才能ない小説家
追憶(1)

作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

蕉葉しょうよう色葉いろはと出会ったのは数日前になる。 変わらず完成の目処が立たない小説と向き合っている時、色葉から声を掛けてきたのだ。 その日は分厚い雲に覆われた空に、湿った空気をした、秋を知らせるような涼し気な日だったのを覚えている。 「あなた同じクラスの田中くんだよね?」 それが色葉の第一声だった。図書室にいる為か若干声を落とし、それでいてハッキリとした物言いで蕉葉に向けていた。 しかし、蕉葉は集中している時であれば声を掛けられた程度では反応しない。ましてや、″田中″と呼ばれたのであれば尚更であった。 無視をされた。そう思った色葉は懲りずに話し掛けるも蕉葉が返事をする事はない。代わりに得たものは、意味を持たない周りからの視線だ。 人生において、こんなにも他人から無視をされた事がない色葉は覚えなくてもよい羞恥心を覚え、堂々とした無視をする蕉葉に腹を立てた。 「ねえちょっと……っ、聞いてるの!?」 思っていたよりも大きな声が、喉を伝って音として発せられた。そんな自分の姿に冷静さを取り戻しつつも、色葉は蕉葉が必死こいてペンを走らせる原稿の傍に手をついた。すれば蕉葉の手はピタリと止まり、ゆっくりと顔を上げる。 「……」 表情ひとつ変わらず、無言のまま蕉葉は色葉を見る。 蕉葉の色葉を見る目は、色葉が誰なのかを思い出しているというよりも、色葉の姿を焼き付けるように吟味しているに近い。 「図書室は自主勉や読書をしに来る場所だ。大声を出す場所じゃない」 見つめるように色葉を瞳に映したまま、蕉葉は静かに言葉を口にした。少しの冷静さを取り戻した色葉であったが、どこか的外れな蕉葉の言葉に苛立ちが蘇りつつある。 「そんなことっ……わかってるわよ。私が話しかけても返事をしない田中くんが悪いんでしょ?」 再度荒らげそうになった声を抑え、余裕を見せるように色葉は笑う。 周囲の視線も同時に落ち着き、蕉葉の対面側の椅子に腰を下ろした。 「僕が悪いのか? この学校に″田中くん″は多くいるぞ。窓の外を見てみろ。校門前で食べ歩きをしている彼も″田中くん″だ」 嘲笑うように蕉葉は笑み、色葉を見る。そんな蕉葉の態度に色葉は再び頭に血が上る感覚を覚えたが、それをぐっと我慢し適当な返事をした。 しばらくの沈黙がふたりに流れたが、先程まで神経を尖らせ、目の前の原稿と向き合っていた蕉葉は変わらず色葉を見ている。 蕉葉の何気ない視線が色葉には居心地が悪い。 色葉が何も話さないでいれば、蕉葉はため息にも似た息を吐き出し、口火を切った。 「僕に用があるんじゃなかったのか? 用がないならキミの存在は僕の集中力を阻害する。どこか別の場所に移動して欲しい」 「さっきから癇に障る言い方するじゃない。用があるからここにいるんでしょ? そんな事も分からないの?」 眉間にシワを寄せて、嫌悪感を示すような表情を浮かばせて色葉が話せば、蕉葉は小さく頷いた。 「それもそうか。なら早々に話してくれ。僕はキミと違って暇じゃないんだ」 少しは色葉の気持ちが伝わったのかと思われたが、蕉葉はため息混じりの声で話し、椅子の背もたれに体重を掛け目を細めた。もちろん、そんな上から目線の態度に色葉の苛立ちはちゃくちゃくと募って行く。──が、互いに喧嘩腰ではまともな話も出来はしない。 「すごく、もの凄くあなたの態度は気に入らない。けど、私はお願いする側だからさっきまでの態度は謝るわ、ごめんなさい」 そう話しておきながら、上から目線の蕉葉に対し、色葉もまた上からの態度で形だけの謝罪をした。だが、元よりそんな事はどうでもいいのか、蕉葉は急かすように「で?」と。言葉を捨ておく。 「私に読書感想文の書き方を教えて欲しいの。恥ずかしい話、生まれてこの方、読書感想文を書いたことがなくて。あなた、小説を書いてるのでしょう? なら、読書感想文のコツとか……知ってるかなって」 素直に、色葉は田中蕉葉を訪ねた訳を話した。それだけが理由ではないが、わざわざそれを蕉葉に語る理由もなく、色葉は懇願するように蕉葉を見た。 かくいう蕉葉はと言うと、そんなわざとらしい瞳を向けてくる色葉に呆れに近い感情を覚えながら、どんな理由をつけて断ろうかと思考を回し始めていた。しかし、ふと。彼女の、耳元で光るそれを見て考えを変える。 ──が、読書感想文を書いたことがないと話す彼女にはやはり、呆れてしまう。 