カクリヨ美容室の奇譚黙示録
第一話 呪われた髪 4
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 深沢駅までは、大船駅から出ている湘南モノレールで行ける。高架駅。モノレールは大船、富士見町、湘南町屋の町の上を走って湘南深沢へと到着する。  ちなみに、富士見町という名前の由来は富士山の見えることからきているらしく、実際わたしは何度かモノレールから富士山を見たことがあった。ただ本日土曜日はあいにくの曇り空で、富士山が見える兆候はないけれど、モノレール下に広がる景色だけでもわたしは大満足だ。都市化が進んできているといっても、やはりどこか古風さの残る街並み。大船から少し進めば山が見えてきて、終点である江ノ島駅付近では本当に高い山の中を走っている。ちょっと贅沢な乗り物だ。  午前11時。その5分前に深沢駅を降りると、やはりいつ見ても美人なほだかさんがベンチに座ってわたしのことを待っていてくれた。モノレールから降りた乗客たちが、その美しい生き物に見惚れている。そんな彼へ「お待たせしました」なんて話かけるわたし。恐れ多い気分である。実際、わたしの横を歩いていた女性に「なんであんたなんかがっ!?」と目で非難された気がする。気のせいでは、多分ない。 「如月さん。わざわざご連絡いただき、ありがとうございました」  なにをおっしゃいますかほだかさん。むしろこれはご褒美。人生のボーナスステージですよ。と、無論そんな妄想発言を垂れ流すことはなく、わたしはほだかさんと並んで歩き出す。ほだかさんは「あまり早く歩けなくて申し訳ありません」と謝ってきたが、むしろ歩幅の狭いわたし(短足とは言わない)にはちょうど良く感じられた。深沢駅を出て、ほだかさんに連れられるがまま歩いていく。 「少し辺鄙な場所にありまして」  ほだかさんがそう言うように、今歩いている街並みはどこか薄暗く、陰気な感じがしなくもなかった。次第に、古民家の数も多くなってくる。だが、わたしはこういった場所が嫌いではない。なんだろうか、レトロチックとでもいうのかな? わたしはどうも、都会の中に残されたレトロな空間を幻想的に感じてしまう性分らしい。言ったら脳内お花畑。思考がハッピーセットなのである。それに……ほだかさんと歩いているというシチュエーションが、わたしの乙女心を高揚させる。幸せ過ぎかよ──と。 「着きました、ここです」  ほだかさんの足が止まったのは、駅から15分程歩いたあたりで。古民家郡の並びにひっそりと佇む、そこもまた古民家のようである。扉の脇には「カクリヨ美容室」と書かれてある木目の看板。年季の入り方が凄くて、そのせいか「古い建物」というよりは「格式高い神聖な場所」というイメージを抱かされる。二階は母屋になっているのかな。とにかく、わたしには途方もなく無縁な、雅な建物に見えてしまった。 「美容室と言ってしまったので、期待を裏切りましたかね?」  申し訳なさそうに顔をしかめるほだかさん。  わたしは首をはちきれんばかりに横に振っていた。そんなことはない。  そして店内へ通されて、予想通り。この古民家にぴったりなレトロ調の内装が視界いっぱいに広がる。 「うわぁ……すごく、素敵な場所。逆にわたしみたいな人間が、場違いな気が」 「無理に褒める必要はないんですよ」 「そんなことありません! 絶対に!」  なにをそんなに躍起になっているのか、わたしは声を張り上げ否定していた。ほだかさんも目を見開き、驚いている様子。でも、本当のことだから仕方ない。  十二畳程の、暖色の蛍光灯に照らされた室内。左壁には大きな鏡が二面あって、重厚そうな真っ赤な椅子がそれぞれ並んである。右の壁脇には丸椅子が三席(待合い席かな?)、その手前に受付台があった。やっぱり、ほだかさんにぴったり。あとこの鼻腔を刺激するバニラの香り(お香だと思う)にしてもそうだけど、この空間全てが「黄昏ほだか」という素晴らしい人間のエキストラであるような、そんな気がした。  故に申し訳なく思う。鏡に映るもっさり黒髪ポニーテールのわたしは、やはりどこか場違いだ。服装だって軽くて、カーディガンに長めのフレアスカートと、お前は町のスーパーに買い物気分かよと、数時間前の自分をブン殴ってやりたい。ま、ブン殴ったところでお洒落貧乏のわたしがどうにかなるわけじゃないけどさー。 「神さまが住んでいるとするなら、きっとこういう場所なんだろうなぁ」 「神さま?」 「え? あーいや、はははは、はは……申し訳ありません。上手い言葉が見つからなくて」  自嘲する笑みでそう言えば、ほだかさんはしばし黙ったあとにも、目を細めて、口元を緩めていた。やばい、見つめられてる。もうダメだ。誰か、いっそのことわたしを殺してくれ…… 「では、立ち話もこのくらいに。如月さん、どうぞ座ってください」  ほだかさんはそこでカットを行うのであろう奥側の鏡面脇へと歩み。腰にベルトを巻き始める。