真夏のコスモス
一 真夏の中のコスモス(1)

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「キャプテン、ですか?」  驚きのあまり、同じ言葉を二回繰り返してしまった。どうしてここまで驚けたのだろう、と我ながら疑問に思う。全く予想していなかったかというと、そんなこともないはずなのに。  三年生の引退が近付くと、次期主将は誰々だろう、と何かと二年生の中だけで意見が飛び交う。性格的に、守備のポジション的に、実績的に、能力的に。各種の要因を総合して、このチームを率いるのは誰が相応しいか、三年生の耳に届かないよう細々と議論は繰り広げられていた。  その中に、僕の、近江秋仁の名前が挙がってはいた。  しかしどこか現実味を感じなかったというか、僕よりもっと相応しい人物がいるだろうとか思っていて、正直自分は候補者の端役に過ぎないと感じていた。 「受けてくれるか?」  無論、こうして面と向かって監督から指名されるなんてことは、三年生が引退した三日前まで思いもよらなかった。  断る、という選択肢はなかった。体育の教師でもある村野監督に教員室へと呼び出され、一対一で話をしてもらっているのだ。言われた限りは、という思いはあった。  考えさせてください、という返答はどうだろうと、激しく思考が回転する脳内で選び出された言葉だった。同時に、そんな悠長でいいのか、という思いが出かかった声を遮るように浮かんできた。新チームはもう今日から始動しているのだ。考えて引き延ばしても、誰のためにもならないような気がして、結局口にすることはなかった。  引き受けます。言うのは簡単そうに思えた。しかしこんな消去法みたいな方法で結論を下しても良いのだろうか。この一言は、僕の高校野球を、そしてみんなの高校野球を左右する一言になる。  断ります。と言うのも簡単だった。だが十年間野球を続けてきたプライドみたいな何かが喉に引っかかり、声にはならない。  僕にもできるのではないだろうか。監督は僕に可能性を見出してくれているのではないだろうか。そんな思いが流れ星のように現れては消える。  堂々巡りに陥りそうだった。教員室の空調は涼しくて快適なのに、真夏にそぐわない気持ちの悪い冷や汗が滲む。  監督の目は、僕のいずれの決断でも後押ししてくれそうな優しい目だった。普段灼熱のグラウンドで怒鳴り散らしている様子からは想像のつかない、体育の授業で僕たち学生に見せているような、柔和な表情だった。 「……理由を訊いてもいいですか」  絞り出すように放った声は、顔なんて見なくてもその迷いが感じられるほど揺れていた。でも、迷っているということは、と自分の深層心理に気が付く。  監督は椅子に深く座り直し、改めて僕と真正面から向き合う。僕はなんだか胸中を察せられたように感じて、ふっと視線を外す。  迷っているということは、納得できたら引き受けるつもりがあるということだ。今までの野球人生で主将を担ったことはなく、小学校、中学校共に副主将だった。憧れ、ではないが、主将という立場に魅力は感じていた。この提案をされたということは、僕が十年間、野球と真摯に向き合ってきたことの証なのだろうか。それを評価してもらえたということなのだろうか。  視線を戻すと、まるでそれを待っていたかのようなタイミングで監督は告げた。 「お前が一番、みんなを見ているからだ」  みんなを、見ている――。  それは曖昧な意味合いのように思えたが、その分いろんな意味を含んでいるようで、思いの外僕の胸にすとんと落ち着いた言葉だった。  チームスポーツなのだから、他人と協力し合って行うのは当たり前だった。今更、周りを見ているなんてことは特別でもなんでもない。  それでも、僕にとっては嬉しい理由だった。  先頭を切って皆を引っ張るとか、このチームでずば抜けて能力が高いとかいうわけではない僕に、何かができそうだと思わせてくれる理由だった。  ああ、と観念したように思う。冷や汗はいつの間にか引いていて、天井で空調機が僅かにスイングの音をあげている。  静かだった。この部屋には僕と監督しかいない。  監督に負けた、わけではないのかもしれないけれど、僕はもう自分の直感に正直になる他ないような気分になっていた。  意を決する。御託はいらない。  監督の期待とか、チームのこととか、関係ない。関係なくなっていた。  このたった一言を発する直前のこの瞬間の気持ちは、おそらく僕が引退するまで、絶対に忘れないだろうと思った。 「キャプテン、やります」  僕がやりたいと思ったから。  ただそれだけだった。

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