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 彼女のまつげが、静かに持ち上がる。  そのまぶたの下から鳶色の瞳が覗き、しぼりとなる焦点が何度か収縮すると、瞳に光が宿った。首をわずかに持ち上げ、台座からゆっくりと立ち上がる。曲がった関節は春に芽吹く若葉のように伸び上がり、下を向いていた顔がひまわりのように上を向く。  私は彼女の起きる姿が好きだった。  人間よりも白く、まるで凹凸のない滑らかな肌。グレーとベージュの合わさった淡い黒髪。薔薇のように赤い唇。  そして、彼女固有の特徴として、口元に三つのホクロがあった。夜を大きく彩る、星座の中央に並ぶ三つ星のように、均等に並ぶそのホクロにちなんで、父は彼女に、アンドロイドに、オリオンと名付けた。 「カオルさま。おはようございます」  彼女の瞳の光が私を捉える。頭の中では画像照合が行われたのだろう。数秒のヴィーンという鈍い機械音の後に、彼女は私にそう言いながら頭を下げた。   日に日に彼女の出す音が鈍くなり、一つひとつの動作時間が長くなっている。 「その呼び方はやめてほしいって言ったじゃないか」  冗談めかしたように笑いかけると、彼女はゆっくりと首をかしげて微笑んだ。 「別の呼び名を教えていただかないと、パーソナル・メモリを更新できません」 「君に新しい呼び名をつけてほしいと頼んだよ」 「ワタシにはそのような機能はありません。呼び名を変えたい場合には、ワタシにカオルさまの新しい呼び名を追加し、優先順位を設定してください」  アンドロイドは通常、国が一元管理しているナレッジ・ベースに加えて、常識と呼ばれるコモンセンス、感情を表現するエモ・DB、さらにはアンドロイドの記憶とも言える巨大なパーソナル・メモリの内容を、判断や動作する際に照合する。彼女は自分にしか影響しないパーソナル・メモリでさえも、書き換えや削除を行うことを極度に嫌がった。 「知識や記憶が消失するのは恐ろしいことです」  一度、理由を聞いたときには、彼女は子どもに言い聞かすようにゆっくりと答えた。なんでも論理立てて答えるアンドロイドの回答としては不可思議だが、データの消失がアンドロイドに重大なエラーを引き起こすことは十分にあり得る話でもあり、その類のニュースに事欠かない近頃では、彼女の言うことはセーフティ機能の一つなのだと理解している。 「また気が向いたら試してみてよ」  肩をすくめてみせると、彼女はしばし鈍い機械音で会話の間をつないだ後、静かに頭を下げた。  謝るべきか承諾するべきか困った時、彼女はこういった仕草をする。  まるで人間みたいなその瞬間も好きで、私はよく彼女に、アンドロイド全般に対していじわるな言い方をした。 「今日の予定は?」 「カオルさまは本日、結婚式のドレスをご試着するご予定がございます。午後から雨の予報が出ていますので、傘をお持ちになってください」 「うん。わかった。ありがとう。それで、君は?」  しばし機械音だけがその場を支配する。 「すみません。質問の意図を理解しきれませんでした。もう一度聞き直していただけますか?」 「君の、今日の予定を教えてほしいんだ」 「本日の午前中は主にメイド長さまと屋内の掃除をいたします。午後は雨のため、メイド長さまの代わりに買い物に参ります」  彼女が私の瞳を逸らさずに見続ける。思えば、彼女が私を見てくれるのが嬉しくて、こうやって意味のない問いかけをしているのかもしれない。 「わかった。教えてくれてありがとう。事前にお願いしなくて申し訳なかったんだけど、今日の試着につきあってくれないかな? 仕事で婚約者殿は来れなくなったんだ」 「かしこまりました。メイド長さまにお伺いしますので、少々お待ちください」  同じアンドロイド同士、彼女たちはメールをやり取りするように、対面せずに情報共有を行う。カリカリという微かな機械音の中、彼女の中でだけ時間が停止したかのように鳶色の瞳が私を見続ける。 「メイド長さまにお伺いいたしました。問題ないとのことですので、ご一緒させていただきます」 「ありがとう」  私の礼の言葉に、彼女がお辞儀をする。  出かける準備を手伝うために彼女も部屋へとついて来てくれた。クローゼットを開けながら、服を取り出す。 「ご婚約者さまはお元気ですか?」  彼女から質問することは珍しい。  服に腕を通しながら、私はしばし考える。 「元気だけれど、忙しそうではあるかな。私との約束を反故にするくらいだからな」 「来月にある結婚式のご準備でお忙しいと推察致します。カオルさまもご準備は順調ですか?」 「仕事で忙しいんだけどね」  オリオンの返答に苦笑する。こうやってたまに会話が噛み合わないことに、最近では少し苛立ちも覚えるようになってしまった。 「そうですか。ご準備はいかがでしょうか」  おそらく、メイド長に結婚式について状況を聞くように言われたのだろう。再三の質問にため息を交えながら答える。 「問題ないよ」 「順調ですね。喜ばしいです」  鏡を見て、一つ頷く。彼女がマフラーを渡してくれる。 「本日は寒くなりますので、こちらのマフラーがあると良いかと思います」 「そうだね。ありがとう」  マフラーを受け取るときに、彼女の手に触れた。  痺れるような冷たさが指先に伝わってくる。アンドロイドは熱暴走を起こさないように、機体を冷やす機能があるため、彼女も含め全てのアンドロイドは常に氷のようにヒヤリとしている。  私は彼女の指先をしばし握ったまま考える。  心を宿したアンドロイドは、機体にぬくもりが宿ると言う。  私は聞くともなしに耳にしたその手の噂を思い出していた。 「どうしましたか?」  彼女が私を見つめる。 「アンドロイドはさ、機体が暴走して熱くなることはないのかな?」 「ワタシが壊れるときに、熱くなる可能性がございます」 「今は冷たいから大丈夫だね」  笑えていただろうか。彼女へと放った言葉の返答を聞かずに、私は玄関へと向かった。  機体にぬくもりが宿るなどあり得ない。  一歩後ろを歩く彼女の足がヴィーンという鈍い音を出す。  私の足音と彼女の動く音がごちゃごちゃと空気の上を重なり合う。その濁った音が、彼女の存在をより私の胸に刻みつけ、私を追い立てるように感じた。  もうすぐ、彼女は壊されてしまう。

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