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6話 脱走者  薄暗い地下の薄汚れたベッドがぎしりと鳴った。  漏れ聞こえるのは甘くかすれた声。ちらちらと切れかかった電灯に煌くのは白銀の長い髪。 「……サク……ノ」 「こんな場所で悪いけどもう限界だったんでね。食らわせて、もらう」  声を殺した行為が終わり、サクノと呼ばれた男は白銀の髪の少年を抱きしめた。 「……はあ……少しは落ち着いたかなサクノ。暴走は鎮まった?」 「ああ、悪いなユーリィス。こんな薄汚れたベッドに綺麗なお前を横たえたくはなかったんだが」 「気にしなくていい。僕は処刑者だ。この手はとっくに血まみれだから」  ユーリィスは立ち上がって衣服を身に着けなおす。ずっと地下を歩いてきたせいか埃っぽかった。 「ねえ、ここもう都心の地下あたりなのかな?研究所の混乱に乗じて逃げ出してきたけれど」 「さあな。地下だから方角がわからねえ。どこかで一度地上に出る必要があるだろうな」 「あ」  ユーリィスは目の前の壁から明かりが漏れているのを見つけた。これはおそらく首都メトロのものだ。 「首都メトロか。じゃあ間違いなくここは首都の地下だ」  サクノの声にユーリィスは頷く。 「じゃあ、ちょっと霧になって抜けるかな。サクノももう出来ると思うよ。変化。ボクとのマナリンクのレベルはもう相当高いだろうし」  小さく呪文を呟くと同時にユーリィスは白い霧と化す。サクノはネズミ。  壁の下のわずかな隙間を通り抜けたふたりはホームの上で変化を解いた。ホームの灯りは消えていて、電光掲示板の文字は23時。 「23時じゃ電車は動いてないだろうな。けど俺らには好都合だ」 「うん。さすがに電車にひき殺されるのは嫌だからね。さ、地上に出ようサクノ」  駆け足で無人の駅の階段をかけあがり、外の空気を吸った。  夏の終わりの月が重く、どこか物悲しい色でふたりを出迎える。 「首都といってもわりと外れの方か?高層ビルはかなり遠いみたいだし」 「とりあえずそこの公園で結界を張って休もう。ボクは少し、疲れたよ」  ユーリィスは無人の公園に陣を書き、結界兼自宅である洋館を呼び出す。サクノも後に続いた。  洋館はユーリィスの住んでいた家がそのまま再現されたものであり、生活に必要なものは全て揃っている。  ユーリィスは迷いなくバスルームに直行し、洗濯機に着ていた服を投げ込んでスイッチを押す。 ほどなく水音が聞こえた。 「さーてっと。俺はなんか食べるか」  キッチンの戸棚からインスタント麺を取り出し、水を入れて湯沸かしポットのスイッチを押す。 テーブルに座り、ぼーっとしていると先ほどのことが思い出された。 (ユーリィスって本当綺麗な顔してるんだよなあ。ま、見た目よりかなり年上なんだが)  ユーリィスは「月の子ども」――いわゆる吸血鬼と呼ばれる存在であり、成長速度が人間とは違う。  そのため、見た目はどうみても少年にしか見えないので行為の際に微妙な感情を抱くこともサクノにはあった。  しかし、行為を行わなければ今のサクノはもう自我を保てていなかっただろう。  マナ過多。それがサクノが生まれ持った体質だった。  全てのものは生まれつき石素と呼ばれるものを持っている。そして大気中に充満する自然素に干渉してマナを生成する。  そしてそのマナを吸収することで生きていく。普通の人間はそれほど多くの石素を持たないため影響は基本的にない。  ただ、マナ過多と呼ばれる――生まれつき特定の石素の量が極端に多すぎる人間は自然素と過剰に干渉してしまうため精神を病みやすい。サクノの場合は悪いことに火属性が過多で、攻撃性衝動性に直結した。昔からけんかっ早く生傷が絶えない。問題児。怖い奴。 (さらに俺が悪かったのは孤児だったんだよなあ。