オリオンの指先にぬくもりを
オリオンの心のありか

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「どちらがいいと思う?」 「カオルさまならどちらもお似合いになります」  店で並べてみせたドレスを前に、彼女は生真面目な表情でそう言う。 「どちらか1つを選んでもらいたいんだ」 「それでは、婚約者さまに電話いたしましょうか?」  私は首を横に振った。店員には外してもらっている。私と彼女の2人だけだ。 「君に選んでもらいたいんだ」 「申し訳ありません。私にサジェスション機能がついておりません。ソフトウェアのアップデートバージョンに対応していないため、新しい機体をご購入されるとサジェスション機能が使えます。ご検討されますか?」 「いらない。わかった。じゃあ、君の好きな方はどちらだ?」  鳶色の目の前に二着を押し出す。焦点の絞りが調整されるが、彼女の表情は動かない。 「申し訳ございません。好みのパーソナル・データが設定されておりません。最新の機体では、好みの調整を行なっていただくと、自動で学習してアンドロイド個人の感情をより豊かに表現することが可能です」 「私は君に聞いてるんだよ」 「好みのパーソナル・データを設定なさいますか?」 「しなくていい。私が設定した好みでない、君の好みが知りたいんだ」 「申し訳ございません。わかりませんでした」 「わからないじゃないよ。どっちでもいいんだ。君の選んだ方を着る。右か左かだ」 「ランダム選択を実施なさいますか?」 「違う。そうじゃない!」  ガシャンと音が鳴る。衝動で投げた白いドレスが床に沼のように広がる。 「カオルさま、お怪我はございませんか?」 「そうじゃないんだよ」  澄んだ鳶色の瞳が私を見つめる。彼女の表情はひとつも動かないまま、口だけが滑るように言葉を紡ぐ。 「すみません、わかりませんでした。問題点を教えていただければ、今後の対話にフィードバックいたします」  私は首を振った。  違う。そうじゃない。 「そうじゃないんだよ」  人間としての会話が少しでもできれば、そう思った。  どんな質問をしても、オリオンは「自分の考え」を答えてはくれない。  私はドレスの汚れを払うと、両方を持って会計へと向かった。 「申し訳ございませんでした」  彼女が頭を下げる、ヴィーンという音がした。  服を購入したあと、彼女はメイド長に頼まれた買い物へと向かい、私は喫茶店へ向かった。  入口の鐘の音に気づいたのか、振り向いた父が私を呼んだ。 「決まったのか?」  私は首を振る。 「二着とも買いました」 「おいおい。うちにそんな金はないぞ」  父がウェイターを呼ぶ。接客型のアンドロイドがすぐに来て、飲み物を注文する。 「ご注文を承りました。少々お待ちください」  ウェイターは柔らかく微笑み、滑らかにお辞儀をした。滑るように歩いて戻るウェイターの姿が嫌でも目に入る。 「わかってます」  私が答えると、父は先ほどの私のように、諦めたように首を横に振った。 「わかってないさ」  そう言いながら、テーブルの上にセッティングされていたおしぼりでごしごしと顔を拭いた。 「オリオンはずいぶん長く働いてくれたな」 「まだ十分に働けますよ」  父がふっと奥を見た。何を見ているかはわかる。接客型のアンドロイドは最新型だ。彼女はあの機体のように滑らかに歩かないし、自然に微笑んだりしない。 「古い機体は突然暴走を起こすことがあるし、故障することもあり得る。もう休ませてあげるべきだろう」 「休ませるのは賛成です。けれど、休ませるのと廃棄することは違いますよね?」 「お前がオリオンのことを大切に思っていることは知っているよ。けれど、うちにも何体ものアンドロイドを保持しておける余裕はもうないんだ」  そんなことは言われなくてもわかっている。膨大な電気代にメンテナンス代。アンドロイドが保持できるデータ容量の拡張も必要だし、劣化したパーツの交換もいる。  父の仕事を手伝っている身としては、歴代から続いていた事業が最近不調であることくらいはわかる。従業員と思い出のアンドロイド。どちらを選ぶかなど火を見るよりも明らかだ。けれど、納得できるかというとまた話は違う。 「父さんは、彼女が大切じゃないんですか?」  父は大きく息を吐いた。 「……大切さ。彼女は特別だよ。でも、もう私たちは彼女を解放してあげるべきだと思っている。いや、思えるようになった」  父が諭すように私の顔を見る。先ほどのウェイターが来て、紅茶とコーヒーを置いていった。ふわりと湯気が父の目の前に立ちのぼる。 「それに廃棄ではないよ。オリオンはリサイクルされるだけだ。メモリやデータは別のアンドロイドに引き継がせるし、なんの問題もない。電源を長時間供給しなかったら、結局動かなくなる。廃棄するしかないのはわかっているだろう?」  なぜそんなに他人事のように言えるのかわからない。ほかのアンドロイドでは意味がないのは父もわかっているはずだ。 「あのくだらない噂にも振り回されない方がいい。アンドロイドが心を持つなんてあり得ないんだからな」  父がコーヒーを口につける。 「心がどこにあるかなんて誰にもわかりません。約束はまだ有効なはずです」  もし、彼女が心を持ったなら壊しはしないがな。オリオンの廃棄について語る父は冗談半分でそう言った。父らしくない、根拠のない妄想だ。けれど、私は藁にもすがる思いでそれを約束として取り付けた。 「希望は得てして明るく魅力的に映るものだよ。私はお前が傷つくのを見たくないんだ」 「これ以上傷つくことなんてありません」  希望となら、もうとうに折り合いをつけている。父はそう嘯く私に、自嘲気味に笑ってみせた。 「今月の終わりにはオリオンは回収される。それまでに、心の整理をつけておくんだよ」  父はコーヒーを一息に飲み干すと立ち上がり、駄駄を捏ねる子どもをあやすように、私の頭を軽く叩いた。その子ども扱いにむっとして乱暴に手を払う。  苦笑したまま、父は片手をあげる。しばらくすると、カランという乾いた音が店内に響いた。

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