不思議な池袋
第6話 そして今(後編)
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     私は利用したことないが、昔々のいかがわしいレンタルビデオ屋では、一部の客を奥の別室に招いて、特別なビデオを鑑賞させていたという。  そんな話を思い出してしまったのは、老婆が私を、黒いカーテンで仕切られた別室へと案内したからだった。  最初の部屋とは異なり、真っ暗な部屋だ。仕切りのカーテンを開いた時に入ってくる光だけが、わずかな照明となっている。  その光に照らされた範囲でわかるのは、闇に溶け込むような黒い椅子があることだけ。老婆は「今風な言い方をするならばバーチャル・リアリティ」と言っていたのに、それ用の機材――VRゴーグルやらVRヘッドセットやら――は全く見当たらなかった。 「さあ、そちらへお座りください」  私は何らかの詐欺に引っかかっているのだろうか。  疑いながらも、老婆の言葉に従って、黒い椅子に腰を下ろしてみる。  体がどこまでも沈み込むような、柔らかい椅子だった。 「それで、どうしたら……?」 「お客様、目を閉じてください」  目を閉じたら、VRゴーグルを持ってきてもらっても、何も見えないではないか。  先ほどの疑念を強めながら、一応は言われた通りに目を閉じてみると……。  その瞬間。  頭の中に、それが流れ始めた。  まるで走馬灯だった。  いや走馬灯ならば、もっと断片的になるのだろうか。これ断片ではなく、物心ついた段階から順番に、一人の人生を追体験していく感じだった。  そもそも走馬灯ならば、私自身の記憶や経験が流れるはず。しかし、これは私とは違う人間の『一人の人生』だ。先ほど私が選んだパッケージには「今でも楽しく野球している」と書かれていたので、きっと野球少年の人生なのだろう。  私はテレビでプロ野球観戦するのは好きだが、運動は苦手なので自分自身でプレイすることはない。子供の時からそうだったが、この男は違っていた。  プロ野球選手に憧れて、少年野球チームに入り、練習を重ねて、チームでは一番と言えるほど上手くなって……。  しかし、しょせん井の中の蛙だった。高校は野球の強豪校を希望したのだが、全く相手にされなかった。近所の高校へ進学することになり、一応野球部には所属したものの、甲子園出場は夢のまた夢だった。予選の一回戦で負けることが決まっているような、弱小チームだった。  それでも三年目の夏。投げてはエース、打っては四番打者として、彼が獅子奮迅の活躍を見せた。その結果、チームは予選三回戦まで進むことが出来て、そこで彼の高校野球は幕を閉じた。  チームメイトには感謝されたが、彼一人の力で勝ったわけではない。それは彼も理解していた。チームメイトと力を合わせた結果だったのだ。  自分のレベルに応じたところで、同じレベルの仲間たちと、たった一つの勝利のために汗を流す。それは、かつて目指したプロ野球とは全く異なる、新たな野球の楽しみ方だった。  これが自分に合っている。そう思った彼の中から、プロ野球選手になりたいという憧れは完全に消えた。私立の大学を経て小さな商社に就職した彼は、毎週日曜日、草野球チームで楽しく野球をしている……。 「どうでしたか、お客様」  野球少年の人生はまだ途中のはずだが、この『商品』としては、そこまでで終わりらしい。  ふと気づけば、老婆がかたわらに立っていた。意味ありげな笑みを浮かべており、いかにも「他人の人生を覗き見するのは面白いでしょう?」と言わんばかりの雰囲気だった。 「ええ、確かに満足しました。これならば……」  今からもう一本、別の者の人生も追体験してみたい。  そう言おうとしたのだが、口にせずとも老婆には伝わっていた。 「あいにく、一日に一本でございます。お客様自身の体のためにもね。ですから、またのお越しを」  お店を出る寸前に思い出した。私は料金を払っていない!  慌てて、支払いについて尋ねようとしたけれど、これも老婆に止められた。 「うちでは現金はいただきません。代わりに、お客様の人生の一部をお借りします」  あの黒い椅子には不思議な仕掛けが施されており、私が他人の人生を見ている間に、私の記憶の一部が抜き取られたのだという。 「今回は、三年分です。お客様の十五の誕生日からのキッチリ三年間。それをいただきました」  記憶を抜かれたといっても、奪われたわけではないようだ。十五歳の出来事も、十六歳のことも、十七歳も、色々あったのを私はしっかり覚えている。  こちらが他人の人生を借りて見せてもらったように、私の人生の一部を貸し出した形になるらしい。あくまでも一時的な貸し出しであり、既に返却されているから、私の中に記憶の齟齬はないのだろう。  まさにレンタルショップだ。  一階まで下りて雑居ビルを出たところで、足がふらついた。  椅子に座っていただけなのに、妙に疲れてしまったようだ。もしかしたら、たとえ一時的だとしても他人の人生を脳内にインプットするのは、神経に対する大きな負担になるのだろうか。  そういえば、あの老婆も「お客様自身の体のために」と言っていた。こうした疲労も織り込み済みだったらしい。 「まさか……。記憶は貸し出しだけで抜かれなかったけど、それとは別に生気を抜かれたのか?」  そんな冗談が口から飛び出した。  自分でも信じていない程度の『冗談』だ。 「うん、また来よう」  こちらは本心だった。  今回の出張でも、あと三日間、東京に滞在できる。  その後だって、東京を訪れる機会は作れるだろう。  そうすれば、また池袋に来られるのだ。  次に来た時は、どんな人間の人生を鑑賞しようか。例えば先ほどのタイトルにあった「無事にお嫁さんになりました」は明らかに女性だろうが、自分とは異なる性別の一生というのも面白そうだ。  そんなことを考えながら、明るい青空の下、私は池袋の西口を歩き回る。  あのような不思議なレンタルショップがあるのだから、やはり池袋は不思議な街なのだろう! (「不思議な池袋」完)    
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