「小説を書いていると、読書感想文がどう繋がるか知らないけど。仮に僕がキミに上手な読書感想文の書き方を教えたとして、それが僕になんのメリットがある?」 「それは……──」 そもそも、誰に何を訊いてここに彼女は来たのか。そんな疑問すらも蕉葉の中にはある。 もちろん、蕉葉は彼女──谷口色葉を知っている。だがそれは、知っているだけだ。今まで色葉と会話をしたことはない。恐らく挨拶すらも交わした事はないだろう。今回の読書感想文にしてもそうだ。蕉葉と違い、色葉は友人と呼べる存在に恵まれている。それなのになぜ、色葉はここに来た? そんな疑問が泡立つように浮かび上がってくるのだ。 とは言っても、蕉葉に彼女の申し出を断る理由はない。それどころか、彼女の存在自体が助けになると蕉葉は確信している。しかし、わざわざそれを色葉に教えてやる義理は蕉葉にはない。それ故に、蕉葉は色葉に確かなるメリットを求めてしまう。 「わかったわ、なら私が田中くん……いいえ、蕉葉くんに読書感想文を教えてもらう代わりに、私はあなたの書いた小説を一番に読んであげる。これでどう?」 「っふ、っはは──えぇ? 僕の書いた小説を一番に読んでくれんの? すごい面白い事言うね」 果たして色葉の提案がメリットに成りうるのか。そんな事を考える余裕すら持てぬまま、蕉葉は予想もしなかった色葉の言葉に場も考えずに破顔一笑した。 しかし悪い気はせず、息を吐き、前のめりに座り直す。少し考えるように頬杖をついて、窓の外を眺めた。 「だめ?」 男に強請るのが得意なのか、色葉は甘えたような声を出して蕉葉に一言だけ言葉を置く。 そんな色葉の言葉に誘われるように、蕉葉は色葉を見た。 最初に色葉を見た時にも感じた事だが、間近で色葉を見るのには新鮮味を覚えた。一応、同じクラスに属しているとは言え、色葉の事は遠目でしか見たことがない。なんとなく、彼女の素行を見ていれば優等生と呼べる存在でないと知っていても、彼女が隠れるようにピアスをしているというのは、先程初めて知った事実だ。 よく見れば、髪色も染めているのか若干茶色がかっているように思う。 けれど、彼女──谷口色葉はオシャレをしたいのだろうが、中途半端に留めている気がする。髪を染めたいなら思い切り染めればいいし、ピアスだって見せつけてやればいい。それに似合ってはいるが、黒縁メガネはどうも不釣り合いに思う。 どちらにしても色葉が校則違反を犯しているのには変わらないというのに。 まあ、そんな主観的な彼女に対する気持ちは置いておいて──。 「駄目じゃないって言うとでも? そもそも、それじゃあ何の取り引きにもなってない。僕はキミに小説を書く時間を割いて、読書感想文の書き方を教えなきゃならない。ならキミは僕に、それに相応しいものを与えなきゃならないんだ。そこんとこを理解して欲しいね」 何十枚も重ねて置いてある原稿用紙をペラペラと捲りながら蕉葉は話す。 これらは後一週間で仕上げなければならない原稿だ。コンテストの期日が迫っている。それなのに、必要である時間を別の事に割くなど蕉葉にとっては最もしたくない行いだ。 間違いなく、相手が色葉でなければ罵詈雑言を浴びせていた自信が蕉葉にはある。 「と、言ってみたものの、特別にそれでいいよ。僕の小説を一番に読んでくれるなんて、嬉しいことも言ってくれたしね」 「えっ……、い、いいの? この流れは絶対断られると思ってた……」 瞳を瞬かせ、色葉はきょとんとした顔をする。どこか馬鹿っぽい姿であるものの、それは口にせず蕉葉はゆったりとした笑みを浮かばせた。 「そ、それなら、早速教えてもらいたいんだけど」 机の下に置いていた通学鞄を膝の上に置き、書きかけの原稿用紙を優しく丁寧にファイルに綴じて仕舞う。 「──あぁ、ごめん。これからバイトだから、明日からで」 重い腰を上げ、凝り固まった身体を解すように軽く伸びをしてから、通学鞄を肩に掛けた。ずっしりとした重みが左肩に掛かる。こればかりは長いこと学生をしていても嫌になる感覚だ。 「えっ、待ってよ、私は──」 「言っただろ。僕はキミと違って暇じゃないんだ。それに時間は無限にあっても、僕らの時間は無限じゃない。時間を持て余しているんだったら本のひとつでも読めばいい。それじゃ、また」 あくびをひとつして、蕉葉は色葉から視線を外した。そのまま色葉に背を向け、振り返る事もせず、蕉葉は図書室を後にした。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません