PYG
その10

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 加藤は次のことを考えていた。彼は養母を殺した医者を糾弾しようとしていた。探偵に調べさすと、癌センターに勤めていた医者は今では開業医をしていた。忘れていた名前は安川徳治だった。あの男に復讐せねば。貰われて行って、短い期間ではあったけれど、自分に愛情を注いでくれた養母の復讐を果たさなければ死んでも死にきれない。彼は自宅から病院まで車で通勤していた。病院の入っているビルの地下駐車場で車を降りてエレベーターで上へ向かうことが確認された。病院は夜八時までやっていた。彼は再び顔を偽装しレンタカーを借りて毎晩、地下駐車場で医者を待った。用心深い医者は監視カメラのある場所に車を止めていた。ある日、医者は用事があったのか、夜十一時頃に駐車場に下りてきた。辺りは閑散としていた。彼は医者の車に横付けし、いつものようにスタンガンで気絶させ強い麻酔を注射し、車の後部座席に乗せた。そして富士宮に向かった。  彼は気絶している医者を抱え、建物の地面に叩きつけた。そして顔面を殴った。 「おい、起きろ!」再び彼は殴った。  医者は朦朧とした意識の中で加藤を見た。痛みに堪えながら、誰だ、この人は、私はどこにいるんだと思った。 「私は加藤正義と言ってね、覚えていないかもしれないが思い出してくれなきゃ困る。あんたが殺した母の息子だ。あんたによって全部のはらわたを摘出された母の長男さ。あの時、毎日のように会っていたよね。思い出せ」  医者は徐々に意識を回復していった。 「君ね、誰か知らんが逆恨みだよ。私が何人患者を診てきたと思っているんだ。私は最善を尽くしてきた。でもね医者の出来ることには限界があるんだよ」  加藤には医者にお決まりの言い訳だと思った。そうだ、そう言えば何でも許される。 「私はあの時、母を一分一秒でも長く生かせて下さいって言ったよね。あんたは僕に任せてくださいって言ったはずだ。覚えていないとは言わせない。何で母は何度も何度も手術を繰り返し切り刻まれたのだ」  加藤は自分でも話しているうちに興奮を止められなくなった。 「あんたに天誅を下す。哀れな自殺者が遺書で書いていたようにね。あんたはこれまで数限りない患者を切り刻んできただろう。そして死なしてきたんだ。あんたは申し訳そうな慙愧に耐えない顔をして遺族に話しかける。全力を尽くしましたが……ってね。嘘を言うな。あんたの未熟さが母を殺したんだ。医者は人を殺しても罰せられない唯一の職業だ。許さない。あんたは私に切り刻まれて解体され豚の餌になる。ここは養豚場なんだよ!」  彼は七十歳近い男を鋲入りの拳で再び殴った。頬が裂け、血が噴き出した。 「お前にも赤い生きた血が流れているのか。人非人め、あんたは究極の犯罪者だ。お前にはさすがの私も負ける。いや私は一人も殺してないがね、殺したのは豚だ。豚に食われて死ぬんだよ。どうだいい気分だろ、いつも極上の豚肉を食ってきたんだろう。医者さんよ。殺生はいけないよ。豚に食われるのが天誅だ」  安川は完全に冷静さを失っていた。しかし落ち着くんだ、いつもの手術のように、と自分に言い聞かせた。 「君ね、手術がハイリスクなのは分かっているかい。難しい手術ほどそうなんだ。君のお母さんは思い出せないが、重症だったんだよ、手遅れだったと言い換えてもいいが。私はどの患者さんにも家族の皆さんにも感謝されてきた。私はいいかげんな手術をしたことは一度だってない。どの医者だってそうだよ。みんな全身全霊をかけて治療しているんだ」 「嘘だ、母の癌は初期だから助かると言っただろう。はらわたを全部取るなんてどういうことだ。癒着がひどかっただって、そんな言い訳はいらない。ふざけるな! 悪徳医者は悪徳弁護士と比べられないほどいる。いい金になるんだろう。あんな高級外車を乗り回して。あんたは賄賂と患者から吸い取った袖の下の金で私腹を肥やしていったに違いない。いい酒を飲みいい女をはべらしてこの世の贅を尽くしていったに違いない。許さない、私の女房は豚のような女だよ。私は一度も遊びに行かず、節制してきたんだ。お前のその肥えた脂肪たっぷりの腹を見よ。