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「キャプテン、ですか?」  その時の僕の心境は、日々のふとした瞬間に、唐突に蘇る。  例えば、駅のホームで電車を待っている時。踏切が開くのを待っている時。それは、じっと立ち止まっている時が多い。  あと多いのは、ぼんやり空を眺め、信号待ちの時、とか。 「おい、何ぼーっとしてんだよ」  こうして背中を叩かれて信号が青に変わっていることに気が付くのは、一度や二度のことではなかった。 「待望の初陣なんだから、頼むぜ」  誰かと思えば、体格の良い守山だった。どうりで叩かれた力が強く感じたわけだ。  僕は先を行く彼の隣に追いつき、横断歩道を渡りきってから返事をする。 「それは、お互い様だろう」  声が震えなくて良かった、と思った。強く聞こえただろうか。胸の中は不安でいっぱいだけれど、上手く隠し通せただろうか。僕はそっと息を吐く。  それから、僕らは一言も交わすことなく歩き続けた。いつの間にか風に熱が感じられなくなって、夏の終わりを頬で感じる。  真っ白な雲も少し遠くなったような気がする。空を見上げる、なんて今思うと久しぶりかもしれない。青いなあ、などと当たり前のことを思う。  日差しはまだ強かった。こればかりは夏の名残りのように、僕らの真っ黒に焼けた肌に降り注いでくる。こういう暑さと涼しさのちぐはぐな同居も、季節の変わり目を感じさせる。  秋か、という言葉が口から漏れ出てしまいそうになった。そりゃそうだった。秋に決まっていた。僕らは今日、秋を戦うのだ。 「練習通り、やってきたことをやってきた通りに出そう。そうすれば勝てる。絶対に勝てる。勝つぞ!」  僕は主将らしく円陣の中心で叫ぶ。思い返せばあっという間だった夏休みの練習の様子が脳裏に蘇ってきて、何だか胸が熱くなる。  僕が主将になって早一ヶ月と半月が過ぎていた。  神池高校野球部新チームの公式戦初陣となる、秋の地区予選初戦で、先頭打者の僕は左打席へと向かう。  簡素なものではあったが、バックネット裏に置かれたスピーカーからアナウンスが流れて、おお、と反応する。秋の地区予選なのに、わざわざ用意されているようだ。  僕は打席に入る前に一回スイングをする。気持ちはすっかり高ぶっていた。グラウンドで名前が読み上げられる気分も、悪くない。 「神池高校の攻撃、一番、センター、近江くん。一番、近江くん」  直後、主審からプレイボールのコールがかかる。  相手ピッチャーが僕を親の仇か何かのように鋭く睨んでいた。そうしてキャッチャーのサインに頷くと、大きく振りかぶり、白球を放つ。  自分でも驚くほど、僕は冷静だった。  もっと緊張したり打ち気にはやってしまうかと思っていたのに、意外にも状況を客観視できそうな冷静さを保っていた。  ボールもよく見える。相手選手の守備位置も確認できた。チームメイトの応援の声もしっかり耳に届いている。  気が付けば、僕の身体は条件反射のように思考する間もなく、いつの間にか動き出していた。 続いて聞こえてくる澄んだ金属音。  それはまるで、何かの始まりを告げる神聖な合図のようだった。  一緒にこの悩みや不安も振り払ってくれればいいのに、と他人事のように思う。 「ナイスバッティン、アキ!」  しかし、ツーベースヒットを放ったぐらいでは、僕の気持ちは楽にならない。この秋空みたいに晴れ渡りはしない。  僕はキャプテンなのだ。このチームの、みんなのキャプテンなのだ。  勝つまでこの重荷のような思いは消えない。戦う身として、消してはならない。  そこでふと、二塁ベース上で疑問が沸き起こった。どうしてこんなタイミングで、と思ったが、それは僕の心を貫くように駆け抜けていく。  勝つまで消えない、と思ってはいるけれど。  勝てば、消えるのだろうか?

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