カクリヨ美容室の奇譚黙示録
第一話 呪われた髪 3
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 それから、数日後のことだった。 「また助けられました、如月さん」  そう、まただった。学校帰り。帰宅ラッシュな駅構内で、「気を付けろノロマッ!」と早歩きのリーマンが捨て台詞を吐いていたのを聞いてしまい、振り返るとよろめいているお馴染み和服姿のほだかさんを発見した。 どうやら肩をぶつけられたらしく、わたしが気付かなければ倒れていたことだろう。とりあえず駅構内のベンチへほだかさんを非難させる。 「それにしても、世知辛い世の中ですね。どうしてこう、みんな怒りっぽいんですかね」 「みなさん、お仕事とか家庭のことで大変なのでしょう」 「だからって、人にあたるのは間違っていると思いますけど」 「ふふっ、それはそうかもしれませんね」  ほだかさんは、やはり穏やかな笑みを浮かべる。根っからの善人なのか、彼からは邪気なるものが一切感じられない。 性格まで完璧かよ。こういう人と結婚できたのなら、きっと毎日がハッピーで、彼だけのために生きていけるんじゃないかなぁって、叶わない夢を見るわたしである。 「ただ今回のことに関しては、僕が悪いんですよ」 「ん? どうしてですか」 「だって、あの流れだと僕が肩をぶつけにいったようなものですから」と、ほだかさんはわたしの顔をまじまじと眺めて、にっこり満面の笑み。 「如月さんの姿を見かけてしまったので、つい体が反射的に動いてしまいました。やっぱり、いつ見ても綺麗な黒髪です」  わたしは赤面していたのだろう。顔が熱い。慌ててほだかさんから顔を逸らし、膝小僧を見つめることに努めた。 「……ははは。いいんですよ、無理にそんなことを言わなくても」 「無理にではありません。本当のことです」 「でも……わたしの髪ってもっさりしてて、見苦しいっていうか……それにほら、ほだかさん、目が、その……悪いんでしょう?」 「……ええ、すこぶる悪いです。実を言うと、如月さんの顔も、あまり見えていないんです」 「だったら、やっぱり──」 「でも、如月さんの髪だけは、はっきり見えています。そういう体質なんです」  きっぱりと、ほだかさんはそう言い切った。また真摯な瞳をわたしの髪へ向けてくる。  そういう体質? どういうことだろう? 「僕は商売柄、髪のことに関して詳しいんですよ。言ってませんでしたが、美容師をしています」  そう言ってほだかさんが懐から取り出したそれは、一枚の名刺だった。 「ここに、美容室の住所が書いてあります。よかったら、どうぞ」  見ると、確かに「カクリヨ美容室」と表記されている。しかも……店長「黄昏ほだか」と、そのように記述されていた。  なるほど、美容師さんだったのか。美しい彼に相応しい職業だ。 「お礼を兼ねて、よかったら如月さんの髪を切らせていただきたいのですが、いかがでしょう? もちろん、お金は取りません」  有難い申し出だった。というのも、わたしの髪は既に背中を越して、腰に達するまで伸び切っている。普段から頭の高い位置で一つに結ってポニーテールにしているので、生活自体に支障はないけれど……長さが長さなもので扱いが非常に難しい。  わたしの髪は、伸ばしっぱなしの猫っ毛さん──  躍起となって、ヘアアレンジを試したこともある。動画を見ながら、『編み込みアレンジ』なるものに挑戦したのだ。だがしかし、いや案の定。実際の仕上がりを見て、わたしは絶句した。それは編み込みアレンジなどではない、頭から垂れ下がるしめ縄だ。  以上、わたしはこの通り残念さんだ。自分のことを可愛いと誇れる自信もないし、ほだかさんは褒めてくれたけど、わたしの髪は昔から「貞子」と揶揄されるくらい黒々としていて、どこか不気味だ。肌の色素が薄いこともあって、「おばけみたい!」と冷やかされることも珍しくはない。  だから今回のほだかさんの申し出は、非常に魅力的なことではあるのだけれど── 「だ、大丈夫、です……わたし、美容室、苦手なんです」 「なにか、美容室にトラウマでもお持ちですか?」 「……まあ、そんなところです」 「変な風に切られたとか?」  わたしは黙り込んでしまう。話せませんと、無言の対応にて伝えたつもりだった。いくらバカ正直なわたしでも、話していいことと悪いことの区別はつく。この話は、明かしてはいけない類いのものである。  そんな空気感を悟ってくれたのだろうか、ほだかさんは「無理に聞き出すような言い方をしてしまいました。すみません」と頭を下げてくる。変な空気となった。  これで、完全にほだかさんとの関係は終わったかもしれない。関係と呼べる程のものではなかったけれど、でもこれが仮にも少女漫画だった場合、ほだかさんとわたしの出会いは運命的で、しかも二回も出会って、また髪を切ってもらえる機会まで与えられたのだから、なにかしらロマンチックな展開が広がっていたかもしれない。  でも仕方ない、切れないのだから。切ってもらいたいのは山々だけど、これはわたし一人で済む問題ではない。わたしの髪は、せっかく切ってくれた人を不幸にする──  呪われた髪。 「人に」 「……え?」 「いえ、人に話してみると案外心が楽になることもあるかもしれない。と、ひと事みたいなことを思ったまでです」 「ほだかさん……」 「そして、こんなところに通りすがりの美容師がいる。大層なことを言えるような人間ではありませんが、聞き役となることくらいはできるでしょう」  わざとらしく微笑む、ほだかさん。わたしの地雷を踏まないよう、慎重な言葉を選んでいるのが伝わる。そんな喋り方だった。 「なにか、髪を切れない事情がある……違いますか? それも少し特殊な」  そう、特殊な悩み。その特殊性が故に、誰にも明かすことなく今日を迎えた。そのまま墓場まで持っていく。そのつもり、だったけれど。 「と、お節介焼きもここまでにして。もしも、気が変わったらで構いません。名刺に書いている番号にかけてもらえれば、いつでも話を聞きますよ」  空想上の生き物みたいな、神々しい相貌と双眸で見つめられる。  今ならば、死んでも悔いはない。  そう思えるくらい、ほだかさんと見つめ合うこの数秒間は、わたしを愚かな乙女にさせた。
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