沈みゆく日に照らされ、海が静かに燃えている。 茜色に彩られた景色は、帰るべき場所に抱く想いを、胸の奥底に揺らめかせる。 姿勢だけは整っていても、ぼんやり桟橋に佇んでいるのは、夕陽が朝陽ほど体に障らなかったからだ。 得体のしれない恐れに囚われる事もない。 ただ煩わしいと感じてはいる。 ログハウスの賑わいを背に受けて、風鳴の、琥珀色の左目に映るのは、暮れてゆく今日の揺らめきと、その狭間で現れては消えていく輝き。 右目は黒の眼帯で覆い隠されている。 頭には日よけ用の頭巾、黒の戦闘服の上に外套を被っている。 全身が夕陽に染まり、赤と黒の境界をくっきりと際立たせる。 この格好も外出も、風歌と開明の計らいだった。 閉じこもっていては腐る一方だというつもりだろうか。 それとも、最期とでも言うのだろうか。 あの人たちにそんな意図はなかったとしても。 自分の身は自分が一番よく知っている。 風鳴に、帰る場所などない。 呪いに屈するか、裁かれるか。 あの日から、運命は決まっている。 円族の声は、何処までも遠い。 遠いというよりも、薄く、破れない、透き通った壁を感じている。 きっとあいつも同じだろう。 それであの笑顔、あの人懐っこさ、恐れ入る。 解っててやっているのか、それとも何も解らないのか。 恐らく前者だろう。大した面の皮だ。 何を企んでいるのか解らない。 いや、考えたくない。 ただこのまま、海だけ見ていたい。永遠に。 知ってか知らずか、自らの手が、眼帯に触れている。 僅かな触感で、気が付いた。 右目。 紅く染まりはしたが、傷はついてない。 風歌。 風鳴の姉。 どこかで静かに飲んでいるのか、あるいは今も風鳴を見ているのか。 “欠けた月”で斬ったあの傷は、今も残っていた。 当り前の事実に、表情が歪む。 消える事は無い。 傷も、大切な人を手にかけた事実も。 何も戻りはしない。 彼女を目にするたびに、突き付けられる。 もう姉の姿も、見たくはなかった。 開明先生。 先生はどうなのだろう。 自分にとっては? 先生にとっては? 十年。 なんでも、両親の知り合いらしい。 助けてくれるのはそのためだろう。 ならばもっとこの場で感謝しても、いいはずだ。 喜んでいいはずだ。 口元が吊り上がろうとして、元に戻ってしまった。 それどころか、その場に屈み込んでしまう。 潮騒を聞きながら、膝を抱えて蹲ってしまう。 全身の筋肉に重しがのしかかったようだ。 「随分と腐ってるじゃないか。占ってやろうか?」 背後から、新たな声。 軋むように、顔を向ける。 錆びた絡繰りのようでもあり、使い込まれた楽器のような声。 玄族の老婆が、風鳴を見下ろしている。 ぎょろりとした目。瞳は菫色に沈み、揺るぎない知性を孕んでいる。 顔と腕には深い皺が刻まれて、肌の色は暗緑色。 瞳と同じ、菫色のドレスに、体中に装飾品をじゃらじゃらさせている。 飾り立てているという上品さには遠くても、不思議と汚らしい印象を与えないのは、装飾品全ての飾り方に通じるものを持たせているせいかもしれなかった。
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