真夏のコスモス
一 真夏の中のコスモス(14)

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「なんで黙ってたんだよ」  食器を下げながら、奈央姉にぼやく。 「だって先に言ってたらあんた絶対ほら……予定は、入るか知らないけど……まあ何らかの理由付けて逃げるじゃん?」 「そりゃあ、別にどっか行きたいとか思ってもなかったけど」 「でしょ? あんたから誰か誘って遊びに行くなんて考えにくいし」 「そうだけど……」  よく思うのだが、姉は叔母に似ている。口調というか、雰囲気というか、徐々に似てきているように感じる。母はもう少し大人しい人間なのに。印象が強烈なんだろう。結婚できないなんてぼやくようにならなければいいが。  ちらりと京子さんを見やると、鬼のような形相で睨んできた。心の声が漏れたのだろうか、僕は慌てて逃げるようにリビングを後にする。自分の部屋で野球ノートを書こう。京子さんがやって来ないうちに。  ケータイは別に取られていても構わなかった。どうせ見られて困ることなんてない。 「さて……」  椅子に座って、一息つく。今更、やっと家に帰ってきた感覚だった。  今日は早く寝られるだろうか。寝かせてくれるだろうか。僕の話とか聞かれまくって、京子さんの愚痴とか聞きまくることになりそうだ。落ち着いているうちにノートは書いてしまわないと。  それからしばらく、今日の練習を振り返っていると、ふと眠気が訪れた。一通り練習を思い出して気付いたことを記し、振り返りってこういうのでいいのだろうか、とそもそもの話に思考が立ち返っていたところだった。  そんなことは今考えても答えは出ない。毎日考えて、少しずつ改善させていく。練習と同じで、所詮は反復なのだ。 「素振りすっか……」  そういえば、京子さんはいつまで電話しているのだろう。さすがに終わっているだろうと思ってリビングへ戻ると、電話は終わっていたようだが、僕のケータイを使ってゲームをしているようだった。  もう何でも良かった。一時間ほど素振りを行い、風呂に入ってさっさと寝る準備に取り掛かる。素振りに集中して、風呂でリラックスしていたら、京子さんが来ていることなんて忘れてしまいそうだった。できれば忘れたかった。が、叶うわけもない。  部屋をノックもせず入ってくる、その扉の開く音で嫌でも思い返される。 「あーきーひーと。起きてる?」 「寝てる」 「寝ながらストレッチできるってすごいじゃん」 「今度は何の用ですか叔母さん」 「もう、叔母さんって言わないの!」 「だって叔母さんじゃんって」 「響きの問題!」  こんなやりとりを僕が言葉を話し始めてから何度繰り返しただろう。卑怯なことにまだ幼い僕に呼び方を覚えこませていて、中学生に上がるぐらいから何度も覆してやろうと実行していたが、何せこの人は折れない。不屈の精神で叔母さんと呼ばせないそのモチベーションは、もはや何から生まれているのかわからなかった。意地かな。そうだとしたら、この人もいよいよ年だ。 「京子さん」 「なになに?」 「四捨五入って知ってる?」 「知ってるけど、喧嘩売ってんの?」  凄まじく過剰な自意識だった。多分年のせいだ。この夏に三十五歳になったらしい。アラフォーだ。 「ケータイ壊すよ?」 「散々借りといてそりゃないよ」 「じゃあ、明日一日中私に付き合うの刑」 「男子中学生みたいな言い方をするな」 「若いでしょう?」  無理がある。もう寝たい。飲んでるのだろうか?  厄介だ。怒らせて部屋から追い出す作戦だったのに。奈央姉の部屋に行ってくれないだろうか……。 「桜乃ちゃん、明日久しぶりだなぁ」 「そういや何で桜乃の連絡先知ってんの?」 「奈央ちゃんに聞いた」 「なんでまたわざわざ」 「久々にね、会おうかなーって」 「それ、僕必要?」 「貴重な男手の中で一番お手軽だったから」 「本音はもう少し隠した方がいいよ」  ケータイを返してもらって、布団に入る。もう寝るから、疲れたから、などと適当なことを言っていると、予想に反して京子さんは素直に扉の方へ向いた。  しかし、扉を開けながら、思い出したように振り返る。 「聞いたよ、あんたキャプテンになったんだって?」  今日一番の真面目なトーンだった。僕はもう寝転がっていて、背中を向けながらうん、と答える。  まだ続くかな、と思って待ち構えていたら、部屋の電気を消す音が聞こえて辺りが暗くなった。京子さんはそれ以上何も言わず、部屋を出ていった。  珍しいな、と睡魔に飲み込まれながら頭の片隅で思った。寝転がると急に眠たくなってきた。京子さんの最後の声色が、何度か頭の中で繰り返される。何だったんだろう……。  考えているうちに眠気はどんどん僕を覆い尽くしてくる。京子さんの声だけじゃない。オフ明けの練習がだらけないようにするには、とか明日も素振りするやつは部員の中で何人いるだろうか、とか考えることはたくさんあった。  ぶぶぶ、とケータイが三回震えて、夢に沈む一歩手前のところで現実に引き戻された。誰だよ、と明るい光を見ると、永原桜乃の名前。メッセージは、明日よろしくね、だった。あとはよくわからないメッセージ性のスタンプと、おやすみのスタンプだった。  何がよろしくねだよ、と寝ぼけた頭で思う。  お前もどうせ、僕をこき使うんだろう……。

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