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 謹慎三日目。謹慎せず。  「おや、また来たね。暇なのかい?」  「……ええ、まあ……」  そろそろ謹慎という単語を辞書で引いた方がいいかもしれない。  それを知っているのかいないのか、女は仕方がないなあと言ってくくくと笑った。  中毒だろうか、この演技がかった話し方を聞くと安心するようになってきた。  「ゆとりがあるのは良い事だ。だが僕はゆとり無く仕事に行くところなんだよ。君も来るかい?」  「……行きます」    俺は金魚のフンよろしく女に付いて行った。  女は今日も金魚帖を持っていた。  魂の在処をこうも簡単に覗かせるという事は一般人閲覧厳禁という事でも無いのだろうか。  もし俺が悪人で金魚を殺そうとする人間だったら、この時点で大量虐殺ができてしまう。そうなったらこの女は弔うどころか殺人ならぬ殺金魚に手を貸したようなものだ。その場合、魂を不当に消し去った責任は誰が負うのだろうか。  (……いや、魂って信じたわけじゃないけど)  だが他に信じる説も俺の中には今のところ存在しない。  そしてそれが真実だと思ってしまうほどに、金魚を魂だと言い捨てた女の目は狂気じみていた。  このすり抜ける空飛ぶ金魚は全て魂なのかと思うと、その美しさに眩暈がする。  「何をぼんやりしているんだい、ナビ君」  「ナビ君?」  「地図だよ、地図。ほらほら次の場所へ連れて行っておくれ」  「スマホは使えないくせにナビなんて言葉は知ってるんですね」  「そんな揚げ足取りはせんでよろしいのだよ。ほら、早くおし」  「はいはい」  たった二日だと言うのに、この非日常は俺の日常になっていた。  最初はこの女も人の目には映らないのかと思ったがどうやらそうではないようで、こうして喋っていても独り言の多いおかしな人間に見られる事はない。  だが金魚は見えないのだから、俺達はやたらと空をかき回しているようには見えているだろう。  そんな金魚にも俺はすっかり驚かなくなった。むしろ可愛いとすら思い始めている。  (怖いのは金魚じゃなくてこの女だ)  弔いだの水槽だの、俺に害を及ぼすのはいつだってこの女だ。  魔法のような異常事態に凡人の俺では太刀打ちできず、されるがまま流されるままだ。  だがその原因であるこの女は金魚と違って触る事ができる。  女は色白で細身の身体からするにどう見てもインドアだ。少なくとも格闘技ができるようには見えないし筋肉もない。  いざとなったら着物姿でゆるゆると動く女一人くらい力尽くでどうにでもできるだろう。  そう思うと恐怖感はわずかに薄れた。  「この金魚も水槽に入れるんですか?」  「そりゃあそうさ。金魚屋だからね」  「あの水槽に入れてどうするんですか?」  「弔うのさ。金魚屋だからね」  「その弔うってどういう事なんですか?全部消えちゃいましたよね、あの時」  「そりゃあそうさ。輪廻転生の輪に乗ったからね」  女はちらりともこちらを見ずに、俺の質問に被せるように適当に答えてくる。  答えてはくれるが、「金魚屋だから」は何の説明でもない。  金魚屋だとなぜそれが当然なのかを答えて欲しいが、今までのこの女の様子を振り返るに、まともな説明は期待できない。諦めよう。  しかも輪廻転生とはまたファンタジー設定が出て来たものだ。  「輪廻転生っていうと、生まれ変わるとかそういう?」  「そうさ。金魚の弔いはこの子達を未練から解き放つ儀式さ」  「天国に行ったって事ですか」  「そうそう。そんな感じだあよ」  そんな感じとはどういう感じだ。正解ではないのか。  煙に巻くような言い方に意味があるのかないのか、からかって笑いたいだけなのか、そろそろはっきりして欲しい。  しかし言ってる事は分かるような分からないような、いや、言ってる事は分かるのだが現実味がない。  もし輪廻転生するであるのなら俺は前世で金魚だったかもしれないが、だとしても覚えて無いし覚えてる人間がいたら死後の世界について論争が繰り広げられる事もない。  どうにもこの女の話は物語を読む第三者の感覚でしかない。  じゃあこの金魚が何なんだと言われれば分からないのだが。    「生まれ変わりねえ……」  「まあ全部が生まれ変わるわけではないけどね」  「え?何でですか。金魚差別?」  「言い方に悪意があるよ。あのね、金魚屋では弔えない金魚もいるんだ。そういう子は永久に浮遊し続ける事になる」  「はあ……こういう、浮いてるこれがこのままって事ですか?」  「そう。冥福を祈られないとこのままさ。生まれ変わる事を誰にも望まれていないなら金魚屋(ぼくら)は手が出せない」  「ふうん。放置されるとどうなるんですか?」  「どうもならないよ。永久にこのまま現世を彷徨う。ただ稀に未練に(憑く)場合がある」  「憑くって、人間に憑りつくって事ですか?憑かれるとどうなるんですか?」  「金魚と同化するね。そうすると金魚が見えてしまう。そこらに飛んでる金魚達がね」  「え?」  金魚が見えてしまう?  その言い方はまるで良くない事のようだが、俺は金魚が見えている。  これは一体何でだろうと思っていたが――  「……俺、金魚に憑かれてるんですか?」  「そうさ。君は《金魚憑き》さ」  「金魚憑き……」  憑くという概念がよく分からない。   これがおどろおどろしい見た目をしていたら恐怖でおかしくなったかもしれないけれど、どうにもこうにも金魚である。  赤やオレンジ、時には黄金のように輝く美しくも妖しい金魚。  しかし彼らはゲームに出てくるモンスターのように襲ってくるわけでもなく、本当に金魚のように泳いでいるだけなのだ。  特に金魚や熱帯魚が好きというわけではないが、沙耶を失いバイトと勉強だけの人生になってた俺にとって何もしてこない綺麗なだけの金魚はちょっとした癒しにすらなっている。  「まあ、害は無いから別にいいですよ」  触れる事はできないが、つい撫でてやりたくなる。  目の前に浮遊する金魚に手を伸ばすと、やはり触れないけど可愛いものだ。  しかし女は俺の手を金魚から引き離して急に噛みついてきた。  「いってぇ!何するんですか!」  「君は今魂を食われたよ」  「は?」  女はまるで何かを食うようにガチガチと奥歯をぶつけ合った。    「金魚は魂だ。君に憑いた金魚は君に自分の姿を見てもらいたくて、無理矢理金魚を見せてるんだ。本来見えない金魚(たましい)を見るにはどうすればいいと思う?」  「どうって……」  「同じ種族になればいいのさ。金魚は魂。君を金魚にするには魂を使わせればいいのさ。君は今それをやらされているんだ。つまり魂を削りながら生きている」  「……は?」  女はぺたりと俺の心臓あたりに手を当てた。  そこではどくどくと心臓が動いているが、そこに魂が宿っている――などという非科学的な話は信じていない。  だが女は目をぎらつかせながら俺の心臓を揺らすようにどんどんと胸を叩いてくる。  「食われた魂は食った側に消化される。君はそのままだと遠からず死ぬだろう」  「……何言ってんですか、あんた……」  「消化とは消滅。消滅はいわゆる地獄さ。天国へ行けず地獄へ連れて行かれるんだね」  何の話だ。  魂が食われる?  食われてる?  誰に?  金魚に?  金魚って魂だろ?  魂って人間だったんだろ?  「誰かが君の魂を食っているのさ」

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