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 老人は黒いテンガロンハットを胸に当て、前かがみの姿勢でキートに頭を下げた。それにしても、 ファーストネームにミスターを付けて呼ばれたのは初めてだ。 「どうかされましたか?」 「いや……ラザールはまだ帰ってきていないんだな」 「はい、もうまもなくお帰りになるじゃろうと思いますが」 「そうか」  キートは何食わぬ顔で、ずらしたキャビネットを元の位置に戻した。 「ミスター・キート、地下が気になりますか?」 「ああ、気になるな」  キートは正直に頷いた。 「地下はマッド・マンの研究室になっておりますが……しかし、好奇心は猫を殺すといいます。 あまりお勧めはできません」  老人は顔色を曇らせて言った。脅されているような感じは受けなかった。純粋に、キートを気遣い、 地下室から遠ざけたがっている様子だった。  ―――塔に運ばれた死体は、はらわたを抜かれてホルマリン漬けにされているって噂だ。  キートの脳裏に、墓地で出会った少年、リコの言葉が蘇ってきた。 「俺を研究室に通したら、あんたはラザールに怒られるのか?」 「それはないでしょう。しかし、マッド・マン自ら説明したいこともあろうかと思いますし。わしには 訊かれても、科学のことはとんと解りませんから―――」  困り果てたように言う。 「そうだな、今はまだ止めておこう」  キートがそう言うと、コーベットは目に見えて緊張を解いた。 「じき夕食の時間です。家内が今夜のメニューはムール貝のクリームスープとチキン・フランセーズだと 言っとりました」 「そいつは美味そうだ」  何気ないふうに話しながらも、老人はキートを扉の外へと誘導する。きっと、大っぴらにはできない類の 研究施設なのだろう。キートは素直に従った。  ―――好奇心は猫をも殺す。  猫には九つの命があるが、何でもかんでも首を突っ込むと、そんな猫でも死ぬ羽目になり、いくつ命が あっても足りないという古いことわざだ。  ―――好奇心はほどほどにしておけ。  キートは自らを戒める。 ―――あまりに過ぎたる好奇心とは、身を滅ぼす原因ともなりうるのだ。 ♦ ♦ ♦  キートは夕食を早々に切り上げると部屋に戻った。心の何処かでわだかまりが残り、色々なことが 気にかかっていた。ベッドに寝転んでいると、次第にフラストレーションが溜まってきて、どうにも 消化しきれなくなってきた。  ―――まったく、何を苛ついているんだ?  キートは寝転んでいたベッドから跳ね起きると、部屋の中を無意味に歩き回った。そもそも謎が 多すぎる。質問しようにもラザールはいない。いったい、いつになったら帰ってくるんだ? 無事なら 無事で、連絡のひとつくらい寄越してもよさそうなものじゃないか? それとも、悪魔祓いとやらに 手こずっているのか?  キートの頭の中で、気味の悪い昔のホラー映画の映像が、断片的に再生される。  まさか、180度首が回転したり、天井を四つ足で歩き回る悪魔つきに返り討ちにあったわけでは あるまい。だが、あれから一週間近くになる。  キートは良からぬ想像にとり憑かれる。  それにしても、ラザールが留守にする度にこんな思いをしなければならないのだとしたら、キートには 耐えられそうにもなかった―――    

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