そのベルトには、蛍光灯の灯りを乱反射させる銀色のハサミが四丁と、それと同色のダッカール(髪留め)が四つ。あとは青くて長い板のような櫛(美容師さんがコームって言ってるやつ)、真っ黒なプラスチックの骨みたいなブラシ(確かスケルトンブラシだったかな?)の収まった赤い皮ケースが付いていた。知ってる。あれは…… 「シザーケース、よく似合ってますね」  恐る恐る椅子に座り、シザーケースを身につけたほだかさんと鏡越しに目が合う。  ほだかさんは僅かに首を傾け、くすりと口元を緩めた。 「誰が付けても、変わらないと思いますけど」 「いえいえ、そんなことありませんよ。ほだかさんみたいな綺麗な人が付けたら、魅力倍増ですよ」 「綺麗? 僕が?」 「えっと、はは……まあ、とにかく、わたしが付けるのとは大違い。月とすっぽん、みたいな感じです」  その自虐的な言い方、笑い方には、ある種後ろめたい感情がこもってしまっていたのだろうか。自分ではよく分からない。いずれにせよ、ほだかさんはなにかを悟ったかのように聞いてきた。 「もしかして、美容師に興味がありますか?」 「興味があるというか、その……」 「?」 「……」 「……美容師の道を志しているとか?」  素直に反応に困ってしまう。図星だったからだ。ただ厳密に言えば、現在進行形ではないけれど。 「まあ、そういう叶わない夢を見ていたときがあったんですよ」  ──過去形。昔のわたしが憧れていたと、二年前くらい前の話だ。 「断念した。そういうことですか?」 「そんな感じですかね」 「そうでしたか。でも、諦めるにはまだまだ若いと思いますよ。それこそ、僕の知り合いには働き出してから美容師を目指している方もいるくらいなので」 「それが、少し複雑な事情がありまして……あ、事情といっても、わたし個人の問題なんですけどね」  たははと乾いた笑い声が漏れてしまう。ほだかさんは固い表情と、また鋭い視線で、わたしの重々しい黒髪を見つめてくる。 「もしかしてそれは……如月さんが髪を切らない理由と、なにか関係しているんですか?」  口を真一文字にするわたし。これ以上のことを話していいものか、心底悩み果ててしまった。  昨晩も考えた。考え過ぎて、今日はかなりの寝不足だ。そのくらい切実な悩みで、なにせこの問題はわたしだけでおさまる話ではない。仮にもほだかさんがわたしの髪を切り落としてしまうのであれば── 「ほだかさん、先にお伝えしておきますが……わたしの髪は、呪われているんです」 「……はい」  ほだかさんが頷く。わたしはたっぷりと数秒の間を保たせた後にも、パンドラの箱を開けてしまうかの如き背徳感を抱きつつ、ゆっくりと口を開いた。 「以前にも、わたしの髪を切ってくれた美容師さんがいました。一人は、交通事故にあって全治二週間の大怪我を負ってしまいました。幸いにもその後の生活に支障はないみたいでしたが、少しでも当たりどころが悪かったら命を落としていたかもしれません」  その話を聞いたのは、違う美容師さんからだった。大船の隣駅である湘南藤沢の美容室で、小学生の頃から贔屓にしている美容室だった。長年通っていたこともあり、スタッフさんみんなと仲良くさせてもらっていた。特に毎回担当してくれる女性の美容師さんは、学校や家庭の悩みをなんでも話せるくらい信頼していた。本当に優しい人。なんでも、初めてお客さんとしてカットをしたのが当時小学校低学年だったわたしということもあり、中学生になったときなんか感動して泣いてくれたくらいだ。それ故に、彼女が事故に遭った話を聞いたときは激しい目眩を覚えた。「来月には復帰するから、大丈夫だよ」とそのとき担当してくれた男の美容師さんは言ってくれたけど、気が気ではなかった。  でもそのときはまだ、心に余裕があったのだろう。来月には良くなっている──その美容師さんの慰め、浅はかな期待が、わたしをまだ前向きにさせてくれた。  その期待が、愚かな願望であるとも知らずに。 「翌月には、女性の美容師さんは確かに復帰をしました。だけど、いないんです。今度は前回担当してくれた美容師さんが……どこにもいないんですよ」  わたしを担当してくれたその日、自転車に轢かれ肩の腱が切断。手術を受け、今は自宅療養中だと言う話を聞いたときは、いよいよわたしは怖くなった。  まさか、わたしの髪を切ってくれた人が、不幸な目にあっている……? しかも、交通事故で。  その日、半狂乱となったわたしを姉が迎えに来てくれた。予約はキャンセルになった。そのときの記憶は、実を言うとあまり覚えていない。ただ「ごめんなさい」「わたしのせいなんです」と繰り返し呪文のように呟いていたと、後日姉の口から知らされた。スタッフのみんなは「事故のことと結衣ちゃんは関係ない。たまたまだ」と言ってくれていたらしいけれど、わたしには取りつく島もなかったらしい。以来、あの美容室には行っていない。あんなに美容室へ行くことを楽しみにしていたはずなのに、あの美容室のことを考えただけで頭痛が襲ってきた。  だから、これからのことを考えると恐怖で堪らない──先日だ。