PYG
その4

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 二人は出口で五分間、特殊な風に晒されてから豚舎を出た。彼女は服や肌の臭いを嗅いだ。臭いが全くしないのを不思議がり首を捻った。だが記憶には残っている。頭の中までは脱臭できないようだ。  彼女は部屋に戻り富士山を眺めながらひと眠りしようと思った。しかしあのDVの男が瞼に焼き付いて眠れそうにもない。何十回もフェラチオしてやったのにあの男は何故自分を痛めつけるのか。心や体に刻みつけられた傷は永遠に消えないだろう。ここでしばらく静養すれば回復するのだろうか。だがあの加藤って男も油断がならない。何を考えているのか分からない。研二っていうおとなしそうな子も『自殺したい心を癒すサイト』からここにやってきたのだろうか。ただで住まわせ、食事を食べさすなんて何か裏があるに違いない。私は騙されない。携帯が圏外なのも気になる。  やがて夕陽が落ち、夕映えに染まる富士山は見事だった。午後七時ごろドアにノックがあり、これからバーベキューを始めると言う。  庭に設置されたバーベキュー場からはもういい匂いがしてくる。近寄ると加藤と研二が一緒に豚肉を焼いていて、少し離れた所で従業員らしき男たちが三人集まって焼いている。何という分厚いステーキだ、彼女はテレビ番組でしか見たことがなかった。 「この新鮮な豚肉は生でも食べられるんだよ。それを焼くんだから贅沢なものだな。あなたたちは好きなだけいて好きなだけ食べればいい。なにしろ『自殺したい心を癒すサイト』の主宰者だからな、これくらいのもてなしはしなきゃな。わざわざこんな田舎まで来てくれるんだから」  彼女は、携帯がつながらないんだけれどと言った。加藤は、この辺は圏外だね、別に妨害電波が出ているわけではないよと言ってにやっと笑った。そして後で携帯は回収するねと言った。彼女は寒気がした。  おいしい豚肉だと思った。噛めば噛むほどコクが出る。加藤が特上のものだというだけのことはある。餌も高級なものを使っているに違いない。それでなければこれだけおいしい豚肉が出来るわけがない。小百合は研二に近づいた。 「ねぇ、あなたいつからここにいるの?」  研二は小百合の方を見ようともせずに言った。 「……三週間前からです…」  彼女は彼を打ち解けない奴だと思った。こんなんじゃ学校でもうまくいかなかっただろうし、社会に出ても苦労するだろうと思った。だが気にも留めずに振舞おうとして言った。 「へぇ、三週間前なんだ。この『加藤養豚場』の周りは高い塀で囲まれていて入口には立派な門があるし、まるで監獄に見えるわ。あなたここから出たことある? 富士五湖とか案内してくれるって聞いたけど」 「行ったことはあります。でも絶対に周囲にこの場所を教えてはならないと言って携帯はあらかじめ取り上げられました。連絡を取ったら、帰ってもらうという規律があるようです。別に逆らうつもりもないし危険もないようだから従っていますけどね。従業員が一人ついて単独行動は禁止です。なんかあるなと思っていますけど、別にいつまでもいるわけじゃないし、この豊かな自然に囲まれ豚肉を思う存分に食べて静養したら帰りますよ」  彼女はおかしいと思った。確かに田舎ではあるけども富士宮駅から一時間足らずで着いてしまう。今時、圏外なんてそうあるかと訝った。子供でもあるまいし単独行動禁止なんて、まぁ研二は子供かもしれないけどね。でも一週間くらいはまだどこにも出たくない。富士五湖はそれからでもいいか。加藤の気を害してもしかたないしね。この豚肉の美味には勝てない。でも三食豚肉が出るというわけでもあるまい。それはさすがに飽きる。 「ねぇ、研二君。毎食豚肉が出るの?」 「いや、夜は毎日ステーキですけど、朝は和食だったり、昼は卵や野菜の料理や牛肉のハンバーグだったり、いろいろですよ。豚肉だってしゃぶしゃぶの場合もあります」 「ふーん、栄養バランスも考えているのかしら。でも不思議よね。ただより怖いものはないっていうじゃない」  彼女はその夜、携帯を持ち部屋を抜け出し、施設の中でつながる場所はないかと探った。だが端から端まで行っても圏外だった。それから門に近づいた。別に門番がいるわけじゃない。でもこの立派な頑丈な門はたとえ車で激突しても車の方がぺしゃんこになるんじゃないかと思った。鍵らしきものはないし、どうやらパスワードや電子キーで開くシステムのようだ。  それから毎日富士山を眺めながら食事し、夕方は絶景の中、露天風呂に入った。