ムスタとノワール
エピローグ

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 僕のご主人は物好きで、黒猫を二匹も飼っていました。今は僕だけになり、あの時住んでいた家からも遠く離れてしまいました。  新しい家は一回り小さくて、部屋の数も減り、壁がざらざらしていて薄ら黄ばんでいましたが、それでも僕は幸せでした。だって、ご主人が帰ってきてくれたから。 「ごめんね、タワーも寝床も絨毯も、何もかもなくなっちゃって……」  しゅんとするご主人に、僕は必死に訴えます。  そんなの無くたって平気だよ。僕は元々野良だったんだから。  ご主人は布と段ボールで簡易的な寝床やトイレを用意してくれました。それで十分です。それよりも僕はご主人のことが心配でした。お兄さんと一緒に住んでいたあの家が燃えてしまって、一番悲しんでいるのはご主人のはずだから。  でもご主人はまるで気にしていないかのように、以前より元気に毎朝出かけていきます。そういえば、出る時間が少し変わりました。それに、一日お休みの日が規則正しく訪れているように思います。いずれにせよ、「お仕事」は上手くいっているみたいです。  時計の合図はもうないけれど、僕は感覚でご飯の時間がわかります。日当たりの悪い部屋だけど、太陽が真上に昇る時間を肌で感じると寝床からするりと抜け出して、僕はご飯のお皿の方へ向かいます。  燃えた家からご主人が唯一持ち出してきたのは、このご飯のお皿でした。白くて丸い皿。お兄さんのにおいが微かについていましたが、今ではすっかり僕のものに塗り替えられています。  ご飯はさらに味が変わりましたが、相変わらず僕にとってはご馳走です。  幸せものだなあ、僕は。  ご主人の帰りは変わらず遅く、待ちくたびれてしまうほどでしたが、以前のように玄関先で倒れるようなことはなくなりました。ただいま、と綺麗な声で言ってくれます。時折、お土産の白い袋を掲げながら。 「ムスタ」  夜になり、床に敷いたお布団の中でご主人が腕を伸ばします。 「おいで」  僕は段ボール箱から飛び出して、ご主人の懐に飛び込みました。あのふかふかベッドではないし、冷たい床の上の硬い布団だけど、ご主人がいればぽかぽか暖かいのです。  ご主人のぬくもりに包まれながらまどろんでいると、ふいに僕の耳元で優しい風が吹きました。  ――ご主人をよろしく。  それは穏やかなそよ風のように僕とご主人のまわりを回って、そのままどこかへ消えてしまいました。  

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