その腹をえぐって豚に食べさせるんだ」  加藤はまた安川を殴って何回も蹴った。安川はごろごろと苦痛の呻き声をあげて転がった。 「痛いか、骨の髄まで痛みを味わえ」  加藤は馬乗りになり安川の顔を鋲付きの拳で何度も何度も殴った。安川はやがて気絶した。  翌朝、安川は猛烈な痛みに耐えかね目を覚ました。体が泥だらけになっていて服を血が汚している。建物の端の台の上に豚肉のステーキが置かれていた。焼きたてのおいしそうな香りが漂ってくる。食べられる訳がない。人肉豚だ。加藤はさんざん人を殺して豚に食べさせたのかもしれない。そんな肉を食えるはずがなかった。安川は胡坐をかいて自分の置かれた事態を考えた。無数の考えが湧いては消えた。  それから十日が経った。大食漢の安川には拷問に思えた。三度三度豚肉のステーキが出される。彼は飢えで発狂しそうになった。この豚肉は違う。加藤ははったりをかましている。嘘だろう。そうに違いない、という考えに頭中が支配され彼は朝に出された豚肉のステーキに夢中でかぶりついた。それから堰を切ったように毎食のステーキが待ち遠しくなった。それからさらに三日経った。  突然扉が開いた。加藤が入ってきた。手には鞭が握られている。彼は安川の肥えた体に鞭を振り下ろした。鞭が食い込んだ。安川が逃げ回った。加藤は隅に追いつめぴしっぴしっと鞭で叩いた。肉が裂け血が噴き出した。 「止めてくれ、お願いだ。何でもする。金が欲しいか。いくら欲しい、五千万か、一億か。やるから止めてくれ」  安川は土下座をし懇願した。加藤はその顔を蹴った。うずくまった安川の首筋にスタンガンを弱にして当てた。安川は体の自由が利かなくなり眼だけを見開き、加藤を見つめている、 「ううぅっ」  安川の口からよだれが垂れていた。加藤は抱えて隣の建物に入った。飢えた豚が盛んにぶひぶひ言っていた。加藤は安川の衣服を脱がし裸にしてとんかちを持ってきた。安川の体が恐怖に震えている。加藤は安川の股を開き、狙いを定めて睾丸を潰した。  ぎゃーっと言う悲鳴が部屋中に響いた。さらに加藤はもう一つの睾丸も潰した。安川は激痛に顔を歪め口から泡を吐いて悶絶した。加藤は局部を切り取ると豚の群れに投げ込んだ。豚が暴れだした。加藤は致命傷にならないような場所を選びナイフを数か所突き刺してえぐった。そして安川の巨大な体を群れの中に投げ入れた。安川の肥えた贅肉は豚に引きちぎられ、あっという間に群れの下敷きとなった。  翌朝、豚に殺され食い尽された安川の残骸を加藤は引きずり出しいくつかに解体した。そして粉砕機に入れるとギャーンという音がして安川は粗い粉末と濁った液体になった。    加藤は自分を棄てた父と母を絶対に許さなかった。彼が捨てられていた箱の中には彼の生年月日と『正義』という名前と両親らしき名前があった。当時、警察は調べるには調べた。だが手がかりはそれ以上何もなく、施設が引き取る形になり、その後、施設に見学に来た子供のいない両親に貰われていった。彼は別の探偵を雇い、自分の過去を調査させた。二週間ほどしてメールが来た。父は死亡していた。母は現在七十三歳で存命だということだった。  母親はアパートに一人で住んでいた。独居老人だった。彼はチャイムを押し、彼女が顔を出すと、保管されていた、両親の名前の書いてあったあの汚れてしまった布切れを差し出した。彼女はしばらくその布切れを見て、正義だよ、という男の顔を見上げた。彼女はその場にへたり込んだ。そして恨めしい顔をして彼を見つめた。彼は彼女の肩を抱いて車の中に入れた。  何故捨てたんだ。何故育てられなかったか。子供を捨てる罪は人殺しよりも重いと彼は思っていた。  養豚場に着くと生みの母親を建物の地面に放った。 「何故、捨てた。育てられないなら生むな。あんたが捨てたから私は殺人を犯した。殺人とは思っていないけどな。だがあんたへの憎しみで私の心が歪んだことは事実だ。あんたが捨てたおかげで怪物が育ったんだよ。私はずっと自分以外の全ての人へ殺意を持って生きてきた。それがどんなに苦しいか、あんたには分かるか。私だって愛されたかったんだよ。養母は愛情を注いでくれたがすぐに死んだ。養父は交通事故で死んだ。年老いた認知症で寝たきりの祖母の面倒を見ながら私は一人っきりでさんざん苛められながら生きてきたんだ。