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 空気が停まっている。  もはや家屋の形を留めていない、開け放たれた残骸と化した教会に、血臭と退廃が満ちていた。  超暴力の残り香。  かつて在った三人は倒れ伏している。  そのうちの一人は、命の残り火すら消えかかっている。  新たに加わろうとした四人もまた同じ末路を辿っている。  そして、一人の姿は何処とも知れず去っていた。  血の臭い、力の臭い、絶望の臭い。  瘴気が淀み溜まる中、ふわりと。  風が吹いた。  僅かに、しかし確かに、廃墟のわだかまりにほころびを作った。  小柄な、神官の少女が踏み出したかと思うと、血だまりに倒れ伏す女の下へと参じる。  自らの巫女装束が赤く汚れるのも構わず、壊れそうな肉体をそっと抱きかかえる。  仰向けにすると、かろうじて息はあるようだった。  覆いはもう跡形もなく、右腕が露出していた。  火傷と傷だらけの、鍛錬と呼ぶにはあまりに壮絶な、戦の証。  これを解放して、なお惨敗した。 「烈、応急処置の道具を。風香様は周囲の警戒をお願いできますか?」 「おうよ」 「任せなさい」  烈が風祈の傍らに立ち、カバンから道具を取り出して、処置を始めた。  風祈もそれを手伝う。  風香は三人を守るように寄り添うと、腕を軽く振った。  しなやかに着物の袖が揺れたかと思うと、光が十線、閃いた。  右手に五振、左手に五振。  刀と見間違うほどの、長大な白銀の爪。  見た目の物々しさを裏切って、サラサラと、ささやかな音を立てる様は粉雪の中、乱反射する陽光のようですらある。 「二人は引き続き円族の治療を」  風祈と烈風は流環への声掛けと、手当を続けながら、族長代理の口調に、僅かなブレを感じ取っていた。  風香は今、動揺している。  この円族をここまで破壊できるのは、並大抵の者ではない。  風鳴の中に、どれほどの魔物が潜んでいたのだろうか。  今となっては、もう見当もつかない。 「……ッ」  包帯を巻いている時だった。 二人の前で、流環の身体が僅かに動いた。 「アンタ…………メイ…………?」 「妹の風祈です」 「…………よく、見えない…………」 「今はじっとしていて。じきに救けが来ます」 「救け……風鳴は……?」 「もう喋らないで」 「……アタシは……メイを……守ろうと……」  言いかけて、激しく咳き込んだ。口から血が溢れ出す。  飛沫が風祈の顔に飛び散っても、微動だにしない。 「風祈!」  血の呪いは伝染する。忘れたわけではあるまい。 「大丈夫だ……」  烈風が振り返ると、四本腕の異形が三人を見下ろしている。  仮面と同じく、人の髑髏を想起させる昆虫の顔。  刺々しい甲殻に包まれた、暗緑色の肉体。  強靭な太ももから先、逆関節の細長い脚。跳躍力はどれほどの物なのか。 「先生……なのか?」 「風鳴の呪い、もはや移る事は無い……そういう薬を作った。彼女の手当ては私が引き継ごう。決して死なせはしない」  開明もまた、あちこち傷付き、甲殻がひしゃげ、体液がにじみ出ている。  満身創痍でも、揺るぎない姿。  流環の身体を、優しく抱き留める。 「友達……なりたかった……」 「ああ。今はゆっくり休め」 「…………風祈…………妹……」 「……?」  風祈が流環の下へとしゃがみ込む。  円族の声はかすれ切っていた。息も絶え絶えだ。 「鳴声に……気を付けろ……すべて見失う……」  言い終えて、咳き込む。先程より弱々しい。 「センセ、風歌……ゴメン……」  傷だらけの顔、瞼がゆっくりと閉じられる。 「風歌……使ったんだな」  烈風は巨大な狼の下へと駆け寄り、容態を診ている。  風香は一同に背中を見せたまま、周囲の警戒に専念してくれている。  開明の腕が一本、風祈に向けて伸ばされる。 「これを持っていけ……」  注射器に満たされているのは、呪いを解く薬。  深紅に輝いている。  最後の一つ  切り札として、持っていた。  そして、開明は守り抜いた。  風祈の小さな手に、託される。 「お受けいたします」 「それと、呪いに抗う薬を、君に処置する……」  開明の腕がもう一本、注射器を構えている。 「呪いは進化する……だがこれを取り込めば、君の血は侵食を防げるようになるだろう。受けてくれるか……」 「……お願いいたします」  風祈が腕を差し出す。  開明の腕が伸ばされ、処置が行われた。  くしくも、風鳴に行われたのと同じやり方。 「風鳴は流環の血を吸わなかった。いや、この場にいる誰の血も吸っていない。希望が見えなくなっていたとしても、まだ終わってはいない」  薬を懐にしまい、風祈が頷く。 「先生。風香様。烈。皆をお願いします」  背中の“欠けた月”を、背負い直す。  それまで風歌の手当てをしていた烈風が、立ち上がった。 「風祈」 「烈。私を信じてくれる?」  少しの間があって。  烈風は風祈の目を見据えた。  真っ直ぐに。 「待ってるからな」 「必ず戻る」  同じぐらいまっすぐな眼差しと言葉を残し、背を向け、振り返らなかった。  烈風と開明、風香に皆を任せ、風祈は山を駆けた。  舗装された道路を、円を描くように。  血風を切り裂き、一陣の疾風と化して。  いる。  風鳴は頂上にいる。  何故、と問われても説明できない。  血縁同士の共感なのか。  それとも外なる何かが決着を、と告げているのか。  場所は山の頂上、ロープウェイの残骸。  かつての発着駅にして、展望台。  屋上から港町を一望できる、絶景の地。  かつてはここで、百万の価値でもまだ足らぬと、旧人類たちに言わしめた夜景が堪能できた。  朝に在っては壮大な。  夜においては神秘と営みに満ちて。  全ての生命が、その目その心に深く刻み込んだ、光景を。  地上の星が降り注いだ、頂上で。  風鳴と風祈は再び相対した。 「風鳴……」  空は高く。  降りしきる陽光を遮る、漆黒の外套。  その奥で燃える、一対の赤光。

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