カクリヨ美容室の奇譚黙示録
第一話 呪われた髪 1
バイトをクビになった。
場所は神奈川県大船駅前にあるチェーン展開をしている喫茶店。単なるアルバイターに過ぎなかったわたしだが、つい一時間前のことだ。
最悪なことに、面倒な客に絡まれてしまった。
「なあ姉ちゃん、キミ可愛いねぇ……齢いくつ? バイト? いつもこの時間に入ってるよね。仕事終わったら、ご飯でも行かない? もちろん奢るからさ~」
金曜日の夕暮れ時。レジ前に列ができているのにも関わらず、見るからにチャラそうなホスト風の男がナンパしてきたのだ。こういうとき、誰もが困惑する。それはお客さまにしても、わたしたち店員にしても、こういった人間の対処が苦手なのである。学校でも、会社でも教えてはくれない面倒くさい人間の対処法──だったらどうする? 嵐が去るのを黙って待つか?
否、わたしはそんなにも悠長な性格をしていなかった。
「あのぉ、すみませんお客さま。ウチはそういったサービスを提供しているお店ではありませんので──」
「うるせぇなブスッ! テメェはすっこんでろッ!」
そんなことを言われたわたし。そうなのである。ナンパをされていたのは、わたしではない。隣のレジであたふたしている彼女、ニヶ月前高校生になったばかりのぴちぴちJKである紅麗亜ちゃん(15)だったのだ。
わたしだってまだ華のJKなのに、悲しいかな……その客と怒りのビートを刻み合ったわたしは、店長に速攻クビを言い渡された。その結果に異論はなかった。なにせ客と喧嘩をするのは、この喫茶店で働き始めて実に三度目。どれもわたしがキッカケではなかったけれど、店長はなにかと問題を起こすわたしのことを疎ましく思っていたのだろう。「店のイメージを崩す」とか「SNSで拡散されたら困る」などとまくし立てるように言われた。
ファックッッ! わたしは心の中で両手中指を立てつつ、表情はにっこり笑顔の花を咲かせて「お世話になりました(はぁと)」と、軽やかスキップのアルペジオを鳴らして店を後にする。もうハゲ面店長の小言を聞かなくて済むと思うと清々するね。はははは。
ただ、その反面だ。
「(ぁぁああああああッ! どうしよぉおおおおッ!)」
バイトをクビになった。ということはつまり、給料が貰えなくなる。今月はまだいい。問題は来月からの話。貧乏学生のわたしにとって、お金は切実の問題だ。それは文字通りの切実さで、なにも学校帰りに「タピオカおいしー!」「このスイーツ、インスタ映え!」したいがための資金ではない。マジふざけんな生活がかかっているのだ。
と、ここまでがこれまでの経緯である。
「はやく次のバイト見つけなきゃ……」と駅前でスマホぽちぽち求人を探していたわたしの耳に、その怒号は鳴った。
「おいテメェッ! どこに目をつけてんだぁッ!? えぇおい! 色男だからって、なんでも許されるワケじゃねーぞゴラぁッ!」
おいおい、またかよ……と思わされる展開。あと、最後の色男うんたらは単なるあんたのひがみでしょーと、騒ぎとなっている歩道に──
確かに、色男と呼ぶに相応しいモダン和服姿の美人がそこにいた。
ゆるいウェーブのかかった黒髪に、濃度高い茶瞳。すらりとした鼻筋に、ピンク色の柔らかそうな唇。肌はバニラのように真っ白で、なんだか美味しいそう。それだけでも美人要素は充分過ぎるのに、幼さと精悍さを足して二で割ってさらに神の奇跡が施されたかのような美貌の持ち主。
そんな美人な彼が、薄毛頭のネズミ色背広をまとう中年男性に絡まれている。しかもその男、顔が赤い。目なんかトロンとしている。まさか彼に恋を……なんてね、げふんげふん。酔っ払いだ。にしたってまだ5時過ぎ。人がバイトをクビになったってのに良い身分だなぁって、今はそんな八つ当たりを思ってる場合じゃない。
「ちょっと! ストップストップッ!」
急ぎ彼らの間へ入ろうとしたわたしを見て、酔っ払いの酔狂な口が暴れ出した。
「うるせぇブスッ! テメェはすっこんでろッ!」
「なっ──なんですってこのハゲガチャピンッ!」
その日、わたしは美人な彼を目に焼きつけた以外は、とにかく不幸だった。
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