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 東京の桜が開花し始めた三月の下旬、穏やかに晴れた昼前。  エプロンを身につけた暁翔は、自宅のキッチンでロールキャベツと新玉ねぎのサラダを作っていた。  雅が来たら一緒に昼食を食べるつもりで、調理を進めている。料理はまだ修行中の身だが、まずまずの出来になりそうだ。  そろそろ雅が来る頃かな、と壁の時計を見上げたとき、テーブルの上に置いてあるスマホがメッセージの着信を知らせた。 『執筆に行き詰まった! 今から暁翔の家に行ってもかまへん? 一緒に考えてくれ!』  京介からのヘルプ要請である。  一読した暁翔は「うーん、悪いけど、今日は無理だな」と独りごち、その旨を返信した。  今日は大事な大事なデートの日。最優先なのは久しぶりのオフをもらった雅である。  彼とつきあい始めてから約二ヶ月。その間に会えたのはたったの二回だけだ。いずれもこの家で自宅デートをしたが、雅は仕事でヘトヘトに疲れていた。  彼をゆっくり休ませてあげたくて、体を重ねることはしなかった。なので抱いたのはまだ、つき合い始めた初日の一度きり。  オフは基本的に休養するのみ。それが人気アイドルの現状らしい。  一番大変なのは雅だし、努力すると決めた以上、不満を言うつもりはない。  だがさすがに、これほど会えないのか! と、アイドルとつき合う大変さをしみじみと感じている。  今日こそは……! と意気込んでいるが、どうなるだろう。  キラボチャンネルでは相変わらず、聖哉が雅に絡んでファンを喜ばせていた。  雅は聖哉に、彼氏ができたと打ち明けているので心配はしていない。そもそも絡むのは、ファンサービスなわけで。  とわかっていても、最近はモヤモヤしている。時々聖哉がテレビの向こうから、挑発的な視線を送ってくるのだ。隙あらば取っちゃうよ、とでも言いたげに。  気を揉む暁翔に対し、梨乃が時々励ましのメッセージを送ってくる。 『黙認してもらってるんでしょ? もっと寛大な心で、どーんと構えてなさいよ』  と、彼女らしい言葉で。  梨乃は転勤先で仕事に邁進していた。そのうちいい男を捕まえて東京に戻るからね、と豪語しており、暁翔と京介は安堵している。  暁翔が劇団で演出を続けることを、雅はとても喜んでくれた。次の公演は観てもらいたいが、それもどうなるかわからない。だからできる限り続けて、いつかは観てもらおうと考えている。  京介からの返信は『デートならしゃあないなぁ』だった。  京介は『西園寺企画』の脚本を執筆する傍らで『劇団リアル』の脚本も書いているため、かなり苦戦しているのだろう。  暁翔には京介が考えるようなおもしろいアイディアは出せないが、相談くらいは乗ってあげたい。だけど今日は勘弁してほしいので『また今度、必ず相談に乗るから』と返信した。  雅の姉には折を見て、つき合っていることを打ち明けた。もちろん、雅と相談した上で。  姉は仰天し、そして涙ぐんで謝った。以前、暁翔が花江の家を突然訪ねたとき「何があったかは知らないけど、雅を嫌わないであげて」と言ったことを。  あのとき、暁翔がてっきり雅の秘密を知ったと思ったそうだ。ゲイだと知っても嫌わないであげて、という意味で発した言葉だった。ゲイに対してどれほど失礼な物言いだったか、気がついたと。  弟をよろしくお願いしますと頭を下げられ、暁翔は「はい」と答えた。  本当は「ずっと一緒にいたいと思っています」と言いたかったが、そこまでは口に出さなかった。暁翔としては結婚を考えているけれど、同性愛は家族や世間など、色々難しい局面がある。雅の仕事はアイドルだし、一筋縄ではいかないと感じる。  色々ある中でも、自分たちのことを理解し、応援してくれる友達がいるのはありがたい。  京介からメッセージが届く。 『雅ちゃんは体が資本のアイドルや。なんぼ好きでも、セックスはほどほどにせえよ~』 「……」  暁翔は「まだ一回しかしてねえよ!」と叫んだ。  正直、悶々としている。今日こそはと意気込んでいる。  フンと鼻息を吐いてスマホをテーブルに置いた。  気を紛らわせるために庭に目を向けると、淡いピンク色の桜が花を咲かせていた。七分咲きだが、春の訪れを感じて気持ちが晴れ晴れしてくる。  雅と一緒なら、桜を眺めながらおいしいものを食べるだけでも楽しいだろう。どこかに出かけるより、自宅で二人きりですごしたい。 「そうだよ、今日ものんびりすればいいんだ」  雅の体調が一番大事。疲れた体に手は出さない。一緒にいられるだけで幸せなのだ。それでいいじゃないか。  そう決めたとき、玄関の鍵が開いて引き戸が開く音がした。  暁翔が玄関に向かうと、合鍵を持ってニコッと微笑む雅が立っていた。  今日は疲労困憊ではなさそうだ。合鍵にはハワイで買ったハイビスカスのキーホルダーがついている。実は暁翔とお揃いにしたくて、同じものを二個買っていたらしい。 「おかえり」  柔らかく笑んで出迎えると、雅は桜が満開になったような明るい笑顔を見せた。 「ただいま!」  引き戸を閉めて鍵をかけ「桜餅、買ってきたよ!」と言って紙袋を持ち上げる。それからかわいい鼻をクンクンと鳴らした。 「わあ、家の中、いい匂いがするね」 「昼飯を作ったんだ。桜を見ながら一緒に食べよう。食後は桜餅と緑茶だな」  いつかの約束通り、二人で花見ができることが嬉しい。笑顔で彼を伴ってリビングに足を向けると、雅に服の裾を掴まれてつんのめってしまった。 「ど、どうした?」 「あの、あのね」  背伸びをして耳元に唇を寄せた雅が、ごにょごにょと恥ずかしそうに囁く。 「今夜は泊まれるんだ。だから……ね?」  暁翔は目を見張り、内心でよっしゃ! とガッツポーズをした。すぐさま彼を抱き寄せたので、雅が「えっ、まさか、今から? まだお昼」と狼狽えた。 「先に昼飯を食べたい?」 「ん……。暁翔が作ってくれたお昼ご飯、食べたい、けど……」 「けど?」  彼が頬をピンク色に染め、ふふっと微笑んで暁翔の背中に腕を回した。  暁翔もかわいい彼氏を抱きしめる。  うららかな午後、自宅でのデートが始まる。  昼食と花見を楽しむまでには、少し時間がかかりそうだ。 end.

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