真夏のコスモス
三 一枚の葉で知る(10)

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「朝からリラックスしているようで大いに結構。キャプテン、今日の目標は?」  監督が口を開くと、水を打ったようにしんと静まり返る。蝉の鳴き声の中、僕は力強く答える。 「完封コールド勝ちです」 「よしわかった。唐崎、異論はないか?」 「もちろんです。コールドなら五回でいいので、必ず完封します」 「守山」 「大丈夫です。最低限の球数で済ませます」 「篠原、五回コールド勝ちには何点必要だ?」 「十点です」 「近江」 「はい」 「二十点取れ」  蝉の鳴き声が一際大きくなったように感じた。じわりと首筋に汗が滲む。  空気をいっぺんに変えるその無慈悲にも聞こえる強烈な言葉は、僕らの気持ちを上げるには十二分だった。こういう一言を、僕も口にできるようになりたい。  ただ純粋にそう思えるぐらい、その一言は僕達に効果的だった。  僕達は今から、二十点取る。ゼロ点に抑えて、五回コールド勝ちを収める。それはもはや決定事項だった。 「いくぞ!」  僕達は闘志溢れる声をあげて、ホームベースの前に整列する。試合開始まで、珍しく私語がほとんどなかった。アップを終え、ベンチで素早く準備して、唐崎を始めみんなの調子を聞き回っていると、すぐに試合開始前になっていた。  相手投手が投球練習を行い、その間に僕は打席へと向かう。二十点取るには、まず僕が出塁しないと。  タイミングを合わせて数回スイングする。力んで振る必要はない。ボールはわざわざやって来るのだから、その力も利用して振り抜けばいい。  初球。初回の一番打者は、とにかく初球を重要視する。先攻の場合は特に。 「出塁だぞー! しっかり振り切れよー!」  自陣のベンチから声が飛ぶ。相手ベンチからは投手を盛り立てる声が聞こえる。周りの音がよく聞こえる時は、僕は落ち着いている。集中したら音が聞こえなくなる人もいるらしいが、僕は同じように聞こえ続ける方が安心できた。  内野も近く感じる。実際に近いわけではないだろうが、転がせば外野に抜けていくんじゃないかと思うほど近めに感じる。こういう時は、調子の良い時だ。逆に内野が遠く感じると、強い当たりでも捕られそうに感じて、実際それほど良い打球が飛ぶことは少ない。  状態は良かった。主観的にもそう思う。ただ、一つ鉄則。調子の良い時ほど、調子に乗らない。  相手投手がセットポジションに入った。ランナーがいなくても振りかぶらないタイプのようだ。  やがてストライクゾーン真ん中高めにきた直球を、無意識のうちに振り抜いた。バットとボールの当たった感触がなかった。いや、厳密にはもちろんあったのだろうが、想定以上にずっと薄かった。  捉えた、と感覚的にわかった。この感覚は、空振っていなければ、真芯で捉えた証拠だった。  秋空、というにはまだ早いようにも思えたけれど、清々しい青空に向かって、白球が僕の手元から飛び出していくところを目で追いかけた。まだ熱の残る晩夏の風に乗って、ボールはみるみる伸びていく。  綺麗だ、と思った。足は一塁ベースへ向かっている。  綺麗だった。目を見張るほど澄みきった空も、響き渡る金属音も、その後に白球が描く放物線も、すべて。  この日から秋、みたいな明確な日はないけれど。  それは、秋の始まりの合図のように思えた。  新しい季節が、幕を開けた瞬間のように思えた。

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