キートは国連本部にあるPKO局のオフィスに行くと、首席事務官に面会を求めた。今日訪問する ことは予め伝えてあったので、すんなりと通された。 事務官のオフィスに入ると、国連事務総長も同席していてキートは面食らったが、もっと驚いたのは その人物が初対面の相手だったことだ。その人物は、かつてキートが知っていた韓国人の国連事務総長 ではなかった。黒光りする肌は骸骨のように細く、挑戦するように突き出された顎を持つウガンダ人で、 上空から全てを俯瞰する鷲のように鋭い眼をしていた。 「前事務総長の急死により、私が後任に選出されました」 相手が名乗ると、キートは条件反射で敬礼した。 ―――しかし、あの殺しても死にそうにないタフな韓国人が急死とは……一体何があったのだろう。 訝るキートに、事務官は自殺だと教えてくれたが、事務総長に言動を目で制止され、わざとらしい咳払いを すると黙り込んでしまった。 「まずは、長年に及ぶ国連軍事監視要員の任、並びにルシンダにおける政治オブザーバーの任務、ご苦労様 でした。あなたの退役願いは先月付けで受理されました」 それを聞いたキートは根耳に水とばかりに驚いた。なぜならキートは退役願いなど出してはいなかったからだ。 今日ここに来たのは最後の報告をするためで、おそらく脱走罪で拘束され、軍法会議にかけられるであろうと 覚悟していたのだ。 「ルシンダ大統領も、あなたには大変感謝しておりました。あなたがあまりにも優秀だったので、後任の オブザーバーは苦労しているようです」 事務総長はそこで言葉を切ると、同席の事務官に目配せした。事務官は黙って頷き、金庫から書類の束を 出すと、デスクの中央に置いた。それは、機密保持契約書だった。 サインするように言われたキートは書類を手に取り、内容を確認した。そして、読み進めていくうちに 合点がいった。なるほど、考えたものだ。そこには、キートがルシンダに駐留した5年間を新聞社や雑誌社、 または、いかなるメディアにも暴露しないこと、マスコミのインタビューにも一切応えてはならないこと、 自伝や手記の出版禁止などの内容が盛り込まれていた。 ルシンダで起きた大虐殺の背景について、口を閉じていろ――― つまりは、そういうことだ。この書類にサインしなければどうなるか、容易に想像がついた。おそらく、 自分が出したとかいう退役願いは破棄され、脱走罪で軍事刑務所行きになるだろう。敵前逃亡罪やら 軍事機密漏洩罪やら、とにかく何でもいいから加味されて、一生刑務所に閉じ込められるに違いない。 下手したら、暗殺される可能性すらある。 だが、さらに読んでいくと、自伝や回顧録を執筆した場合、発表は今から40年後なら許可するとあった。 ……これはいったいどういうことだろう――― 少し考えて、思い当たった。ルシンダの虐殺に深く関わり、内乱を扇動した人物たち。今は故国を脱出し、 米国に亡命してきている政治家たちは50代、60代の男たちだ。一番若い政治家でも、40年後には 90歳を越える。つまり、彼らが全員死ぬのを待てということだ。 キートは唇を皮肉に歪める。まるで、ケネディ大統領暗殺に関する全資料の公開を2039年に定めた ウォーレン委員会のやり口のようだ。 キートは書類にサインすると、PKO局を後にした。
コメントはまだありません