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 雲一つない群青の空を鳥が飛んでいく。  遥か彼方の大海原を、巨大な島が横切っていく。  その威容をしかと目に焼き付けると、背伸びして胸いっぱいに朝の空気を吸い込んで、それだけで既に充たされた気がすると、少女はゆっくり息を吐き出した。潮風の匂いが心地いい。 「……風が穏やか。今日はいいことありそう」  地平線から、朝日が顔を出している。  響き渡る“暁告”ギョウコクの鳴き声を聞いて、全身に力が漲る。  命の喜びを歌い上げるような音色。  煉瓦造りの建物が立ち並ぶ区画。海に面した道で、隔てるような柵はない。  一方に行けば山、一方に行けば港。  長い道は、始まりの光に包まれ、全てが輝いて見えた。  炎と咲き誇る、少女。  燃えるような、所々はねた赤髪は色褪せたリボンで右側に纏められているが、なお収まりきらない程豊かで、強気そうな黄褐色の瞳は生気を滾らせて輝き、すらりと長い手足、整った肢体、健康的な色合いの、切り傷や火傷が点在する肌が艶を放っている。なだらかな引き締まった腹筋、その臍の下には炎となりて咆える虎の刺青が刻まれている。  スカイブルーのタンクトップにスパッツという衣装が躍動感を演出している中、右腕は黒の長手袋に覆われている。  旧世界の衣服を再現したというが、薄手の割に丈夫で、なかなかに使い勝手がよい。  ゆっくりと、右手を握り込み、胸元に持ってくると、左手で優しく包み込み、一礼。  拱手を終え、総身は自然と構えを取る。  腰を軽く落とし、両足の間隔は肩幅より少し広く取り、右足を前に出し、左膝を少しだけ曲げる。  右手を突き出し、左手は腰の横に置く。  両手の五指を虎の爪の如く、鋭く曲げる。  少女の眼差しが尖る。  呼気も鋭く、右の掌を突き出す。  続けて左の突き。  上体を引いて、力を溜めた右の突き、左の突き……。  攻めの型、守りの型を繰り返し、稽古は続く。  体を動かしいるうち、表情は生き生きと、全身にうっすら汗をかき、肌はより一層艶めいてくる。  動くごとに、速く、激しくなる鍛錬は、舞踏に似る。  躍動する度、赤髪が舞い上がる。見え隠れする耳は、雄々しく伸びた虎そのもの。 ちらほらと、早朝の散歩に出てきた人々が横目に見ながら、小さな感嘆の声を上げて通り過ぎてゆく。  舞踏は最高潮を迎え、最後の右の突きを繰り出して、静止する。  空気が灼ける、そう錯覚を覚える程の音が爆ぜ、収縮する。  焦げる匂いまで漂ってきそうな、会心の一閃であった。  残心、ゆっくりと構えを戻し、呼吸を整える。  上気した頬、満足げな微笑みが浮かぶ。  次の鍛錬に向けて、一休みするべくタオルを取ってこようと、少し離れた所の建物に向かう。  煉瓦造り、味わい深い色合いの壁際に荷物袋を置いてある。  鼻歌混じりに歩む、引き締まった足が止まる。  喧騒が耳に流れて、港の方を見る。  大勢の人々がまばらに走ってくる。  少女の方に向かって、というより港から遠ざかる様に。  猿そっくり、“猩族”ショウゾクの少年も、馬の耳を生やした“蹄族”テイゾクのおばさんも、一様に血相を変えて走ってくる様に、その切れ長の眉根が寄せられる。 「あのー、すいませーん。港に何か出たんですかー?」  よく通る様におおらかな感じで声をかけると、ただ一人、猫頭の、上等な和服を着た女が振り向いた。  同じ“円族”エンゾクか。 「“礫殻”レキカクの群れよ! “小島”が追い込んでしまって、陸に上がってきたのよ!  あなたも早く逃げた方がいいわ!」  それだけ言って、走り去ってしまった。  ありがとー、と女性を見送るのもそこそこに、少女の瞳が再び港の方角へ向けられる。  笑みに象られたその唇から、虎の犬歯が覗いている。 「まさしく朝飯前ってところか……それにさっきの“小島”、噂が本当なら当たってみる価値はあるかもね」  言い残して、少女は港へと駆け出す。  それなりの距離を走って、血相変えて戻ってきた。 「忘れ物は勘弁、っと!」  建物に立てかけてあった荷物袋をかっさらう様に掴んで、再び駆け出した。

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