奇妙なガラス張りの露天風呂ではあったが。あのDV男の記憶も徐々に脳裏から消えつつあった。一週間ほどして彼女は加藤に言った。 「ねぇ、富士五湖回りたいんだけど。なんかここ監獄みたいだわ、外の空気吸いたいの」  すると加藤の柔和な笑顔が変わった。 「うーん、それじゃ今日の夜九時、豚舎の隣にある建物に来てくれないか」  彼女は建物のドアを開けて中に入った。ドアは自動的に閉まって鍵がかかった。建物の中央、薄暗い中に加藤が立っていた。加藤は手の中に何か握りしめ手の先から長いひも状のものが伸びていた。 『鞭だ』彼女は反射的にそう思った。彼女は逃げ出そうとしてドアを開けようとしたり蹴ったりしたがびくともしない。 「女は手に負えない胸糞悪い性悪で卑しい生き物だ」  加藤の声が建物に響いた。すると鞭を一回地面に叩きつけた。 「女は不潔な動物だということを女たちは分かっているだろう。それなのに清純でございという顔をしながら新しい男の前にいけしゃあしゃあと現れる。女は百回セックスすれば百人の男性器が女性器の中に刻みこまれるんだ。三百人とフェラチオすれば三百人の男性器が女の唇の中に刻印されるのだ。男たちの精液まみれになるのだ。その意味が分かっているか? 分かっているはずがない。新たな恋人ができればあなたにとっては処女よっていう顔をしながら抱きついていく。そして汚れ切った陰唇を舐めさせフェラチオし大股広げ男を迎え入れる。馬鹿な男はそれが毒壺だとも知らずに男根を挿入する。本当の処女以外はみんな不潔だ。いや元々女は汚れやすい構造をしている。排尿のたびに汚れた性器を紙で拭かねばならぬ。入浴して尿の残痕を拭わなければきれいにならぬ。街を歩いている女性の性器は全員尿で汚れている。少女から老婆までみな同じだ。尿臭漂わせながら男と付き合い、洗ってからねと言いながら男とセックスする。月経の時は悲惨だ。その鉄臭い悪臭を女は自覚している。男にバレテいないと思っているだろうが鼻のいい男は分かるんだ。オムツのようなナプキンを性器に当て一日中過ごしていなければならぬ。最近の女はタンポンが多いらしいが。私から見れば不潔の一言だ。そして女は臭い糞をした後でオフィスに戻って男に微笑みかける。清楚な美人であれば男はいちころだ。肛門からはひどい悪臭が出ているのにね。男も女も糞は清潔でなければならぬ。乳酸菌の錠剤を毎食後三度三度飲め。そうすれば臭いはしなくなる。これは私にとっては常識なんだが、そうでない人も多い。  私は女の自己陶酔的な心が大っ嫌いなんだ。自己愛、自己憐憫は女の専売特許だ。男もそうだと言うかもしれないが男はいちいち自分を憐れんで自己に陶酔し泣いたりしない。女のねばねばしたナメクジのような心が嫌いなんだ。私は増えるものが嫌いだ、女は増殖する。だから地球上は人で溢れかえる。みんな女のせいだ。女をこの世から駆逐せよ。増えるものは豚だけで十分だ」  そう言うと加藤は小百合の前に近づき、いきなり拳で殴りつけた。  小百合はもんどりうって倒れた。唇が切れ出血した。いや唇だけじゃない、頬が裂け、だらだらと血液が地面を濡らした。猛烈な痛さだ。あのDV男の比じゃない。 「痛いか! 鋲付きの拳で殴っているからね。あんたはもうここから出られない。三度三度食事は与えるがね。それも三食豚肉だ。嫌って言うほど食べさせてあげる。口に入らなくなったら口をこじ開け豚肉を押し込んであげる。栄養をつけなきゃ駄目なんだ。豚のためにね! 良質な豚肉を作るためにね! あんたの肉体がごちそうになるんだ」 「えぇ、何言っているの? 意味分かんない。でもこんな事だろうと思ったわ。ただで住まわせただで食事を振舞っているんだもんね。まさか豚に食われるとまでは思わなかったけど。でもあなたに人は殺せない。あのDV男だって殴った後は優しくしてくれたもんね。あなた殺人者になるのよ。一生刑務所で過ごさなければならなくなるのよ。私が初めてじゃなさそうね。じゃ、捕まったら死刑よ。その覚悟があるのかしら」 「もう両手に余る人を殺してきたよ。でも殺したのは私じゃない。豚だ。私は女なら乳房や女性器をえぐって豚に与える。でもその段階では人は死なない。人は豚に食われて死ぬのだ。男なら男根を切って玉を潰す。男は悶絶するよ。そして豚の群れの中に放り込むのだ。豚に殺されて死ぬのさ」 「あなた、人を食べた豚を出荷してきたの? 狂人だわ」  その時、物凄い吐き気が襲ってきてその場で激しく吐いた。 「もう一切れだって食べないわ。