きみのことなんて
1.きみのことなんて(前編)

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 雨の日が嫌いだ。癖毛の髪に当てたヘアアイロンはすぐ取れてしまうし、靴がぐしょぐしょになるのも嫌だ。  それに、雨の日には必ず彼と会ってしまう。それがまた、私の心にずしんと重くのしかかってくる。  放課後、私はいつも決まって図書室に行く。そこで静かに本を読むのが好きだ。雨の日はみんな居残りをせずにさっさと帰って行くから、図書室には人が全然いない。ただ一人を除いては。  B組のシロヤマくん。名札には「白山」と書かれていた。隣のクラスの彼は、雨が降ると必ず図書室にやって来る。  私は彼が苦手だ。三年生になった今年、四月からこの中学に転校してきたシロヤマくんは、それだけでも注目を浴びるというのに、彼は私たちとは違うものを持っていた。 「なぁ、ここ座ってもええ?」  この喋り方が話題になって、学校中で一気に有名になった。そんな彼は図書室で私を見つけると、いつも目の前の席に座ってくる。  なんなんだ一体。 「……他の席、空いてるじゃん」 「ええやん」  そう言って目尻を下げて笑う。  苦手だ。  この誰にでも屈託なく話して近付いてくる感じ。他人に嫌われることを恐れていなくて、誰もが自分を好いていると信じているような態度。  それの全てが苦手だった。私とは生きている世界が違うのだ。  最初シロヤマくんを図書室で見かけた時、意外だなと思った。彼はクラスの人たちと賑やかに喋っている印象があったから、静かに読書をしている姿とはイメージが結びつかなかった。  本を読んでいるふりをして、そっとシロヤマくんを盗み見た。彼が読んでいるのは、一昨年話題になった作家の短編集だ。本を持つ指の一本一本が太くて、ごつごつしている。男の人の手。  地毛だろうか。少し茶色っぽくてふわふわとした髪質。その髪が風に揺れると、シロヤマくんの顔が少し大人っぽくなるのを私は知っている。  いつもにこやかに笑っている顔が、すうっと落ち着いた表情になっていて、違う人みたいだ。 「なぁ、俺のこと苦手やろ?」  本から目を離さずに、いきなりシロヤマくんがそう言った。困ったように笑いながら顔を上げて、しょうがないなとでも言いたそうな目をしている。 「いや、私は別に……」 「ええよ、隠さんでも」  違うよとは言えなかった。嘘をついてもバレると思った。 「でも俺、ハルちゃんと図書室おると、めっちゃ落ち着く」  そう言いながら、大きな手のひらで頬杖をついた。真っ直ぐな視線が私を捕まえて離そうとしなくて、居心地が悪い。思わず目を逸らしてしまった。内容なんて全く入ってこないのに、文字を追うふりをする。  なんで、下の名前知ってるの。  そんなことも尋ねられず、必死に文字を見つめた。カウンターから離れた席。二人のコソコソ声だけが係の人に聞こえているだろう。  もぞもぞと手を動かしたところで、図書室が閉まる時間が来た。 「雨、やまんなあ」  廊下で声を出すと、いつもより大きく響いた。雨の日は上履きがキュッキュッと鳴って、照明のオレンジ色が目立つようになる。いつもとは違う雰囲気だ。上履きの音が二人分重なって、私たちを追いかける。 「いつも雨の日だけ図書室にいるよね」  どうして? と聞くと、少し上にある顔がこちらを向いて、緩い笑みを見せた。 「図書室やったら無理して話さんでもええし。それにハルちゃんもおるし」  なんとなく会話がずれている気もするが、そういうところが、と言葉が喉まで上がってきて飲み込んだ。  そういうところが? きらい?  肩に掛けた鞄の紐をぎゅっと握る。  無理して話さなくていいというのは、どういうことだろう。いつも楽しそうにみんなと話しているのに。 「俺、転校するん初めてやってん。やから、馴染めるかめっちゃ心配やってさぁ。気ぃ張っとったから、安らげる場所が欲しかったんかもしれやんな」  確かに、初めての転校で、その上喋り方が珍しいからといって注目されるのは、大変かもしれない。  なまりのある言葉など、今はテレビでもネットでも普通に聞いているのに。実際になまっている人を見ると、あれこれと喋らせたくなるものなのだろうか。私には分からない感覚だ。  思考を巡らせながら、自分の胸に手を当てる。さっき暗に私の傍が安らげる場所だと告白されたような気になって、少し心臓が跳ねた。  まさか。 「そんな顔せんでもええやん」  ぶは、とシロヤマくんがお腹を抱えて笑う。  オーバーリアクションはクセなのだろうか。廊下で喋っているのを見た時も、身振り手振りが大きいのが気になっていた。 「そんな顔?」  首を傾げて尋ねると、絡んでいた視線を逸らされた。「あー」と言いながら頭を掻いている。ふわふわと揺れる髪の間から、ほんのり染まった耳が見えた。 「なんか、めっちゃ嫌そうな顔」 「えっ!」  嫌そうな顔と言われ、思わず声が大きくなる。 「うそだ!」 「嘘っちゃうわ」  まあ、他のやつらは気付いてないっぽいけどな。  そう言って、また楽しそうに笑う。  自分のことを苦手だと思っているであろう人間に、どうして自ら近付くのか。私にはさっぱり理解できない。なぜそんなに楽しそうに話すのかも。 「駅までやんな?」  下駄箱まで来たところで、そう問われた。どんよりした空には、すっかり黒が混ざっている。 「あ」  靴を履き替えた時、ようやく異変に気が付いた。 「傘、誰かが持ってっちゃったみたい」  傘立ての周りを見てみても、やっぱり無い。先週買ったばかりだったのに。 「うわあ、まじかぁ」  バサッと傘を広げたシロヤマくんが、こっちこっち、と隣を指差す。その仕草で、何を言っているのか察した。 「えっ、そんなの悪いよ、それに、」  恥ずかしいし。  そう続けそうになって、慌てて口を閉じた。 「ええよ、傘無かったらめっちゃ濡れるやん。いっしょにかえろ」  一緒に帰ろ。その言い方がなぜか幼く感じて、口元が緩む。それを見たシロヤマくんは、不思議そうな顔をした。  初めて男の人と一緒の傘に入った。傘の中がこんなにも狭いだなんて、今まで知らなかった。  駅までの道を二人並んで歩く。つま先でピシャピシャと跳ねる泥水が、隣に飛ばないように気を付けた。胸の前で鞄をぎゅっと抱きしめる。 「……俺、嫌われてないって思ってええんかな」  すぐ近くで、自信のなさそうな声がした。先ほどまでとは違う、小さくて頼りない声。気にしていなかったら、聞き逃すところだった。  それって、どういう意味?  頭の中で、色んな考えが浮かんでは消えていく。私はどう答えたらいいのか分からなくて、雨音で聞こえないふりをした。シロヤマくんといると、取り繕うことが多くて疲れてしまう。  どうか、やまないでほしい。そんなことは全然思っていない。降り続ける黒い空を見て、胸が締めつけられてもいない。  シロヤマくんと一緒に帰ることになったのも、心臓が煩いのも、全部雨のせいだ。  そう心の中で毒を吐いてから、肩が触れないように真っ直ぐ歩いた。

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