真夏のコスモス
一 真夏の中のコスモス(6)

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 慣れないことばかりだった。  練習開始前の集合の合図、練習内容を監督から聞いてそれを指示、自分は自分で一生懸命プレーしながら、周りを見て、気の抜けた行動をするやつを注意する。何を言うにもだいたい大声で、基本移動は走る。  練習メニューは特に新しいことを始めるわけではなかった。いつも通りのウォーミングアップの後に、四つの班に分けてバッティング練習、ポジションごとの守備の基礎練習、全員揃ってのノック。  朝八時集合だったからか、午前中だけで随分と動いたような気がする。夏の大会直前は調整としてそれほどきついメニューではなかったので、余計に過密なスケジュールのように感じた。  僕に関しては、体力というよりも精神的にひどく疲れを感じていた。 「大丈夫か?」  部室で昼食の弁当箱を開けたところで、隣に守山が腰を掛けて訊いてきた。 「うん、まあ、何とかって感じ」  下手くそな笑みで答える。きっと周りにも感じられるぐらい、いっぱいいっぱいの所作だったのだろう。 「あんまり難しく考えるなよ。俺もいるし、みんなだってもう最上級生だ。だらしのない一年の面倒ぐらい見られる」  守山は澄ました表情で言う。彼の声は低くて安心感がある。身体も大きく、声も通ってまさに捕手向きだ。ますますなぜ主将でなかったのだろう、と思う彼は僕の予想通り、練習前の集合で監督から副主将に任命されていた。 「うちの学年で一番の問題児は唐崎ぐらいだろうしな」  守山に任せていれば心配いらない、と心の中で呟く。入学以来ずっとバッテリーを組んでいる。守備の時、彼ら二人のことは、センターのポジションから真正面に見えるので、よく観察していた。この二人が自分と同じ学年で良かった、と試合中よく思っていたものだ。  バッテリーがお互いの信頼が伝わってくる投球を作り上げてくれているのは、守っていても安心できる。他のメンバーもそうだろう。ボール球が続いても、二者連続でぽんぽんとヒットを打たれても、ピンチに陥っても、大丈夫だ、まだ点は取られていないのだから、という思いが心に余裕をもたらしてくれる。大丈夫かなこいつ、次はストライク入れろよ、と念じながら守っているよりもずっと楽で、守備のミスも少なくなる。  そういう空気感を、僕はチーム全体に浸透させなければならないのだ。 「バッティングはお前の方が良いし、外野なんてまるでわからねぇ。お前も俺も、今はできることだけでいいんだから、ちゃんとやろうぜ」  できることだけ。その言葉は、今の僕の等身大そのもののようで、胸の中にぴったりと当てはまる響きだった。  無理に背伸びをせず、僕らしく。僕は主将でもあるけれど、神池高校の二年生でもあるし、一番センターでもあった。チームの誰よりも初めにバッターボックスに立つし、単純な広さだけ言えば一番広いポジションを守っている。  僕の役割は初回に出塁することや、誰もが打たれた、と思った打球に追いついて捕球することだ。そして、皆を率いること。  率いるとは何だろう。大きな声を出すこと。周りに声をかけること。盛り上げるような行動、発言をすること。指示を出すこと。注意すること。  そんなのは当たり前。昨夜の奈央姉の言葉が蘇る。姉の言う通り、そんなのは当たり前だった。  では、僕のできること、とは一体何だろう。  何だろう、何だろう。そんなどこにも行き着かない考えばかりが血のように全身を巡る。思考のループに溺れてしまいそうになる。  未だ確固とした何かを掴み取ることができず、宙に浮いているような、雲の上にいるような感覚で時が過ぎていく。  一生懸命練習に取り組んでいると、いつの間にか昼休憩で、いつの間にか練習が終わっている。ぼんやりして大事な練習時間を無駄にしないように、と意識はしているものの、日々の実感は水を掴むように曖昧だった。  そうして気が付けば、練習試合の日だった。新チーム初戦、僕が主将になって初めての練習試合だ。  ホームベースを挟んで両校の部員が並ぶ。一番端っこに立つ僕は、真正面の相手チームの主将をじっと見つめる。緊張した面持ちだった。彼も主将になってまだ日は短いはずだ。そう慮る僕も、大概似たような表情をしているのかもしれない、と思うと緊張も少しほぐれたような気がした。 「お願いします!」  真夏の暑さを割るように、僕は大声で言った。  主将として、先頭バッターとして、僕は役割を果たさなければならない。今日は試験のような日だ、と前々から思っていた。  自分のできることを発揮する時間。  打席で足場を作りながら思う。  目的は勝つこと。それだけは決して見失わないように。こだわり抜いて。 「プレイボール!」  まずはこの夏を、戦い抜く。

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