親の記憶がなくて。まあ、のちにマナ過多の理由も親がいなかった理由も研究所で思い知らされたんだけどよ)  それでも何とか高校までは卒業したが、仕事は長続きしなかった。  ある夜マヨイゴに襲われ、気がつくと研究所にいた。実験体として人ではないような扱いを受け、それでも持ち前の性格で慕われて、反乱を起こし――仲間と腕を喪った。 (あの時、俺は死を覚悟した。むしろ死にたいとすら思った)  研究所はサクノの仲間を毒で化け物に変え、互いに殺し合わせ、そしてサクノを殺すように仕向けた。  自我がなくても、姿が変わっても戦うことをためらい、逃げ続けていたサクノだったがついに地下通路で追い詰められた。  仲間の牙が爪がサクノの身体を引き裂く前に、白い髪が舞って銀の鎌が閃き、紫の血の華が咲いた。 「……一撃だったから、そんなに苦しくはなかったはず」  冷たい声だった。感情すら持たないような。 「……助けてくれたのか」 「助ける?まさか。これが処刑者の役割さ。研究所の失敗作を秘密裏に殺す。ボクはそのためのただの道具」  ユーリィスはそう言ったが、サクノは気づいた。 「声、震えてる。それに、お前、ケガしてるんじゃないか?」 「……気のせい……だよ……」  ふらついた少年を支え、腕で抱え上げる。喪った腕は濃度の高い石素のせいで結晶化していた。 「すごい熱だ。ケガじゃなくて体調悪かったのか……」 「離して……ボクに関わってはだめ……」 「もう今更喪うものなんてねえよ。とりあえず逃げるぜ!お前、名前は?」 「……ユーリィス……近くにマナの流れを感じる……もう少しだけ逃げれば……結界を張れる」  それからユーリィスの結界を利用して数日間体の回復に専念した。  場所的には研究所の地下通路から一本入っただけの地下空洞だったが、ふたりは誰にも見つからなかった。  ユーリィスはサクノに義手を与え、そしてサクノは体質のことを話した。 「……そう。じゃあ君がボクを助け、ボクが君を助けたのはとても幸運だった」  その日の夜、ユーリィスの部屋にサクノは呼ばれた。 「話は簡単さ。ボクは人より多くのマナを必要とする月の子どもと呼ばれる種族でね。 見た目よりはずっと長く生きている。だから、サクノはボクを【食べれば】いい。意味はわかるよね?やり方はどう?」 「え、いやその、そういう方面は俺は全く」 「ふうん?」  ユーリィスはいたずらっぽく笑って、シャツのボタンをはだけた。 「な、なんかドキドキして直視できないんだけど」  真っ白な肌。しかし、その肌には細かい傷跡がいくつも見える。サクノはそっと傷に触れた。 「ひゃっ!?」  不意打ちに驚いてユーリィスは体をひねる。 「この傷、研究所のあいつらにやられたのか?」 「……それもあるかもだけど忘れちゃった。月の子どもはいろいろな世界で迫害を受けやすかったからね」 「っ……」  サクノはぎゅっとユーリィスの細い体を抱きしめ、ぽろぽろと涙をこぼす。 「なんで君が泣くの?ああ、でもそうか……君はそういう人なんだよね……サクノも泣いていいよ?大事なものを全部喪って、腕まで失って。我慢しなくていい」  その後サクノと溶け合いながらユーリィスは小さく呟いた。 「……君の悲しみも苦しみもこれからは分け合えばいい。誰とも関わらずに生きるつもりだったけど サクノの魂はとても気高い。何より……ボクのために泣いてくれた人は、妹……以外ではサクノだけ……だ」 「ああ……ユーリィスから見たら28歳の俺なんてクソガキだろうけど。それでも。お前が泣けないならいつだって代わりに泣いてやるよ」  翌朝、ランプの明かりで照らされたふたりの左胸には「護りの証」が刻まれていた。  しばらく隠れながらも穏やかな日々が続いていたが、研究所の暴動を聞きつけたふたりは混乱を利用して逃げることにした。