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 雅は弁当屋の仕事をしながら、アイドルの仕事も懸命にこなしていた。  キラボのバックダンサーは大勢いる。その中からプロデューサーに選ばれなければ、ステージには立てない。  キラボを脱退するそのときまで、少しでも多くのステージに立ちたい。そう言って、雅は日頃からダンスの練習に余念がなかった。  ひとたび出演が決まれば、暁翔の家のリビングで何度も振りつけを確認し、少ない出番に備えていた。  練習を終えた雅に冷茶を出すと「暁翔のお茶を飲んだら、疲れが吹き飛ぶんだ」と笑顔になるので、暁翔はいつも以上に丁寧に茶をいれた。  八月最後の日曜日。  今日は雅にキラボのバックダンサーの仕事が入っているため、堂島家に来るのは夜の予定である。ちょうど劇団仲間の京介から、次の芝居について打ち合わせをしようと連絡があったので、日中は京介を自宅に招いた。 『劇団リアル』の主宰者である松本京介きょうすけは、大学生の頃に堂島家に居候させていた気心の知れた男だ。  イケメンと言えるほど男前ではないが、彫りの深い派手な顔立ちで、がっちりした筋肉質な体格をしている。役者としての演技力もあって脚本も書ける、マルチな人間だった。  夕刻、京介が舞台映えする大きな声で「暑い! 暁翔、冷茶くれへん?」と言いながら堂島家にドカドカと入ってきた。京介は基本的に出身地の関西弁で喋る。標準語は気をつかう相手にだけ使うらしい。  暁翔は京介の騒がしさにうんざりしつつも、冷蔵庫から冷茶のボトルを取り出した。 「相変わらずうるさいな。とりあえず座れよ」 「おう! ……おうっ!?」  リビングを見るなり、京介が素っ頓狂な声を上げた。 「なんやこの部屋! かわいい! 前に来たときとちゃう!」 「そうか? 大掃除をしただけだぞ」 「掃除ぃ!?」  京介が目力のある目をギョロギョロと動かした。  リビングの棚にはアロマキャンドルが並べられ、ソファの上には丸くてかわいいクッションが鎮座している。観葉植物もお洒落な陶器の鉢に植え替えた。テーブルの上の花瓶にはピンク色のガーベラの花が。キッチンにはペアの湯呑みやマグカップも。いずれも女子力が高い、花柄や水玉模様のデザインである。  全て雅の好みだ。二人で買い物に出かけたときに少しずつ買い足し、次第にふわふわしたかわいい雰囲気のリビングになった。 「これは……女やな! 女ができたんやな! それならそうと言えや! 黙っとるなんて水臭いぞ!」 「できてないよ。ちょっと趣味が変わっただけだって」 「この嘘つき野郎がぁ! こんなん新婚の部屋やないかーい!」 「うががっ」  京介の太い腕でヘッドロックをかけられ、暁翔はギブギブと腕を叩いた。 「どんな女や? かわいい系か? 美人系か?」  腕から解放された暁翔は「できてないってのに。ったく、おまえは学生気分が抜けないなぁ」と笑った。  やれやれとキッチンに戻り、冷茶をグラスに注いでテーブルに置く。  椅子に腰かけた京介が、冷茶を惜しげもなく一気に飲み干した。 「ぷはー! うめえ!」  暁翔も向かい側に座って一息ついた。 「部屋の模様替えをしたのは男の友達だ。最近よく遊びに来るんだよ。そいつの好みで色々買い足したら、こうなった。俺的には問題ないよ」 「男ぉ!? オトメンってやつか? そうやないと、こんなに女っぽくならんやろ」 「かわいいし男臭くはないけど、オトメンじゃないと思う」 「うーん、怪しいなぁ。やっぱり女とちゃうんか? 訳ありの女とか」 「違うって」 「名前は?」  言えば女性と誤解するだろうな、と思いつつ「あー……雅」と答える。 「みやび! 雅ちゃんか! 女やな」 「だから違うんだって。もういいだろ、早く芝居の打ち合わせをしようぜ」  無理矢理話題を変えると、京介が「ちっ、わかったよ」と舌打ちした。  そして一拍置き、今度は「はあぁぁ……」と盛大な溜息を吐く。忙しい男だ。 「実はなぁ、相談があるんや。次の冬公演、俺、不参加でもええか?」 「なんでだよ。理由は?」  主宰者である彼が参加しなかったことなど、今まで一度もない。

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