楓の誤解
楓の誤解

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 秋が深まり真っ赤に燃えるピラカンサの生垣いけがきを、じっくりと観察できる登下校の時間が楓のお気に入りだった。  ピラカンサは、樹高が三メートルから四メートルほどの常緑低木で、濃緑色の鋸歯きょしがある葉を持つ。春には白色の五花弁を咲かせ、秋には指先でつまめるほどの赤い球形の果実をたわわに実らせる。枝のとげに気を付ければ盆栽や生垣として楽しめる。  楓が図書室で読んだ図鑑によれば、ギリシャ語で炎を指す【ピル】と、棘を意味する【アカンサ】から名付けられたとされ、和名では常磐山査子ときわさんざしと呼ばれる。実には青酸系の毒を持つ。人目を引く美しい植物には棘も毒も付き物だと、楓は納得したのだった。 「楓、おはよう」  背に掛けられた声で振り返れば、アリスが小走りに駆け寄って来ていた。  アリスは楓の級友で、夏休み明けにカリフォルニアから転入してきた少年だった。祖父からイギリス人の血を引くクォーターで、恵まれた容姿と人懐ひとなつこい振る舞いで周囲を魅了し、学級内で確固たる地位を占めていた。  先日、楓が自宅に招いたときに(半ば強引に上がり込んだ)アリスは自ら嘘を告白し、以降よくつるむようになった。彼がばらまく些細な嘘にも気付くようになった。しかしアリスの嘘は人を傷付けない。たわむれの域を出なかった。  全幅の信頼とはいかないまでも、楓はアリスを親しい友人として受け入れていた。 「登校ついでに人の家をのぞこうなんて良い趣味をしているじゃないか」 「誤解だよ。生垣を、ピラカンサを眺めていたんだ」  楓は反論を試みたが、アリスは意地の悪い笑みを浮かべていた。 「この立派な屋敷のご令嬢は、庭に面した部屋で、カーテンも閉めずに着替えるんだ。君なら知っているだろう」 「知らないよそんなこと。よく見てごらん、部屋どころか庭があるかどうかさえ生垣の隙間からうかがえないじゃないか」  アリスが吹き出した。またからかわれたのだ。楓の生真面目さは、しばしばアリスの玩具にされた。楓は眉間に不機嫌をにじませながらも、じゃれ合いの中で無邪気に笑うアリスに安堵してもいた。学校でのアリスはいつも模範的な笑みを貼り付けている。  楓を捉える深い青色の双眸そうぼうと、金糸のようにつややかな髪が揺れるのを見て、楓はピラカンサの花言葉を連想した。 「まるでアリスみたいだ」 「何が」 「ああ、ピラカンサには……」  花言葉があって、と言いかけて思いとどまる。面と向かって告げるのは気恥ずかしい。 「気になるなら図鑑を読めばいいよ」と楓は逃げを打った。たわい無い会話だ、すぐに忘れてくれるだろうと高をくくったのだ。案の定、アリスは興味なさげに「時間ができたらね」と話題を流し、以前住んでいたカナダで見たというイヌワシの話を始めた。  * * * 「あんまりじゃないか」  放課後。ピラカンサの生垣の前で、楓は興奮気味のアリスに詰め寄られていた。 「もしかして怒っているの」  楓は困惑した。アリスは持ち前の朗らかさと崩さない笑顔で自身がいかに無害であるかを周囲に知らしめているからこそ人気者なのだ。いくら話術に長けていても、容姿が優れていても、素っ気なくて癇癪かんしゃく持ちの転入生だったなら誰も近付かなかっただろう。それが今、ふくれっ面で楓の前に立ちふさがっている。級友の嫌味にも表情一つ変えなかったアリスが。怒りの矛先を自分に向けていることより、腹を立てている理由より、アリスが感情をあらわにしているという事実が楓を狼狽うろたえさせた。 「図鑑を見た」  昼休みの教室に珍しくアリスの姿が無かったのを楓は思い出した。わざわざ図書室に足を運んでピラカンサを調べていたのだ。今朝の逃げの甘さを悔やんだ。それにしても図鑑なのか楓自身の言動なのか、何がアリスをいら立たせたのかは見当も付かなかった。少しずつでもアリスの性向を掴めていると踏んでいたが、知った気になっていただけなのだと、楓は苦々しい思いに襲われた。 「確かに、僕の容姿は注目されがちさ。ピラカンサ宜敷よろし見世物みせものとしてね。けれども、鋭い棘で刺すような、毒を盛るような嘘を付いたことがあったかい」  悪意など毛頭無かったのに。どうしてこんなすれ違いが起こってしまうのか。アリスの自傷的な言葉に楓は胸を痛めた。冷たい秋風が二人の間を吹き抜けていった。 「誤解だよ。僕の言い方がまずかったんだ」 「今朝のような戯れの誤解ごっことは訳が違うんだ。分かるように説明してくれよ」  引っ込み思案な楓にとって弁明は苦手とする分野だった。ごめんと一言謝れば済むのなら迷わず頭を下げただろう。