多分、嬉しいって感覚なんだよな……」  鳥束にとっては、【失敗作】という言葉は空気のようなもので、それ相応の扱いを受け続けてきた。  黄鉄鉱に出会う前までの彼は特に、戦闘能力も心もあってないようなものだった。  身体と心に受け続けた傷は、今もまだ癒えてはいない。  黄鉄鉱は今でも思う。  もう少し早く、もう少し早く彼の傍に来れていたなら彼を救えたのだろうかと。 <……隼陽さんのこと、好きです?>  鳥束は静かに頷いた。 「……色々口うるさいし、素直でもないけどさ……はじめてちゃんとオレ自身を見てくれる人。そして、変な話なんだけどさ……隼陽はすごく……懐かしい感じがするんだ」 ​ ―― <青春ですね、マスター> 「……別に。俺はただ、【失敗作】でもなんでもないのに自分のことをそう呼び続けるあいつがうざかっただけだ。あとは、思い出してしまうから」  洗面所で手を洗いながら、隼陽は呟いた。 <カグ様も自分自身を……そう呼んでいたんですか> 「……ああ。【失敗作】だから、人より多くマナがいる。ごめんなって、よく言ってたんだあいつ」  蛇口の水を止めて、鏡の前で隼陽はひとり呟いた。 「……鳥束もカグも、そんな風には見えない。むしろ俺自身がそうだと思えてしまう。【失敗作】は俺の方だ……何ひとつ、守れなかったんだから……」 ​ ――  その日の夜、鳥束は隼陽の部屋を訪ねた。 「隼陽、そっち行ってもいい?」 「ああ」  隼陽は薄いシャツ1枚というラフな格好で鳥束を出迎え、手際よく紅茶を入れてくれた。 「それで、何の用だ?」 「……明日、オレとデートしない?」  ばさっと机の上に置かれたパンフレットに隼陽の眼が点になった。 「こ、これは一体」 「だからデートだよ、デート。オレ、まだ全然首都については知らないし色々行ってみたいところもあるけど、隼陽以外に頼れる友達もいないしさ。ダメ?」  鳥束の眼がきらきらと輝く。 「……ダメってことはないが……俺もそれほど首都には詳しくないぞ?この地区ならわかるが」 「本当!?じゃあ、明日案内してくれる?」 「わかった。お前も気分転換が必要だろう、鳥束。9時に起きろ」  鳥束の顔がぱあっと明るくなる。 「ありがとな、隼陽」  鳥束はそう言うと部屋を出て……いかずに部屋に鍵をかけた。 「出ていかないのかよ!?」  思わずつっこんだ隼陽は、鳥束の行動に更に息を呑んだ。 「お、お前、何しようとしてるんだよ!?」  鳥束は自分のシャツのボタンを外して、シャツを床に落とした。 「何って……昼間の言葉のお礼。すごく嬉しかったけど、伝え方をこれしか知らないから」 「待て!そんなことお前はしなくていい……!」  パンツにかかった鳥束の腕を、隼陽は掴んだ。 「だけど、オレ……何も持ってないから。すごく嬉しかった……だから何かを隼陽にあげたいんだ」  鳥束はまっすぐな瞳で隼陽を見つめる。 「……じゃあ、明日のデートの時になんかおごってくれ。それでいい。自分自身をもっと大切にしろ、鳥束。少なくとも俺は、お前を傷つけたくはないからな」 「……ああ、わかった……」  鳥束はそう言うと、隼陽の頬に、そっとキスをした。 「……これぐらいは許してよ。じゃあ、また明日!」  部屋の鍵が開けられ、鳥束は部屋を出ていった。 <……マスター、鳥束さんは>  ひとり部屋に残された隼陽は自らの頬に手をやる。ひどく、熱かった。 「……あいつ、一体どんな環境で育ったんだよ……何をされてたかは……今ので察しがついたけど」 <少なくとも彼に悪気はないでしょう。ある程度は受け入れてあげてもいいのでは>  隼陽は小さく頷いた。 「変な話なんだけど、昔似た様な子に似た様なことされたような気がするんだよ」 ​ ――  翌日。 「絶好のデート日和だな。隼陽」 「ああ。とりあえずこの近辺を回って見よう。まずは『響石屋』からだ」  ピエトラの定休日は毎週火曜日。  初めての給料も入ったふたりはデート……もとい出かけていた。  吹いてくる風は爽やかで心地よい。鳥束はその風の感覚をとても新鮮だと思った。 「ここだ」  カラン。  ベルを鳴らしてアンティークな木の扉を開く。  店内にはたくさんの鉱石や原石が並べられていて、きらきらと白熱灯の光に輝いていた。  店内にはふたりしかいない。元々、客が多い店でもなかったので、隼陽は特に疑問にも思わなかった。 「何だかきらきらした石が一杯だな。あ、黄鉄鉱!」  