その絶望的な孤独があんたには分かるか。私はずっとあんたを求めて生きてきた。会いたいと思いながら生きてきた。あんたが私の一生を左右した。あんた次第でどうにでもなったんだよ。優しくて明るい素直な子供に育つこともできた。金がなくって貧乏であっても育ててほしかったんだ。捨てることはないだろう。なんでそんな事が出来たんだ」  彼は泣いた。  母がうろうろと話し出した。 「あんたはいらない子供だった。生まれてこない方が良かった子供だった。どうにも始末できなくなったから、無人の交番の前に捨てたのよ。冬の凍えるような寒い夜にね。それだけのことよ。凍死してもいいと思ったわ」 「それなら何で身元の分かる名前を残したのか」 「いつかはこういう日も来るんじゃないかと思ってね。あれだけじゃ探せないと思っていた。私たち夫婦は名前を変えて大阪で生きていた。あんたのことなんて考えなかったわよ。職を得てどうにか食えるようになってから子供も生まれたしね。あんたはあんたで自分の運命を生きなさいと思ってね。見つかって助かるのも凍えて死ぬのもあんたの運命と思ってね」 「それではあまりにも無責任じゃないか」 「だってあんたが勝手に生まれてくるんだもの。あんたの方こそ無責任よ。いい迷惑だわ」  加藤の中で何かが切れた。 「性根を叩き直してやる。あんたは一生分の苦しみを味わうんだ。『親の因果が子に報い』って言葉を知らないか。あんたが怪物を生んだんだ。取り返しのつかない現在の惨事はあんたの非道な悪事から生まれたんだ」  彼は母を殴ろうとして躊躇した。何をためらっている、彼は心を鬼にして殴った。いや今になっては存在そのものが鬼だ。皮膚を貫いて突き出た角が見えるだろう。殺してやる、いつものように。でも骨ばった肉は豚が好まないかもしれない。 「あんた、飢えを経験したことがあるか。それは苦しいものだ。学校側の配慮で給食は食べることができたがね。でも肉が食えなくてね。さんざん苛められたもんさ。肉を食うなんて野蛮だとも思っていた。まぁ、体が受けつけなかっただけなんだけどね。育ち盛りの子が一日一食なんてね。そのうちに学校も行かなくなり、いつも飢えていた。食べ物や他の何かに。生みの母の愛情が欲しかったんだ。捨てられたという心の傷は一生残る。それは癒しようがないんだ。私の母親はどうしようもない事情で私を手放したと思っていた。私は心の底から母を愛していた。だが何だ。この自堕落な母親は。泣けてくる。涙が止まらない。俺の本性はこの女の本性なのだ。人は何故、子供を生んで育てる。その責任はとてつもなく重いのだ。その覚悟がないものは子供を作るな! セックスに溺れた結果がこれだ、私は誰も殺していない、殺したのは豚だ。でもそれはあんたが殺したともいえる」 「豚? 何よそれ、豚が殺した? 何言ってんのよ、意味が分からない」  彼女は目隠しをされてきた。ここが養豚場だとは知らない。 「私は養豚場の親父になった。豚を育てるのが生きがいなんだ。いい餌を食わせて良質の豚肉を出荷することが今の私の仕事だ」 「あんた、子供いるの?」 「いないさ、私は自分がずっと子供のままだと思ってきた。子供に子供はいらないんだよ。それにセックスは私の忌み嫌ってきたものだ。あんなけだもののような行為を出来るか。セックスに快感を持たせ、その結果、子供が生まれるような仕組みは神の罠だ。私は罠にかからない。私は神を罠にかけようとしていた。私が神になるんだ。全宇宙を破壊することを夢見てきた。この富士の裾野で満天の星を眺めながら、いつか全てを消滅させてやろうと思ってきた」 「けっ、あんた豚の糞にまみれたただの親父じゃないの。その貧相な姿を鏡に映して見たことある? あんたこそ豚に食われて死ねばいいんだわ」  加藤は再び女を殴った。 「ひぇーっ、痛いわね。何するの。あんた母親に向かって手を上げるなんてどういうこと。心がねじ曲がっているんだわ」 「あんたは母親に値しない! 糞を垂れ流す薄汚い老婆だ。死ね!」  彼は鋲の付いた拳で何度も殴った。頬がちぎれ、血がだらだらと流れ上半身が真っ赤に染まった。

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