わたしは、ほだかさんに「わたしの髪に関わると、不幸が訪れます」と突拍子もない連絡を入れた。するとほだかさんは「詳しく聞きますよ」と、気味悪がることもなく優しくそう言ってくれた。そのことが嬉しくて堪らなくて、またほだかさんに会える喜びでここまで来てしまったけれど、今にして思えば軽率過ぎる行動だったかもしれない。  ふと、ほだかさんと目が合う。やはりほだかさんは、美しい。わたしは彼のような美しい人が、大好きだ。わたしもあんな風に生まれてこれたらなぁって僻みがないわけでもないけれど、でも美しい人とはその嫉妬心すら忘れさせてくれて、幸せな気持ちにさせてくれるから。  多分それは、今この瞬間にもわたしが美貌を与えられたからといってそうなるものではないのだろう。美しい人には美しい人なりの生き方、価値観があって、その結果としてそうなったのだろう。少なくともこの「黄昏ほだか」という美人さんは、そんなにも清い生き方をしてきたからこそ、こんなにも素晴らしい天使のような人となり得たに違いない。  だったらやはり、ダメだ。  わたしみたいな穢された人間が、聖霊みたいなほだかさんと、関わったらダメなんだ──わたしはほだかさんに、ずっと穢れないでいて欲しい。  ずっと綺麗な「黄昏ほだか」で、あって欲しいのだ。 「如月さん?」 「……ほだかさん、やっぱり」 「?」 「わたし……やっぱり、帰ります!」  わたしは「ありがとうございました!」と、まだなにも始まってもいないのに関わらず、頭を下げて逃げるように席を立った。そのまま美容室を飛び出す。  もう二度と、この地へ訪れないでおこう。ほだかさんとの出会いを美しい思い出として、心の宝箱にしまい込み、たまに取り出してみて、ニヤニヤしながら妄想をして、そのまま平凡な人生を送りながら、そうやって死んでいこう──小雨の降り出しそうな曇天に夢を見た。 「如月さん!」  背後から、ほだかさんの叫び声が鳴った。そのあまりの力強い叫びを受けて、振り返ってしまったのは本当に無意識のことだった。視界先で、ほだかさんが走ってきている──と。 「あっ!」  ほだかさんの体が、不意によろめいた。走り慣れていなかったのだろう。いや、違う。目だ。ほだかさんは、目が悪い。いつからそうなったかは分からないけど、きっと走れないのだ。転んでしまうから。  ──申し訳ありません。僕は生まれつき目が悪く、歩くのも遅いんです。ですので、僕がもたもた歩き過ぎたせいで、彼を不快にさせたのかもしれません。  刹那、先日のほだかさんの言葉が脳裏を駆け巡る。自分は悪くないのに、決して人を恨まないほだかさん。天使みたいな人。 「あぶないっ!」  咄嗟の行動だった。わたしは持ち前の身軽さで、倒れかけたほだかさんへとダイブした。これでも身体能力には自信のある方だ。それこそお父さんには、昔から「たくましい女になれ」なんて無茶苦茶なことを言われて育ったからね。ただその甲斐あってか、わたしはほだかさんを支えることに成功していた。  失敗したのは、かわりにわたしが転んでしまったことぐらいか。 「いててて……」 「如月さん、大丈夫ですか!?」 「あ、はい! 全然大丈夫です!」  膝は擦り剥いたみたいだけど、こんなもの唾つけときゃ治りますよ──と、わたしは気丈に振る舞ってみせた。実際、全く問題なかったんだけど。 「嘘つかないで、膝から血が出てます。そのくらい、目が悪い僕にも見えます」  その言い方は、少し怒っている風にも見えた。自尊を傷つけられたから怒っている、わけではないのだろう。絶対に。きっと、傷を隠そうとしたわたしに対してとか、また自分のせいで傷を負わせてしまったとか、そんなにもお人好しなことで怒っているに違いない。 「手当てをしなくては。ばい菌が入ったら大変です。ごめんなさい、僕のせいです」  ほらね、やっぱりそうだ。 「如月さんには、毎回助けられてばかりですね」  そうじゃない、そうじゃないんだ。ほだかさんは、なにも分かってない。この前のことにしても、今のことにしても、ほだかさんを助けたいと思ったことは、わたしのエゴなんだ。わたしがただ、そうしたかっただけ。言ったら雨晒しになった子猫を助けてあげたいと思わされるような、そんな庇護愛をほだかさんに抱かされただけ。  あとは、そうだな── 「如月さん、逃げないで」  ほだかさんは、言ってくれた。 「もう、なにも心配する必要はありません。僕が絶対なんとかしてみせますから。だから教えてくれませんか? 昔、お父さまとの間に一体なにがあったのかを」  この人なら、もしかしたら──そんな期待感と、未だ拭い去れない不安が濁流みたく胸へ流れ込んできた。そのとき。  鉛色の空から、ぽつぽつと、雨が降り出してくる。父が亡くなったあの日と同じ、雨催い空の下──わたしは嗚咽を漏らし、おめおめと泣いていた。
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