真夏のコスモス
二 夢に落ちるその刹那まで(12)

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 それからの時間の経過はやけに遅く感じた。帰宅しても夕方の五時、宿題を終えて明日の準備を済ませても六時、ご飯を食べ終わっても七時半。時計は同じ速度で時を刻み続ける。  こりゃあ何かに集中した方がいいな、と素振りをしに外へ出る。  三十分ぐらいスイングを重ねていると、玄関の扉が開いた。母さんと京子さんが出てくる。 「次は来る時ちゃんと先に言ってよね」  母さんが車の鍵を開けながらぼやく。京子さんは僕を一瞥して答えた。 「だってさぁ、仕事変わって近くなって、来やすくなったじゃん。お姉の悪ガキの成長を見たいわけよ」 「人の子どもを悪ガキとか言わないでくれる? そんな調子だから、あんたはいつまでもいい相手が見つからないのよ」 「あー、またそうやって強引に結婚の話に結びつける! 秋仁も真似してるんだからあんまり聞かせないでよね!」 「外で大声出さないで。もう……自業自得じゃない」  母さんはため息混じりに車に乗り込む。京子さんは後部座席に荷物を置いて、助手席のドアを開けた。 「秋仁、また試合観に行っていい日連絡してね」 「うん、気が向いたら」 「可愛くないやつ」  京子さんはにやりといたずらっぽい笑みを浮かべ、じゃあね、と軽く手を振る。僕は手を上げる代わりに一度スイングして、遠ざかる赤いテールランプを見送った。曲がり角に差し掛かり、ブレーキランプが灯って赤の光が強くなる。  赤。アウトカウントの色。止まれの色。ポストの色。東京タワーの色。コスモスの色――。  赤は、人を立ち止まらせるのだろうか。  凡打を打った時を思い起こす。一塁ベースに到達するまでにアウトになってしまい、少し虚しいベンチへ向かう足取り。カウントを見ると、バッターボックスに立つ前よりアウトカウントが一つ増えている。状況が状況だと、二つ増える時もある。  そうなった僕は、それ以上先に進めない。  一塁ベースを踏んでからしか二塁ベースに行けないように、アウトになった僕は突然三塁に立ったりはしないし、ベンチに戻るしかない。  信号も赤で立ち止まるし、ポストも立ち止まって手紙を入れる。東京タワーはよくわからないけれど、コスモスだってつい最近立ち止まって見たばかりだ。似たようなものだろう。 赤――。  スイングをしながら、思考はばらばらに散らばる。集中しなければいけない手前、あまり好ましい状況ではないが、頭の中にある赤い雑念はなかなか消えてくれない。  そもそも、僕が赤色を好きに理由は覚えていなかった。小さい頃からだったから、単に思ったまま、感じたままにただ好きでい続けただけかもしれない。  赤。それは色か、文字か、具体的な何かの物体か。僕は赤で何を思い起こすのだろう、と考え、どうしてもアウトカウントが出てきてしまう。僕の中の、赤――。  花の微かな香りに気が付くように、ふわりと我に返る。  暑い。暑かった。気付けば汗だくだった。どれぐらい時間が経っただろう。  今日はもう終わりにしよう、と僕は最後に一回スイングして、家の中へと戻る。  すぐに風呂に入り、上がってテレビを見ながらエアコンの利いたリビングで少しだけ涼み、やがて自分の部屋へと入った時に、河瀬からメッセージが届いていたことに気が付いた。今から大丈夫? という簡素な文だった。

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