キートの軍人としてのキャリアは終わりを告げた。あっけないものだったが、不思議と何の未練も 感じなかった。だが、養父はざぞかしがっかりすることだろう。それだけが残念でならなかった。 しかし、キートにとって書類にサインすることが最善の選択であり、晴れて自由の身になった今、 清々しささえ感じていた。 キートが国連ビルを出て、加盟各国の国旗がはためいている通りを歩いていると、声をかけて くる者がいた。 「ナインライブス!? おい、キート、〈ナインライブスのキート〉じゃないか?」 キートが声のする方向を振り返って見ると、そこには白地のワイシャツにネクタイ姿の、いかにも ホワイトカラー然とした、長身で体格のいい男がいた。確かに見覚えはあるのだが、誰だか思いだせ なかった。 「僕だよ、ほら、クリスタルシティー訓練場で一緒だったアダムだよ」 キートは男の顔を凝視する。 ―――馬鹿マッチョのアダム? たしかに、アダムだった。何かとキートに突っかかり、ことあるごとに喧嘩を吹っかけてきた 筋肉バカだ。だが、当時の面影がまったくと言っていいほど見当たらなかった。キートの覚えている アダムは屈強な男だったが、およそ騎士道などとは遠く、乱暴で荒くれた男だった。兵士に必要な 連帯感や仲間意識もなく、誰からも嫌われている鼻つまみ者であり、傲慢で、およそ信頼できる男では なかった。こんな男とチームを組んで、援護するなどまっぴら御免だと、誰もが心の中で思っていたに 違いない。 だが、いま目の前にいるのは天使のように温和な顔をした男だ。 陽に焼けて引き締まっていた肌は、二枚も三枚も皮が剥けたように白くなり、代わりに薄っすらと 脂肪がついていた。だが、肌にはハリがあり、唇も血色よくふっくらとしていて、険が取れたように 人相がよくなっている。そして、今では強面を強調するようなGIカットではなく、宗教画で描かれる、 マリア様の周りを飛んでいる邪気のない天使のような巻き毛をしている。少し小太りなところがまた、 より一層エンジェルっぽい。えらい変わりようだ。キートが思い出せなかったのも無理はない。 「アダム? 本当にアダムか?」 「いやだなぁ、そんなに変わったかい?」 「ああ、まるで別人だ。声をかけられなければ、絶対に気が付かなかっただろうな。一体なぜそんな 髪型をしているんだ?」 最初の驚きが去ったキートは、警戒感を露わにする。何しろ、この男が自分に好意を持っているとは 到底思えなかった。キートに一発かまされて、男としての威信が失墜したアダムは、吠え面をかきながら 軍から去っていったのだ。気まずい過去を思えば、声をかけてきたこと、それ自体が驚きだ。 「これかい? よく間違われるんだけど、ツイストパーマをかけているわけじゃなくて、生まれつきの 天然パーマなんだよ。子供の頃はこれがコンプレックスでね。勝手に男らしくないって思ってたんだ。 見かけなんか大した問題じゃないのにね」 髪の先を指でつまみながら、饒舌に話すアダムに対し、キートはむっつりと黙り込む。 「そんなに警戒しないでくれよ。なんて言うか……僕は君に感謝しているんだよ」 「感謝?」 キートは目を眇めた。 「ああ、そりゃ、最初は君を恨んだけどね。軍を去って、しばらくはひどい状態だった。君にされた ことがトラウマになって、精神に変調をきたしてしまったんだ。酒浸りになって、精神科医にもかかったよ」 過去を思い出したのか、アダムは苦い顔をした。しばらく無言のまま、風に揺れる国旗を眺めていた。 中でも、緑、白、青の三色旗を――― シエラレオネの旗だ。 「立ち話もなんだから、コーヒーでも飲まないか?」 キートは同意した。何がこの男をここまで変えたのか、興味があった。
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