港から少し離れた朝市に悲鳴と破壊音が乱れ飛んでいる。 秩序など、あったものではない。 長大な暗緑色の杭が木製の置台に勢いよく突き刺さり、幾つもの亀裂が走った。 新鮮な魚や棚の破片が派手に飛び散って、地面に落ちる。 杭はいくつかの節で分かれており、建物程もある大きさの蝦の体に繋がっている。 勢い良く引き抜かれると、今度は大地に先端が突き刺さった。 一体だけではない。 ただただ建物に張り付いている大蝦もいれば、他の大蝦は店の鮮魚に鋏を突き刺し、口に運んでいる。 店と店の間、古びた道路を大蝦共が押し合いへし合い、突き進んでゆく。 群れから離れようと逃げ惑う群衆の中、脅威に向かって人の波をかき分けて者たちがいる。人々も、彼らを巧みにすり抜けてゆく。 屈強な体格、鎧に武器を携えた戦士たち。 牛、猪、犬……種族も容姿も様々なれど、一律に眦を決して、構える。 戦闘態勢、目の前に蠢く巨大甲殻類の群れ。 食うか食われるか、この世界ではありふれた光景。 前衛の戦士たちが、間近に迫る三体に向け、力強く突きを繰り出す。 力の乗った切っ先は甲殻に弾かれるも、勢いに押されたか、巨体が僅かに下がる。 好機と見て、前衛の間から別の戦士たちが走り出る。 その手に携えられているのは大木槌。 長大な鋏の攻撃をかわしながら、一帯の蝦の懐に入ると、疾走の勢いを殺さず細く長い足元に向けて勢いよく槌を振るう。 硬質なものが砕け散る轟音が連続する。 足を折られた蝦の巨体が地面に倒れ伏す。 巨体の転倒をかわした戦士たちに、新たな鋏と足が襲い掛かる。 かろうじて回避、あるいは槌で防御するも、別の蝦達がせり出してくるのを目の当たりにして、今度は戦士たちが後方に退く番だった。 数が多いうえに、まだ群れの頭が出てきていない。 じりじりと、後退してゆく。 戦士の一人、その額に汗が滲む。妙に冷たかった。 蝦の数は多い。 十体はいるだろうか。 「……怯むな!」 一回り大きな体格の、牛頭の戦士が檄を飛ばす。 太陽と青空の下、戦士たちが甲殻を鳴らし迫る群れに向けて、武器を構え直す。 轟音とともに、戦士たちに向けて巨大な質量が飛来し、影が尾を引いた。 大蝦が戦士たちを飛び越えて見事な放射線を描き、蝦の巨体が一際大きな建物に叩きつけられる。 石壁に大きな罅が入り、硝子が砕け散る。 地面に落ちた蝦は全身の甲殻が砕け散り、しばらく痙攣していたが、やがて動かなくなった。 戦士の一人が蝦の飛んできた方向を見る。 「悪い、邪魔しちまったか」 大男が巨大な木槌を持ち上げ、肩に担いでいる。 くすんだ色艶、小さな傷が無数についているが、今なお堅固な業物。 熊の頭に、服越しにもわかるぐらい屈強な肉体。 厚手の上下に、毛皮で出来たベストに身を包んでいる。 熊男の猟師は、縦も横も、とにかくでかい。 「この蝦共、揚げて食ってやるか、それとも殻ごと焼くか……。 その前に殻砕いて締めなきゃあな」 おお、と戦士たちが歓声を上げる。 大男が木槌を肩に担いて、群れへと歩いてゆく。 足取りは、のんびりと、無造作そのもの。 まるで近所に散歩に行くかのような雰囲気。 殻と石が叩き合う音が周囲を劈く。 蝦の一匹が弾かれたように飛び出した。 尾で地面を弾いて、多脚を助けとして、男の頭上に跳ぶ。 重力と重量が味方した巨体と鋏が大柄な体を寸断し潰すより早く、その長い横面に大質量が疾風となり炸裂した。 純粋な暴力が暗緑色の鼻っ柱をへし折り、奇妙な形に歪める。 緩さは力を溜めるための動作。 その一瞬、熊の目が凶暴に光ったのを、戦士の一人が見た。 一歩踏みこんで、鋏を躱した事も。 踏み込みから、清らかな雪解け水が流れるように振るわれた槌が見事炸裂したところも。かくして歪んだ流星が地上に落ちる。 甲殻と肉が潰れる、耳障りな音。 大熊が鼻を鳴らす。 傲岸不遜な狩人に、新たな二体の蝦が切り刻まんと跳躍する。 雲一つない晴天の下に二陣、漆黒の風が吹き抜けた。 戦士たちも、大熊も、跳躍する蝦を見た、というよりも、目で追いかけようとしたのかもしれない。 風の合間をすり抜け空を奔る者、その存在を感じて。 紅の線を引き、蝦共の間を通り過ぎてゆく。 一尾は巨体も、勢いも、幻だったかのように甲殻の節目からバラバラになって落ちた。 もう一尾も勢いを失って落ちる。 その目から巨大な矢が突き刺さり、頭部を貫通している。 歓声が上がる中、大熊は風が地上に降り立つのをその目に捉えた。 黒ずくめの外套姿が立ち上がる。 その下も黒一色、見慣れぬ服装は旧世界の遺産か。 脛と二の腕は黒い帯を巻きつけて、肌を見せないようにしているのか。 頭巾まで黒く、振り向いた顔には鋭い表情の獣を象りし仮面。 二刀を携えた、正体見せぬ狩人。 一瞬で蝦をばらして見せた力は並ではなく、風に巻かれてたなびく外套は、さながら黒翼か。 戦士たちの意識は黒衣ではなく、建物の上に釘付けにされている。 蝦共も騒いでいる。 軋む甲殻の雑音は吼え声に似て、向けられるのは遥か頭上。 新しく混乱の地に舞い降りたのは一人ではない。 鍛え抜かれた長身、その身を包む狩人の装束、風に巻かれて外套がはためく中、揺るぎなく弓に矢をつがえ、引き絞る。 巨大な獣の筋肉が引き締まる音というべきか、その中で狩人の表情が鋭さを増す。 空気を逆巻き、解き放たれた矢が再開を告げる。
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