鳥束はそういうと黄鉄鉱を指指す。 <お揃いですねえ。ま、元々石妖って名付けられてるぐらいですから> 「赤珊瑚もあるな」 <マスター、どうですか。そのネックレスはマスターに似合いそうですよ>  隼陽は赤珊瑚のネックレスを手に取った。 「ああ、じゃあ何かの縁だ。買おう。鳥束、お前は決まったか?」 「ああ。このペアリング」  ふたりは会計を済ませて、店を出ようとする。  しかし、ドアは開かなかった。 「隼陽、これ渡しておくよ。ペアリングのもうひとつ。トルマリンの方」  隼陽は受けとって指にはめる。 「ああ、もらっておくが、今はそんな場合じゃないだろ……閉じ込められたようだぞ?」 「急いだってどうにもならないじゃん。多分これは……何らかの「能力者」の仕業だな」  鳥束はそう言うと目を閉じて意識を集中した。 「……見つけた。そこに隠し扉がある!」 ​「待て!俺も行く!」  彼はそういうと迷わずその扉の中へ飛び込んでいく。隼陽も後に続いた。  ふたりは気づいていなかったが、扉にはこう文字が刻まれていた。  ⅩⅢ研究室、と。 ​ ―― 「なんだ……これ……」 「……研究室……?」  扉の中に入ったふたりは巨大な水槽を目にした。  見たこともない機械が部屋の中心に置かれ、本棚には難しそうな本が詰められ机の上には資料が散らばっている。  そして、水槽の中には一糸纏わぬ姿で、長い髪の少女の姿があった。  隼陽はおもむろに机の上の研究資料に目を通す。 「……「」竜実験……被検体No13。女性型鉱石人形<ホムンクルス>。「」を埋め込み――を素体として、生成…」  鳥束が別の資料を手に取る。 「実験は……成功。唯一の成功例……感情レベルは低いが、感度は良好……」 (そうか、これがひーの言ってた……ホムンクルス……)  鳥束は水槽のガラスに手を触れる。 「……ホムン……クルス……」  続いて隼陽が水槽のガラスに手を触れた時…… 「……え?」「割れた?」  水槽にひびが走り、内部の溶液が部屋に流れだす。 「とりあえずあの子を!」「異論はない!」 「黄鉄鉱!ガラスを砕いて!」 <はいはいー!散雷!> 「赤珊瑚も黄鉄鉱に協力してくれ!」 <御意。炎紅破!>  炎と雷が水槽のガラスを粉々に砕き、更に黄鉄鉱のホログラムから現れた電磁結界が少女の体をガラスから守った。 「これで、よし。鳥束、この子を俺の背中におぶせてくれ。できればパーカーも羽織らせてくれ」 「女の子は裸みられるの嫌だろうし。了解」  鳥束は手早く少女に自らのパーカーを羽織らせ、前も閉める。  そしてその体を隼陽におぶせた。 「……よし、出よう」  ふたりは「響石屋」を後にする。扉は不思議に開いた。  後の話だが、後日隼陽がその場所を訪れるとそこには店はおろか、廃墟すらもなかったという。 ​ ――  その後事情を話すとすぐに店主はどこかに電話をかけ、少女とふたりはとある旅館へと向かうことになった。  今その旅館の一室で、少女は眠っている。  隼陽と鳥束はというと―― 「はあ……いい湯だぁ……」 「ああ……疲れがとれていくな……」  露天風呂で思いっきりくつろいでいた。 「ところで、隼陽って…綺麗だよな、色々」 「馬鹿、何じろじろみてんだよ……!恥ずかしい!」 「えー。髪もつやつやサラサラ。肌も白くて柔らかそう。首の石もきらきらしてるし」 「!」  隼陽は何かに気づいたようにさっと首を両手で覆い隠した。 「わ、忘れろ。気持ち悪いだろ!そもそも首に石が埋め込まれてるとか!」 「気持ち悪くはないけど。あ、隼陽のってわりと……」  鳥束はそう言ってある一点に視線を注ぐ。幸か不幸かお湯は透明だった。 「お前はどこ見てるんだ!とりあえず上がるぞ!」 ―― 「ところであの子、いつ頃目を覚ますと思う?」  露天風呂の脱衣所。タオルで体を拭きながら鳥束は隼陽に尋ねた。 「わからんな。まあ、傷もなく、ただ眠っているだけってことだったし、そのうちだろ」 「……あの子、名前がないんだよな。ホムンクルスは大体そういうものなんだけど。あ、そうだ。隼陽がつけてあげるとか?」 「馬鹿言え……俺はそもそもそんなにセンスのある方じゃ……」  彼らがそう言って部屋に戻ると…… 「……」 ​目を覚ました少女が何も言わずに窓の外に浮かぶ月を見つめていた。 ​

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