真夏のコスモス
一 真夏の中のコスモス(13)

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「よっ、野球小僧」  リビングから聞き慣れない声がして、手を洗いに行こうとした僕は動きを止めた。  奈央姉は僕より先に帰ってきていたが、彼女の声じゃないのは一瞬でわかる。  聞き慣れない、というのは、この家では滅多に聞かない、ということで、決して誰の声かわからないというわけではない。  同時に、以前奈央姉がオフの日を訊いてきた件で、何かと不審に思っていたが、これで合点がいった。そういうことだったか。瞬時にあれこれ想像が巡る。まず思い至ったのは、明日の予定だった。 「お疲れさーん。真っ黒だね。焦げてるねぇ」 「何しに来たんだよ、おばさん」 「おばさん言うな!」 「叔母じゃん」 「くっ、生意気な口を……!」  手洗いうがいを終えた僕は、リビングでくつろぐ背の高い女性に言い放った。ダークブラウンの髪は短く、すらりとした後ろ姿はまだ二十代でも通用しそうな風貌。僕が赤ん坊の頃からよくうちに来て、可愛がってもらっていた第二のお姉さん的存在である。ただ最近は絡みの面倒臭さに年々磨きがかかっている。志賀京子。僕の叔母だ。  余計な話が始まる前に、すぐにでも自分の部屋に駆け込みたかったが、いかんせん腹が減っていた。  一人だけ遅い夕食をいただくために、椅子に座ると向かい側に京子さんが座った。僕は冷めた夕食を電子レンジで温め、目を合わせないように気をつけながら食べ始める。 「ねぇ奈央ちゃん。この子反抗期?」 「疲れてるんでしょ。一晩寝たら元気になるよ。だから連れてっていいよ」  不穏な言葉が耳に入ったが、聞こえないフリをした。 「秋仁、明日コスモス園行くよ」  回りくどいことは一切せず、単刀直入に物を言う姿勢は、この人の唯一の尊敬ポイントだった。わざわざオフの日に合わせて来たのだ。僕に用がないわけがない。  僕はご飯がまずくならない程度に最大限の嫌そうな顔をする。 「嫌だよ荷物持ちなんて」 「コスモス園で服は買わないよ」 「やっぱりそのつもりなんじゃないか」  幼い頃からよく行っていたコスモス園のすぐ近くに、ショッピングモールがある。夏のセールでもやっているのだろう。僕にとっては、わざわざ休みの日に疲れに行くようなものだ。 「桜乃ちゃんも行くって」 「え? マジで? あいつ何考えてんだよ……」 「秋仁に荷物持ってもらうってさ」 「絶対行かねえ」 「やだ、嘘嘘、そんなことさせないって。私も自分で買った物は自分で持つから。神に誓うから」  また随分と安い誓いだな、と思ったけど口には出さない。 「アイスとか奢ってあげるからさ、涼みに行こうよ」  子どもじゃないんだから、と思っていよいよ正式な断りを入れようとしたその時、ケータイが震えた。長い。どうやら電話のようだ。  部員の誰かかと思って見てみると、桜乃だった。食事中だし、どうせ用件もわかってるし、と思って机の上に置く。着信はまだ続いている。  しかし、この何気ない動作が迂闊だった。オフ前夜ということで、僕も疲れていたのかもしれない。 「あーもしもし、桜乃ちゃん?」  米粒を吹き出しそうになった。後悔先に立たず。後の祭り。覆水盆に返らず。意味もなく言葉だけ浮かんでは消えていく。  京子さんは僕の携帯電話を取って、上機嫌な声で話し始めた。 「うん、そう、ご飯食べてる。え? 明日? 大丈夫、行くって。あははは、そう、超嫌がってた。どうせ予定ないんだしいいのにねぇ。予定? ないでしょ、確認してないけど」  ひどい言われような気がした。僕は努めて平静を装って食事を続ける。 「まあそんなことはいいや。どう、最近? 頑張ってる?」  それにしても、と僕のケータイで電話する目の前の女性をちらりと伺う。  女子高生のノリみたいに話せるなんて若いな、と高校生のくせに思う。母親と七つ年の離れた妹とはいえ、もう三十代も後半に差し掛かる年齢だろうに。  まあ見た目は正直若々しい。それは素直に認めるのだが。

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