経路を調べる余裕もなく飛び出し、地下を何日も彷徨いようやく公園に結界を張り、今に至る。  ある朝結界から出たサクノは黒髪の美女に呼び止められた。 「はあい。強いマナ反応が出たから調べてきてって虹石に言われてちょっと来てみたのだけどお話いいかしら?」 「なんだてめえ。研究所の追手か?」  警戒心を露わにするサクノに、女性は驚いたように尋ねた。 「研究所?ロストエデンの研究所からの脱走者が他にもいたの?ちょっとまってね、防音結界を張るわ」 「……ロストエデンの研究所を知ってるってことはてめえは敵か?」 「違うわよ。あんなクソ組織と一緒にしないでよね。ロストエデンにはあの温厚な虹石すら激怒してたもの。ま、学校ひとつ潰せば誰だって許せないわよね。……リア・クロス。この名前に聞き覚えは?」 「リア・クロスか。ボクのマナを探知するとはさすがだね」 「ユーリィス」 「紅茶が冷めてしまうから呼びに来たんだけど。へえ、君はリアクロスの……紅玉、だね。火を纏っている。用件は?」 「ええ、私は紅玉。用件は、マヨイゴだったらいけないから確認してきてって言われただけよ。それより公園に結界を張るのはさすがに目立つからよさそうな場所に連れて行ってあげるわ」 「ここよ。どう?一応リア・クロスの本部の結界範囲内のバラ園。蒼月薔薇もたくさん植えてあるの」 「うん、ここはいい。結界を張ろう」  ユーリィスは珍しくうれしそうな顔をして手早く結界を張った。 「なあ、どうして見ず知らずの俺たちに手を貸すんだ?リア・クロスとやらは」  サクノは対照的に解せない様子で紅玉を見つめた。 「ああ、それはね簡単なことなのよ。あなたたちはあの研究所から逃げてきた。要するに【生きたい】ということよね」 「ああ」 「うん」 「……【生きたい】と望むなら、ヒトであれそれ以外であれリア・クロスはそのための力を貸そう。 これがリア・クロスの理念。もちろんすべてを救うことはできないけれど、出会ったのならば何かの縁。 目の前にいるのなら見過ごすことはしない」 「……甘い考え方だね。だけどボクは好きだ。ボクはユーリィス。研究所の元処刑者だ。こっちはサクノ。被験者だった男だよ」  紅玉は少し考えて、 「あら、本当の名前を教えてもよかったの?」 「ボクは嘘やごまかしや悪意はすぐにわかる。だから構わない。結界を張らせてもらったお礼」 「そう。じゃ、私もあなたたちには教えるわ。と言っても多分ユーリィスはわかっているでしょうけど。 ……アズサ。じゃあ、これからよろしく。あ、別に干渉はしないから安心して。でも困ったことがあったら 頼ってくれていいわ」  アズサはそう言うとその場を立ち去った。  張りなおした結界の中の洋館でユーリィスはベッドに寝ころんでいた。地下ではないので結界の外の時刻に合わせて空の色は変わっていく。 「すべてを救うことはできないと知りながら、出会った者で生きたいと望むなら、ヒトでなくとも力を貸す、か。リア・クロスの長といわれる虹石は――」  そんな結論に辿り着くまでに一体、 「どれほど助けて、そして喪ってきたのだろうね?」  一方研究所では、白い髪の女が静かにある準備を進めていた。 「ふふ、でーきた……獣化毒」  漆黒の液体を注射器に移し、女はぐったりとしている被験者にそれを注射する。 「ぐおおおおお!」  すぐに、一体の漆黒の獣が姿を現わした。 「私の石妖はキメラ。その蛇の尾からとれる毒は全ての生き物を獣とする猛毒……ああ、ユーリィス。あの美しい処刑者はどんな獣になり果てるのかしら」 <エレクトサマ> 「うふふ。楽しみねキメラ。またあなたの仲間が増えるかもしれないわよ?」  暗い研究室の中で女は嗤う。檻に入ったたくさんの獣の唸り声を聞きながら――

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