今はその場しのぎの謝罪では水に流してくれそうにない。楓の困り果てた顔に気付いてアリスはいくらか落ち着いた口ぶりになった。 「そんな顔するなよ、か弱い動物をいじめた気分になるじゃないか」 「僕は君みたいに口が回らないんだ。どうやって説明したらいいか」 「ありのままを話してくれればいい」 「ピラカンサには、花言葉があって」 「へえ、その花言葉っていうのは」 「愛嬌」 「他にもあるね」  楓は少し躊躇ったが、アリスの目には有無を言わせぬ力があった。 「……美しさはあなたの魅力」 「それが僕にぴったりだ、と言ったわけだ」 「ぴったり、なんて言ったかな」 「愛嬌があって、美しくて魅力的、そう見ているんだね」  間違いではない。楓自身の意見を抜きにしても、誰の目にもアリスはそう映っている。楓はうつむき加減で首肯した。公然の事実とはいえ本人と相対して認めさせられた恥ずかしさに逆上のぼせそうなほど身体が熱くなった。  パチン、と両頬を叩かれて楓は身をすくめた。 「君の方がよっぽどピラカンサみたいだと、僕は思うけどね」  両手のひらは頬に張り付いたまま。鼻先がぶつかりそうなほどアリスの顔が迫る。 「からかわないでよ、愛嬌も、器量の良さも、君には敵わないよ」  面食らっている楓を見て、アリスは悪戯いたずらっぽく口元をほころばせた。 「誤解だな。この頬のあかみが、あの実みたいだと言ったんだ」  頬を挟む手のひらの冷たさで、顔の火照りに気付かされた。アリスの手が離れると、また熱が戻ってくる。自分にも花言葉が向けられたのだと一瞬でも考えたのはあまりに滑稽だ。楓は自身の勘違いを棚上げにして、不機嫌に頬を膨らませてみせた。 「分かっているよ、どうせ僕なんてイヌワシみたいなものだ」 「今朝の話ならあれで終わりだよ」 「そうじゃない。今でこそ天空の王者なんて呼ばれるけれど、昔はワシより下に見られていたんだ。イヌには劣っているって意味がある。ワシになれないからイヌワシなんだ」 「それも図鑑の知識かい。楓は物知りだね」  褒められても楓の陰気は晴れなかった。よくよく考えれば、人気者のアリスと日陰者の自分が親しくしているなんておかしな話だ。釣り合っていない。  いじけたように背を丸めた楓に、アリスは腕を伸ばした。楓の細い身体を引き寄せるように肩を抱いた。 「Don't worry」 「え、」 「いつも自分に言い聞かせているんだ。大丈夫、うまくできている、心配無用、今日も嫌われていない、ってね」  アリスの華奢きゃしゃな体躯からは想像しがたい温もりと力強さだった。掴まれた肩を介して楓とアリスの体温が交わる。 「誰だって多かれ少なかれ劣等感を抱いて生きているのさ」  分かれ道に差し掛かるまで楓とアリスは肩を寄せ合って歩いた。片方が笑えば揺れが伝い、冗談めかして小突けば肩で押し返される。じゃれつくようなやり取りが、楓には心地良かった。 「そういえば、アリスは僕と同じ図鑑を読んだの」 「そうさ。わざわざ貸出票も確認したんだ」 「それなら花言葉も読んでいたんじゃないの」  アリスは『他にもあるね』と言ったのだった。知っていたからこそ答えを促したのだ。問い詰められたときには見逃していた違和感を手繰り、楓は一つの疑問にたどり着く。 「どうして誤解した振りをしたの」  アリスはピラカンサの花言葉に形容されたのだと悟ったはずだった。それでも自身を棘と毒に重ねて言い迫った理由を、楓は推し量れずにいた。アリスは楓の肩を離れて、正面に立って向かい合った。いつの間にか二人の帰途の分かれ道まで来ていた。 「それはね、君に、」  アリスが語り始めたと同時に、楓の背後から風が走り抜けた。冬の始まりを知らせる猛烈な風をまともに受けてよろめいた。アリスの唇は動いていた。かすかな声だけが楓の耳に届き、答えは風の波に押し流されていった。 「そういうわけだから。じゃあ、また明日」  アリスは逃げるように駆け出して曲がり角へと消えた。挨拶を返す間もなく、不完全燃焼な思いと共に楓は取り残された。アリスの唇とわずかな声を思い返そうと努めた。確かな答えには至れないが、予想でも立てなければ気が済まなかった。読唇術の心得は無い。拾った音を無理矢理に結び付けてみる。こじつけ作業を経て楓は結論を出した。  アリスは、こう答えたのではないか。君に、「言ってほしかったから」。  何を。全く意味が汲み取れない。楓は考えるのをやめた。空耳に等しい言葉に意味を見出そうとするのは馬鹿らしい。  風が急速に冷えていく。楓は肩に残った温度と感触を噛み締めながら家路を急いだ。

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