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お盆が過ぎ夏休みが終わると、空気が変わったような感覚を覚える。暑かった気温も落ち着き、九月半ばになれば涼し気な風が吹く。 あぁ、秋の風だ。カーテンの隙間を抜けて、優しい風が僕の頬を撫でた。 物語が完成せず、良いストーリーが思い浮かばない僕の心を落ち着かせようとしているようだ。そんな秋風に甘えるように息を吐いて顔を上げた。 顔を上げた僕の目線の先には、黒のショートヘアーをして眠たげな顔をした谷口たにぐち色葉いろはがいる。 真面目そうな印象を与えるように、地味な黒縁メガネをしているが、彼女の横髪に隠された多くのピアスを、窓から射し込む夕陽が輝かせる。パッと見の真面目そうな印象に反して、オシャレを楽しむ年頃の女子である事は一目瞭然であった。 しかし、どんなにパッと見の印象を良くしても、彼女が校則違反を犯しているのは変わらない事実だが……。 谷口色葉から視線を外した僕は、彼女の視線の先──窓の奥を見た。 僕と彼女のいる図書室からは、外の景色が良く見える。それも僕らのいる西側は特等席と言っても過言ではない。西陽が少々眩しいのがネックであるものの、四季が織り成す美しい景色を一望できる特等席なのだ。 夏では青々しかった木々の葉も、秋になれば赤、橙と色を変えていく。少し強めの風が吹けば、はらはらと零れ落ちていく。その様子はなんとも儚げがあるものの、趣がある。 冬になれば木々に積もる雪が辺りを満たし、銀世界を堪能できる。 春になれば桜を咲かせ、桃色で世界を彩る。 これら全てを堪能できるこの場所を特等席と言わずなんと言うか。世界はこんなにも美しいのだと僕に教える景色は、見れば見る程に僕を虜にする。 ──ねぇ、と……。不意に彼女が薄桃色の唇を開けた。 僕のような男よりも、ゼリーのように柔らかげで艶がある、女性らしい唇だ。 「なに?」気取るように素っ気なく、僕は谷口色葉に返事をする。視線すら合わせない僕に彼女は唇を尖らせて拗ねた顔をした。 そんな彼女の様子を尻目に、僕は口火を切る。 「バイトの帰り。家の前にカブトムシがいたんだ」 「カブトムシ……?」 「そう。カブトムシだ。カブトムシと言えば蝉と同じように夏の風物詩にあたる。それが今、九月半ばも過ぎた今だぞ? 夜になれば日中よりも涼しい風が吹くんだ。にも関わらず、僕は昨日カブトムシと邂逅した。凄くないか?」 「別に。なんか難しい言葉使ってるけど、珍しくもなんともないでしょ。それより、できたの? 図書室に缶詰になりながら書いてる、田中くんの小説とやらは」 「全然」 左右に首を振り、僕は谷口色葉を見た。呆れたような、それでいて僕の返事を分かりきっていたような。そんな複雑気な顔をしている。 ″田中くん″。そう呼ばれる違和感は未だ拭えていない。むしろ新鮮味を覚えている。 僕の周りに『田中』を性に持つ人は多い。その中でも名前だけは他人と被らなかった。そのため、数少ない僕の友人は僕を名前で呼ぶ。そのせいか、苗字で呼ばれるのは慣れない。 「ちょっと返答早くない? そんなんで大丈夫ですかぁ?」 僕の手元にあった原稿用紙を彼女は人差し指で引っ張る。 僕から視線を外して、彼女の視線は原稿用紙にへと落とされた。 西陽が彼女を照らす。薄らと茶色な彼女の髪を輝かせ、彼女が横髪を耳に掛ければ、彼女のピアスが。僕の原稿用紙に影を落とした。 「田中 蕉葉しょうようくん、これはなに? 全然書けてないじゃない。マジで大丈夫?」 「大丈夫もなにも、キミが僕の邪魔をしてるんだろ」 「あはっ、私はここにいるだけだよ。いるだけで私を邪魔扱いするなんて、そんなの田中くんくらい。でもぉ……そういうところ。私は好きよ」 「──」 言葉を詰まらせた。 頬杖をついて、谷口色葉は僕に微笑む。発言も、その微笑みも。僕をからかっているだけのものだ。彼女はきっと僕で遊んでいる。ひとり図書室で、誰にも読まれない小説を書く僕で──。 そう理解していても、彼女の言葉に動揺に近しい反応を向けてしまうのが困りものだ。 ──僕こと、田中蕉葉は自称小説家だ。そして毎日毎日、飽きもせず僕の邪魔をしに来る物好きな女──谷口色葉。 これは僕と彼女の、一週間と少しの物語だ。

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