ここを出して! あなたの所業をぶちまけるわ」 「だから出られないって言ったでしょう。あんたがいくら食べないって言っても豚肉を前にしながら飢え死にするわけないでしょう。体が欲するからね。特にあんたのようなこらえ性のない女はね。セックスに溺れた女は豚肉の沼にはまって溺れ死ぬのさ。監視カメラが付いているからあんたの様子は手に取るように分かる。飢え死にするより豚肉を選ぶさ。これまでの人たちが全員そうであるようにね。あんた豚が悪いわけじゃないよ、人肉だろうと何だろうと餌に変わりがあるわけじゃないからね」 「あなた、研二君はどうしてるの? もう一カ月近くいるじゃない。富士五湖にも連れて行ってやったそうだし彼は特別なの?」 「そうさ、彼は特別さ。医者の卵だからね。でも卵も放っておくと腐るし捨てなければね。だがまずあんただ」  そう言うと彼は空気を引き裂く音を立てて鞭を彼女に振り下ろした。背中の皮膚が裂け、肉がむき出しになった。彼女はギャーと叫んだ。 「それは悲鳴か? あえぎ声か? はっきりしないな。いく時のよがり声か。我慢しろ、おいしいおいしい豚肉を庶民に食べさせてやるためだ」  彼女は地面を這いずりまわり呻いた。彼が鞭を打つたびにごろごろと転がった。  彼は冷ややかな顔を彼女に近づけ、この売女め、とののしり再び殴った。彼女はぴくぴくと痙攣し動かなくなった。彼はぺっと唾を吐きかけ、『自殺したい心を癒すサイト』に集まる奴らはみんなこうしてやる、自殺したいだと、甘えるんじゃない、さんざ肉を食って育ったくせに、自殺するんなら豚に食わす。豚の気持ちを思いやれ。そう言ってドアから出て言った。  加藤は居間でテレビを見ていた。テレビ番組にはただで豚肉を食べているレポーターという人種がいる。はちきれんばかりの笑顔でいかにもおいしそうに食べているが、豚は人間に食われるために生まれてきたわけじゃない。食べられる豚の悲しみを知っているだろうか。豚の悲鳴を聞かせたい。この女、調べつくして、ここに連れてこようか。豚の悲しみ、苦しみを思い知らせてあげねば。そして人肉の餌で育った豚肉を食わすのだ。チャンネルを変えると女性アナウンサーがこれまた食レポをしていた。清楚で虫も殺さぬような美人だ。可愛い口を開けて豚肉を食っている。そして何やら下手くそな感想を可愛い声で頬張りながら話している。この藤田純子という女子アナは彼の好みだった。調べると慶応幼稚舎から慶応女子高を経て慶応義塾大に入っている。蝶よ花よと可愛がわれ何の苦労もなく育ちテレビ局に入ったんだろう。こういう輩は彼の憎悪の対象だった。でもこの清純な容姿に彼は惚れていた。いきなり、次はこいつだという考えが頭に閃いた。だが女子アナはガードが堅そうだ。でも早朝など電車やバスの通っていない時以外はタクシーを使わない女子アナが多いのも彼は知っていた。なんて言っても会社員だからな。安い給料でこきつかわれ三十歳くらいで結婚してフリーになるのは目に見えている。でもフリーになったらたいてい仕事は激減する。そんなに世の中は甘くない。バラエティに出たら面白いことを言い続けなければ次はない。でも高給取りの旦那が食わしてくれるからそんなのはどうでもいいんだ。奥様の趣味気分で出て見ましたでいい。女子アナはお局がたくさん居座っているから、三十を過ぎて容姿が衰え始め、出番が少なくなると会社に居づらくなる。技術があるわけでもないから出ていかなければ新人が取れないんだ。皺の出始めた下手くそな女子アナを視聴者は求めない。会社もそれをよく知っている。彼は或るよく声のひっくり返る、ぶりっこキャラの抜けない女子アナを思い浮かべた。ああなると悲惨だ。当人がそれをあまり自覚してないのが哀れだ。だがこの女子アナは違う。フレッシュで生き生きとして笑顔を振りまいている。こんな肉を豚は求めている。もちろん豚に食わせるのはさんざん楽しませてもらってからだ。彼は頭の中で作戦を練り始めた。早朝番組に出ているわけじゃないから定時出勤だろう。ハイヤーのお迎えがあるわけじゃない。だが人ごみの多い六本木でどう拉致するかが問題だった。当然帰りを狙うしかない。バスならバス停、電車なら駅からの帰り道しかチャンスはないだろう。全部の道に防犯カメラがあり煌々と照らされているわけではない。死角という暗がりは当然ある。彼はモニターを見た。小百合が茫然として座っている。彼女は邪魔だ。早々に始末しようと彼は思った。

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